感想の続き
この作品は、映画だけ見ても非常にわかりづらいところがあったので、原作小説を読んでみた。
カナダの作家クレイグ・デイヴィッドソンの『君と歩く世界』(集英社文庫)は、同名の短編他合わせて8作品を収める短編小説集である。
『真夜中のピアニスト』(2005)や『予言者』(2009)などで有名な、ジャック・オーディアール監督がこの作品に惚れ込み、「君と歩く世界」に出てくる、賭けボクシングで生計を立てる男と、「ロケットライド」に出てくる、事故でシャチに脚を食いちぎられた調教師(原作では女性でなく男性)のそれぞれの話からイメージを膨らませ、一つの物語として再構成した。
原作者のデイヴィッドソンは、この映画を見ての感想を、
ジャックの考えは、この2つの物語を一緒に編み込み、メインキャラクターたちの肉体的弱さに関連付けてキャラクターたちを1つの物語に同調させることだった。ボクサーの手は、ボロボロに砕けて弱くなっている。調教師には脚がない。そしてその後の彼らの人生が紐解かれる。そんな感じだった。正直言って、僕はこの短編集を書いてからしばらく目を通していなかったが、僕が決して見なかった侵入口を見つけた彼に僕は興奮を覚えた。
(2012年5月15日「ナショナル・ポスト」紙。引用は映画パンフレットから)
と語っている。(2012年5月15日「ナショナル・ポスト」紙。引用は映画パンフレットから)
原作を読んで、改めて映画の内容を思い出し、人物名や性別、国・地域、状況などが大きく変えられ、元の小説の中の要素が溶解されて新たな鋳型にはめられ、創造された作品であることがわかった。
この小説は、人物や状況に関する説明が極端に乏しく、たとえば主人公の名前さえ、開始後かなり経ってから、「ステファニー、危ない!」の事故の場面でようやくそれと知られるほどである。舞台背景や人物関係・設定に関する説明を極力抑え、映像そのもののリアリティや可能性を追求する手法なのかなと感じた。
原題“RUST AND BONE(錆と骨)”の意味も、原作を読んでようやくわかった。「君と歩く世界」の中に、
~敵にコーナーまで追い詰められる。~打ち下ろしのパンチをもらう。唇が歯に打ちつけられ、口腔内に錆と骨の味が広がる。
というくだりがある。また、映画を観ていて、ラストのアリの独白が前後の話の流れから、まったく遊離しているように感じられ、なにかとってつけたような感じに思えた理由もわかった。「君と歩く世界」の冒頭そのままをここに引っ張ってきたからだ。
二十七個の骨が人間の手を構成している。~腕や脚を折ると、接合部がカルシウムで包まれ、骨折の前よりも強くなる。手を折ると、決して元どおりにはならない。~
また、映画の最後の方で、それまで他人への思いやりが欠落していたアリが改心に至る経緯も、ややご都合主義な感じがした。
息子のサムが冬の凍った川で遊んでいて、割れ目から転落し、アリが拳の骨を折りながら必死に氷を叩き割って救い出す。サムは3時間昏睡状態に陥った後、ようやく意識を取り戻す。アリは姉に、「恐ろしかった…」と電話で心の内を吐露するや慟哭し、ここから改心して…という展開は、いかにもすぎて、強引に話をまとめようとするところに稚拙さを感じてしまった。
ただ、フランス映画にはときどきこういう、ストーリー展開には重きを置いていないものが見受けられるような気がする。迫力ある、あるいは象徴的な映像や役者の演技(難役を演じたマリオン・コティヤールは素晴らしい)は見ものだが、原作の要素が未消化なままの部分があったりし、話の整合性を大切にするむきには物足りなさも感じられる、といったところか。