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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

函館が観光都市から軍港都市へ

2020年09月01日 17時21分15秒 | えいこう語る

▼8月28日の北海道新聞に「函館港再び【病院船】拠点候補に、という記事が目に飛び込んできた。東日本大震災後に検討されたが、建造費が高額なため頓挫していたが、コロナ騒動で再燃したようだ。

▼9月には病院船建造を超党派議運で考える、自民党の元衆議院副議長・衛藤征四郎が函館に入り、市長や地元関係者と懇談する予定があるという。

▼現在、函館駅に近い若松埠頭に大型クルーズ船が接岸ができるよう、整備が進んでいる。接岸場所は、全長360mだ。米空母が330m程度なので、空母の接岸は十分だ。

▼だが米空母は吃水が、11mを少し超えている。若松埠頭の目標は、水深10mだ。だから米空母は入港できないことになる。

▼だが、海の中は市民は確認できない。国が、あと2~3m深く掘ったら、米空母が接岸可能になる。掘ってしまえば後の祭りだ。防衛秘密であれば、公開しないのが原則だからだ。

▼函館もコロナ禍で、新幹線(陸)クルーズ船(海)飛行機(空)も利用客が少ない。特にクルーズ船の入港がほとんどない。そこで動き出したのが「病院船」の建造だ。米国の病院船は海軍の所属だ。

▼米中の関係が悪化している。ロシアも北方領土の返還を、自国の憲法を改正し拒否した。そこで米国は「日米安保」の強化を図り、とくに北部方面の軍事基地強化に出ているのではないだろうか。

▼我が国の防衛体制に「三海峡封鎖」というのがある。津軽海峡は真ん中が公海で、世界の戦艦や潜水艦が自由に往来している。日本海と太平洋の出入り口で、軍事的に重要な海峡だ。

▼函館港には、1854年のペリーの来航以来、米国は軍港にしようとしていたのではないだろうか。確かペリーは、函館港内や周辺の水深を計っている。

▼ロシアの歴史的な政策に「南下政策」がある。それは今も続いていると考えてもいい。第二次大戦が終了後、北海道を二分割して北をロシア領にしようとした経緯もあるからだ。

▼今後の「日米安保」の強化を考えれば、函館の軍港化は、相当以前から考えられていたのではないだろうか。我が国の病院船も海上自衛隊の所属になるのだろう。

▼函館には海自と陸自がある。空港があり大きな病院もある。函館ドック(戦艦の修理ができる)も、倒産寸前だったが国のテコ入れで存続されている。

▼さらに、1997年の「日米防衛協力のための指針」では、周辺事態有事の際、米軍は自衛隊の基地、施設のほか、民間の空港、港湾も自由に使用できるとある。

▼北海道では、空港は「新千歳」、港湾は苫小牧と【函館】になっている。ここに【病院船】が常駐し、米空母が接岸できる水深になれば、間違いなく観光都市から【軍港都市】にシフトするのではないだろうか。

▼函館市は1961年(昭和36年)に「函館市安全宣言」を謳った。【われわれは様々な災害の絶滅を期するため、函館市の各界を打って一丸とする市民全体の力をもって、強力にこれに対処しなければないことを確信するものである】。

▼災害の中で、最大のものは何といっても【戦争】だ。町会連合会は「安全・安心なまちづくり」が基本テーマだ。

▼「軍港都市」化は、絶対避けなければならない。それが今後の町会の、最も重要な動になっていかなければならないだろう。