夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

1985年6月土屋昌巳インタビュー

2013-04-22 23:52:51 | JAPANの思い出・洋楽


『キーボード・スペシャル』1985年6月号に、「土屋昌巳のDURAN²交遊録」というインタビュー記事があった。
1982年のジャパンの解散コンサートにゲストギタリストとして参加し、その後もジャパンのメンバーとの交流があった土屋昌巳だが、この年はDURAN²のメンバーに熱望されてプロジェクトに参加した。このインタビューはそのときの話題が中心だが、ジャパンについても触れている箇所があったので、紹介することにした。

このとき土屋昌巳は、DURAN²のニック・ローズ(kb)とサイモン・ル・ボン(vo)から、プロジェクト(後に「アーケイディア」と名付けられる)への協力を要請され、一月ほどパリでのレコーディングに参加した。同じイギリスのグループでも、ジャパンの場合とは性格や音楽の作り方が根本的に違ったという。プロデュースひとつとっても、ジャパンではデヴィッドがだいたいやっていたが、アーケイディアの場合は、プロデューサー(当時、ヒットメイカーとして有名だったアレックス・サドキン)を中心に、全体で相談しながらプロジェクトとして機能させていったという感じで、土屋昌巳にはずいぶん参考になったという。

レコーディングでは、ギター・キーボード・パーカッションを担当した他、ニック・サイモンのデモ曲を譜面に起こしてやったり、アイデアを提供したり、彼らに教えることも多かったらしい。

そのようにしてできあがった作品については、「すごく大人っぽい」、「メロディーと詞がすごく良くて」、「10年ぐらい、本当に音楽をやった人にしか出せない音のアルバムですね」と絶賛している。

ジャパン関連の話題で意外だったのは、
ニックもサイモンも、本当はドラムをスティーヴ・ジャンセンに叩いてほしかったんだけど、スティーヴが断ったんですよね。それで僕に「頼んでくれ」と言って来たんだけれど、本人がやりたくないものは、しょうがないし……。そういう意味で、ジャパンはすごくプライドが高いから、難しかったみたい。
というところ。実際のアーケイディアでは、ドラムはDURAN²のロジャー・テイラーが担当することになったが、確かにあの曲調だったら、スティーヴが叩いたとき、どんなサウンドになっていたかは非常に興味がある。(「レディ・アイス」などは、ジャパン後期を感じさせる曲なので、特にそうだ。)
また、
サイモンにしても、ニックにしても、ジャパンにあこがれてDURAN²をつくった部分があるから、やっぱり尊敬しているし。とくにサイモンは、デヴィッド・シルビアンをすごく尊敬してるしね。
というところは、「やはり」という思いと、「やや意外…」という感じを受ける。ただ、ボーカル・スタイルは違うが、サイモンの妙に難解でもったいぶった歌詞に、もしかしたらデヴィッドの影響があったのかも、などと考えるとおもしろい。

このアルバムは後に、『情熱の赤い薔薇』(1985)としてリリースされる。耽美的で内省的な、大人っぽいサウンドだが、ただやはり、ジャパン的なものや全体的な完成度を期待して聴くと、やや物足りない感じがしたのは事実である。しかし、当時12インチ・シングルでも発売されて大ヒットした「エレクション・デイ」はカッコイイ曲だし(土屋昌巳のギターがたまらない)、「レディ・アイス」も好きな曲だった。今でもこの2曲は変わらず素晴らしいと思う。