▼北海道泊原発がある近くの寿都町が、核のゴミ処分場の調査に手を上げた。さらに近隣の神恵内村も手を上げた。
▼北海道知事鈴木は、道の「核抜き条例」を盾に、両町村へ自粛を求めた。だが、知事は経産省との話し合いで、町が誘致の賛否で二分する混乱を避けるために、本格的調査を行う数十程度の候補地を、国が絞り込むよう訴えたという。
▼これに対し国は、慎重姿勢を示していると報道されている。しかし北海道知事が、国に候補地選定を要望したことで、溢れかえる核のゴミ処分場問題は、一気に解決の方向に動き出したのではないか。
▼核ゴミ処分場は「菅・梶山・鈴木」三者による、緻密な「陽動作戦」の中で、多額の交付金を餌に、財政が逼迫する地方自治体の、誘致意欲を狙ったものだろう。
▼原発建設の誘致活動も、戦後の高度経済発展の中で、一極集中、地方過疎の構図が出来上がった。しかし原発事故は、広島・長崎の原爆投下と同様の被害を受ける。
▼そこで、人口が少ない財政難の地方が候補地に選ばれる。福島原発事故は、もし東京に原発があり事故が起きたら、日本沈没になったことを、国民は実感した。
▼核のゴミ処分地も、やはり地方が最適だという、国民のコンセンサスが出来上がったようだ。そこで原発誘致と同様の「札束作戦」だ。多額の交付金は、電力利用者の国民から徴収すればいいからだ。
▼「原子力ムラ」は、いまだに昔のままの古い考えを踏襲している。関西電力幹部と福井県高浜町の元助役との癒着は、原子力ムラの思考形態が、江戸時代と同じ体質であったということを、証明させたからだ。
▼国への要望は、自治体崩壊の擁護に出たように見せかけ、国に適切な処分場の指定を要請する、若いながらなかなか奸智に長けた、我が北海道知事だ。
▼国は一旦しらんぷりを決めたが、内心は解決に向けた道筋が出来たのを喜んでいるに違いない。
▼国が適地として数十カ所を選定すれば、他の自治体も調査だけで、2年間で交付金が20億円も入るなら、率先して手を上げるに違いない。
▼そこで慌てるのは、北海道幌延町の核のゴミ地下埋設研究所だ。期限を延長してまでも、地下深くに掘り下げている。延長したのは昨年だが、承認したのはその4月に知事に当選したばかりの鈴木だ。
▼そうであれば、国民もこれ以上無駄な交付金を支払ってまで、他につくる必要はないと考える。幌延町民もここで中止となれば、交付金は入ってこない。
▼溢れかえる核のゴミ、地下深くの投棄なら、やむを得ないのではないかという、町民と国民の同一感情が生まれてくる。
▼そこにさらに多額の交付金を提示する。幌延に決定だというのが、私の「妄想」の行き着く先だ。核のゴミ処分場問題は、民主主義がまったく成熟していない、地方自治体に任せる問題ではない。
▼これからの「観光北海道」を考えれば、道民全体で考える問題だ。だが、先日の函館市議会で、寿都町の各ゴミ問題に反対する決議は【否決】された。私の考えとは正反対の「他の自治体の問題に口出しは無用」という内容だ。
▼だが函館市議会は、大間原発建設に反対する決議を全会一致で行ない、国を提訴している。矛盾を孕んだ市議会だ。
▼さらに思い出すのは、2015年に函館市議会は、安保法制に反対する決議を、一票差で【否決】している。市議会は集団的自衛権行使容認に出たのだ。
▼私は函館市に吸収合併され、村民から市民となった。市民とはないかという問いかけを欠かさない。だが、函館市民は、戦争に加担する法案を支持する市議会に、声を上げない。
▼「市民力」が、発揮されないまちなのかと、思うこともある。中核都市の中で、魅力度は全国一位だが、幸福度が最下位に近い。
▼それに対し、なぜかという問いかけがまち中にはない。開港都市で、海外にも開かれた先取の気風があるまちだというのは、まち中を歩くと十分理解できる。
▼だが、戦後北洋漁業の衰退以来、他に誇る歴史や文化遺産に頼り、守りに入った感がある。この保守的な雰囲気が「不幸度」の原因の一つかもしれない。
▼などと、核のゴミ処理問題から横道にそれてしまった。策士菅総理は、真っ先に「桜を見る会問題」は廃止し予算もつけないと明言した。この問題も地下深く埋めてしまうという魂胆だ。
▼菅総理はアベ政治の継承を宣言した。だが国民の真摯な声は、消し去ることはできないだろう。【アベ政治は許さない】。この声だ。