古文の授業の時間に『竹取物語』の「かぐや姫の昇天」をやったときに、翁と媼のその後が話題になった。
八月十五夜、月の世界からお迎えが来て、天人がかぐや姫に薬をなめさせ、天の羽衣を着せる。するとかぐや姫は、地上の人としての心を失い、翁を気の毒だ、愛しいと思う気持ちもなくなって、多くの天人を従え、たちまちのうちに昇天していってしまったという。
「かぐや姫は地上の記憶をなくして月の世界に住むからいいけど、残された翁や媼がかわいそう。」
というのが大半の感想で、老い先短い二人が血の涙を流して泣き惑い、はては病気づいてしまう、というところに、
「ぜんぜん救いがないじゃん。」
「去り際に不老不死の薬を贈る感覚もわからない。」
たしかに、ハッピーエンドに慣れている現代人の感覚からすれば、理不尽な結末に納得がいかないのも当然で、そこは私もうまく説明できなかった。
いちおう、大学で昔、『竹取物語』の集中講義を受けたときに教わったことは話した。
かぐや姫の昇天の場面が、聖衆来迎といって、人の臨終に極楽浄土から阿弥陀仏が諸菩薩を従えて迎えに来るところと似ていること。
かぐや姫が帰っていく満月は、仏教では悟りの境地を表し、『竹取物語』の月世界は、真理の光が煩悩や迷妄を解き去った澄明な浄土世界への憧れを表現しているらしいこと。
ただし、『竹取物語』の作者は、浄土世界を憧憬しつつ人間世界の恩愛にも深い理解を示す人物だったのではないかと思われること。
「新潮日本古典集成」の『竹取物語』の校注者に教わったわりには、生徒にたいしたことを言えなかった。もう一度、解説を読み直して、生徒に話そうと思う。