▼不倫疑惑で「一線を越えた、超えない」という、言葉が横行している。付き合っている男と女がホテルの室の前に立ち、ドアを開けた時点が一戦を超えたと判断するのが常識だ。入室せず引き返す理性が残っていれば、越えないということではないだろうか。
▼朝から、さわやかではない話題になってしまったが、この「一戦越え」という言葉で、私の記憶から浮かんで来たことがあるからだ。先日、NHKテレビで観た、インパール作戦と731部隊の内容からだ。
▼戦争とは、人間が地獄の世界に飛び込んで、殺しあうということを、あらためて確認させられる。特に、731部隊の首謀者たちは、我が国のトップクラスの医学者が集められた。
番組の中で、近年の、日本医学会での講演で「科学者が戦争を残酷にしたのではないか」という、反省の言葉も胸に響く。
▼当時日本は、細菌爆弾の国際条約を批准していなかったため、編成され実行された部隊だ。1937年(昭和12年)の日中戦争が始まる、前年に部隊が編成されている。
▼我が国は唯一の被爆国でありながら、米国の核の傘下に甘んじているため、国連の核兵器禁止条約の批准会議を、ボイコットしている。
▼この行動を731部隊に照らし合わせると、アベ政権での憲法改正では、9条を改正し自衛隊を軍隊にしようとする考えだ。批准しないのは、軍隊であれば、最強兵器である核の所有を見越しての行動ではないかと推測されはしないか。
▼番組での、戦争から生き残っ人たちが、大勢の犠牲者を出したことへの、胸が張り裂けそうな悔恨の言葉が印象に残っている。『戦争は理性を失わせる。失うので,人として守るべき一線を越えてしまう』。
▼「憲法9条改正」は「自衛隊から軍隊へ」さらに「戦争への可能性」がより身近となる。戦争は、総力戦になるので、私たち国民も強制的に参加を余儀なくされる。やがて、憎しみの連鎖が理性を失わせ、人として守るべき一線を越えさせられてしまうのだろう。
▼「憲法第9条」は、日本国民が、一線を越えないための『良心的防波堤』ではないかと思う。
▼アベ総理に、一線を越えさせないためにあるのが、憲法第99条だ。しかし、立憲主義を理解できないアベ総理は、我が村に出没する鹿のようだ。簡単に高い柵を乗り越えるのだ。これを「シカたがない」というダジャレでは済まされない。
▼私たち国民にできることは、9条の防波堤を福島県の防波堤より高く積み上げ、アベ総理に、一線を越えさせない国民の不断の監視が必要だと考える。だが、我が国は、アベ一強を許すという、有権者が一戦を越えてしまう傾向にあるようだ。
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