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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

本を読むということ

2020年12月28日 11時08分33秒 | えいこう語る

▼私が総理の名をカタカナ表記するのは、総理として、ふさわしい人物と思えないからだ。あまりにも見え透いた嘘をつき過ぎる。総理の嘘は、国民を不安にさせるだけだからだ。

▼国内でも嘘をつくなら、海外ではさらに大風呂敷を広げる。誰もが呆れたのが「福島原発事故での汚染水は、完全にコントロールされている」と、世界中に嘘をついたからだ。

▼シンゾウとスガはが嘘をつくのは、道徳心が足りないのか、教養が十分ないのかと思ってしまう。

▼藤原正彦著「国家と教養」を読み返してみた。帯びには「教養なき国民が国を亡ぼす」「教養こそが大局観を磨く」「大衆文学も教養である」とあるが【教養なき総理が国を亡ぼす】とはなかった。

▼でも【教養なき国民は教養なき総理を選ぶ】と書いてあるのではないかと、昨夜の、床の中での読書に選んだ。

▼本の中にロシアの作家チェーホフは「書物の新しい頁を一項、一項読むごとに、私はより豊かに、より強く、より高くなっている」とあった。もはや睡魔に侵されてはならないと、俄然目が冴えてしまう。

▼「早く電気を消して、眠れないから」と、隣人から苦情が出ても、この本に「睡眠は教養の妨げ」と、チェーホフが言っていると答えたいので、このページに付箋を張って置いた。

▼だがこの本には、哲学者ニーチェの「本をめくるばかりしている学者は、ついにものを考える能力を全く喪失する」とも書いてある。

▼さすが藤原先生だ。「真の教養とは読解力にある」と、教えている。私の読んだ本には、花が咲いている。付箋が多いということだ。

▼花が咲き乱れる本ほど、教養を補ってくれるということだろう。でも、チェーホフとニーチェの言葉を忘れてはならない。

▼「国家と教養」も花が多い一冊だ。多過ぎるので花一輪を取り出し、その香しい匂いを嗅いでいただきたい。

▼【私は餃子と大福が大好物です。人間はこれらを食べなくても幸せな人生を全うできます。しかしこれらを口にせず死んでいく人を、心から気の毒と思います。私はショパンを聴いたり、童謡や歌謡曲を謳うのが大好きです。これらを聴かず、これらを歌わなくとも、幸せな人生を全うできます。でもそういった人々を気の毒に思います。本を読まない人に対しても同じ気持ちです。ローマ時代の学者であり政治家でもあったキケロは“本のない部屋は、魂のない肉体のようなものだ”と言いました】。

▼そこまで読んで、私は深い眠りに陥りました。こんな夜は、シンゾウやスガも夢に現れません。早朝、庭は一面の雪化粧です。

▼雪化粧って、素敵な言葉だとあらためて思う年の暮です。思わず♪蛍の光窓の雪♪を、口ずさんでしまいました。

    雪よコロナを埋めつくせ
              三頭下

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