函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

ラフカディオ・ハーンの遺言

2020年01月24日 15時23分33秒 | えいこう語る

▼「私、死にますとも、泣く、決していけません。小さい瓶買いましょう。三銭、あるいは四銭くらいのです。私の骨、入れるために。そして、田舎のさみしい小寺に埋めてください。悲しむ、私は喜ぶないです。あなた、子供とカルタして遊んでください。如何に私それを喜ぶ。私、死にましたの知らせ、要りません。もし人が尋ねましたならば、はぁ、あれは先頃亡くなりました。それでよいのです」。

▼戒名『正覚院殿浄華八雲居士』。明治37年54歳で亡くなった小泉八雲が、妻・セツに残した言葉だ。ギリシャ生まれで英国籍を持つ小泉。出雲でみた日本の風景から、日本人以上の「道徳観や倫理観」を体得し、純粋に精神化していたのではないだろうか。

▼妻セツの文章は、関岡英之の「小泉八雲の聲を聞く」の中に書いてある。関岡は文春新書「拒否できない日本」の著者だ。この本は「対米従属」の本質に迫る確かな内容なので、私の手元に置いてある本だ。

▼そんな関岡の小泉分析に興味をひかれ、読み始めたのだ。だが、そればかりではない。私は20代の頃、小泉の墓がある「雑司ヶ谷霊園」のすぐ隣に住んでいた。霊園内を横切るのが池袋ヘの近道だったからだ。

▼その道に夏目漱石や小泉の墓があった。夜中にその横を通ると、この二人に呼びかけられている気もしていたが、若く楽しい時間を、二人の文豪に邪魔されてはならないと思い?振り向きもしなかった。

▼漱石の墓には、漱石心酔者が時々いて「ちょっと話をしていかないか」と呼び止められたものだ。小泉の「怪談」話?でも聞かされると思い、私は小走りした記憶は何度ももある。

▼そんな環境に住んでいたので、関岡の小泉の文章に呼び止められたというのは、単なる偶然ではないと思う。両文豪の墓の近くに住んでいながら、二人の業績をほとんど学ばなかったことに対する、かすかな負い目が私にはあるからだ。

▼小泉の著書「日本 一つの試練」には、タイトルの上に【神國】と刻印されているという。その中に現在の日本人が、目が覚めるような文章がある。

▼日本が外国産業に土地の購入権を与えたら、その時は希望を捨てて、滅亡する時だ。この信念を、わたしたちはどうしてもしりぞけることはできないのである。目先の利益だけを考えて、ともするとそういう挙に出たがりがちなうぬぼれ慢心こそは、日本の運命を右か左に決するものだろう。

▼この文章で私が驚くのは、近年の北海道ニセコ周辺の外資による開発だ。高級リゾートマンションやホテル建設など、外国産業の土地買い占めが目立つ。最近のニセコは、以前のまちの面影はなく、どこか、ちがうまちに来たようだと、訪れた知人はその印象を述べていた。

▼近くの留寿都村では、先日IR誘致で国会議員を巻き込んだ収賄事件が発生している。北海道の中で、外国資本による特別区が出来上がり、独自の条例を制定し「香港」のように、日本の中で「一国二制度」などという、複雑なことにならなければと危惧する。

▼広大な大地北海道。新千歳空港の拡大などで、知事は世界に開かれる観光地を目指している。IRなどは「海外資本誘致拡大政策」のようなものだ。それも巨大な資本が集まる世界市場化する様相だ

▼IRと憲法改正が、同時に進行しているようだが、その関連性はよく理解できない。だが小泉八雲が予見した日本の将来は、北海道においては現実化している。

▼関岡はこの我が国の現状を「外資に買収されてどこが悪い。米国の迎合して何が悪いと開き直っているうちに、いつしか日本人はカネと権力に盲従することを、あさましいとも卑しいとも、見苦しいとも、感じなくなった。そういう感受性がなくなった。倫理も道徳も、良識も品位も、地に堕ちた」と看破する。

▼もはや、ノックダウンの日本民族ではないか。小泉は日本語を全く理解しないまま日本に来たことが、かえって日本の心を、素直に解釈できたといわれている。

▼古代神話にも記録がないのに、人々がそれぞれ心の中でその価値を共有していることに、感動したという。アイヌ民族が文字を持たないことで、野蛮性や差別につながったというが、アイヌ民族も同質の心で伝える精神文化を持っていたのだ。

▼そのアイヌ民族の優秀性をいまだに正しく理解しようとしないのが、今の日本だ。アイヌ新法は「先住民族」として認めているが「先住権」を記していないからだ。

▼なかなか文章のまとまりがつかないので、哲学者プラトンのこの言葉を引用したい。【人間の魂は、かつて真理の国にいて心理をはっきりみていたが、今や現象の国に生まれて、心理をはっきり見る目を失った】。

▼小泉が松江に住んでいた時の出雲地域は、真理をみることができる環境が、いたるところに点在していたに違いない。たぶん小泉もプラトン同様、文明の急激な進歩が日本の風景を台無しにし、やがて日本精神が滅び、国家もダメになるという考えをしていたのではないか。

▼小泉八雲が亡くなったのは、明治37年の日露戦争の真っただ中だ。小泉に、その後の日本と100年後の日本も見せたのは、小泉が見た【神の國】がなせる、無限大の力量だったのかもしれない。

▼私が20代の頃、通り過ぎた小泉八雲の墓にちょっぴり呼び止められ「神の國」の誇りを講義された感じがした、関岡英之の「小泉八雲の聲を聞く」の文章だった。

  八雲呼ぶ二十歳(はたち)の吾に國見えず
                   三等下

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