夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

「樋口一葉の和歌」展 (その3)

2015-01-04 23:36:05 | 短歌
前回、「萩の舎」の書のところで書き忘れていたことがあった。
一葉の考える「書の心」、つまり文字は人の心をあらわすという理念は、一葉が和歌の上で考えた「誠情」や「まこと」、小説の上で意識した「真情」と非常に似ているものだそうである。
  人の心を映し、人の心を打つ。「萩の舎」で教えた「書」には、全ての教えが集約されていた。
と解説には書かれていた。


(写真は、『たけくらべ』の舞台となった千束稲荷神社。)

「萩の舎」と古典文学
解説
「萩の舎」では、王朝物語文学に精通していることが重要な教養であるとしていた。
歌を詠む際にふまえるべき有名な古典文学や詩の中の言葉、場面について、歌を練るための知識の広がりを持たせる講義内容ではなかったかと想像される。

感想
一葉が明治28年2月の「萩の舎」の歌会で詠んだ歌として、

  更級やおばすて山の月ふけてわが世の秋ぞ見る人もなし

という短冊が展示されていたが、この歌は『大和物語』の姨捨(おばすて)伝説を踏まえたもの。
語彙や詩心を豊かにし、歌に詠む場面を構想するのに、物語は有益である。

解説文中にあった、「歌を練るための知識の広がりを持たせる」というくだりを詠んで、昨年夏に、結社の催しで「伊勢物語を詠む」研修講座があったことを思い出した。(元記事①元記事②
きっと先生は、現代短歌にも王朝物語の教養が必要だと考えておられたにちがいない。


(写真は、『たけくらべ』ゆかりの鷲(おおとり)神社。)

筆名「一葉」の由来
今回初めて知ったのだが、「一葉」というペンネームは、一艘の舟を表現しているのだそうだ。
初めは波間を漂う舟をイメージし、父という頼るべき人を亡くした彷徨の境遇を表現したものであった。
その後は、一葉の哲学や処世観を象徴するようになる。明治25年5~6月頃の日記に、

  行く水のうき名も何か木の葉舟流るるままにまかせてを見ん

とある歌は、小説執筆の師であった半井桃水(なからいとうすい)への恋心と、二人の将来への不安が歌われているという。
また、晩年に近い明治28年10月31日の日記には、

  極みなき大海原に出でにけりやらばや小舟波のまにまに

という歌がある。ここには、『にごりえ』の賞賛によって文壇での活躍が始まった頃の不安や決意が表れているそうだ。

今回の感想
樋口一葉は、明治27年12月掲載の『大つごもり』を初めとし、明治29年1月までの短期間に、『たけくらべ』『十三夜』『にごりえ』といった代表作を次々と書き上げ、「奇蹟の十四ヵ月」といわれている。
(その後、一葉は結核を患い、同年11月、数えの25歳で亡くなる。)
今回の特別展を観て、これは決して単なる「奇蹟」ではなく、「萩の舎」で培った和歌や古典の教養が元になってのことだと強く感じた。
一葉の短い人生は、確かに、学業断念、実家の相次ぐ不幸、貧困、病気などの逆境続きであった。
しかし、その分成長は速く、急激に才能を開花させ、文学に全精力を注ぎ、同時代のどの女性も到達できなかったような境地に達した。
彼女が若くして身につけた和歌・書・古典などの教養は、現代人が同じ年齢で同等のレベルに及ぶことは到底不可能だろう。
近代日本の文化的遺産ともいうべき一葉文学を、今後も学び、できれば(教科書に作品が取り上げられることが少ないため)10代の若者にわかりやすくその魅力を伝えていくことができたらと考えている。

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