日々のこと ふたたび南米チリにて

~南米生活はや11年。子供3人のママ。6年住んだリマを離れ、再びチリへ。育児、お仕事など日常生活を綴ります~

出産記録 その2 ~再び病院へ~

2012-03-23 20:36:26 | 子育て 2011-2012年
さて、帰宅し、遅い夕食を用意していたら、
「う・・・」となんだか急に痛みが走りました。
生理痛のような、下痢のようなそんな感じ。
でも、すぐおさまります。
痛みが走るのは25~30分おきくらいで、間隔は短くなりません。

せっかく帰ったのにまたすぐ病院?とあせりましたが、
ネットで調べると、これは前駆陣痛というもので、本格的な陣痛ではないようです。
人によっては、この後、すぐ陣痛が起こる間隔が短くなってきて出産にいたる人もいれば、
前駆陣痛が3日間ほど続く人など、さまざまだそうです。

私ももしかして長丁場だろうか、と思いながら、その夜は眠りました。

ちなみにこの前駆陣痛がなく、いきなり10分間隔の陣痛が始まる人もいるそうで、
うちの妹と母はいきなり陣痛が始まったタイプだったとのこと。

翌日の昼間もずっとその調子。20分間隔から短くなりませんでしたが、
その夜、20時くらいから痛みが強くなってきました。

でも、ヒメを寝かせるまでは自分のことを気にしている暇はありませんでした。
「痛い、痛い!!」とおなかを押さえると、ヒメが「イタ、イタ!」と真似するので、
「アンタは痛くないでしょ」などとツッコミを入れたりして時は過ぎました。

で、23時を過ぎた頃、痛みの間隔が10分おきになりました。
とりあえず、病院に行く用意だけは済ませ、晩御飯を食べましたが、全部吐いてしまいました。

で、夜中1時をまわった頃、間隔が10分を切り始めたので、病院へ。

家にいると、テレビを見たり、ダンナにマッサージしてもらったりして、
痛みを紛らわせることができるので何とか過ごせました。
自宅で出産したいという人の気持ちがわかる気がしました。

看護婦さんたちは私の顔を覚えていて「あら、また来たのね」とか
「ニーニャ(ヒメのこと)は元気?」と声をかけて迎えてくれました。

そして、偶然にもこの日、夜勤のお医者さんは、私の担当の先生でした!
これで、「先生はいつ来るの?」「もうすぐ来ますよ(Ahorita viene)」の会話をしなくて済む。

その後、痛みは強くなる一方。何か聞かれても答えられないほど痛い。
そのうち、体が勝手にいきむようになり、
もうすぐ生まれるんだってわかりました。体ってうまくできてるなと思いました。

ちなみに、こちらでは麻酔をする無痛分娩が一般的、と聞いていたけど、
いつになったら麻酔してくれるの??
全然、無痛じゃありません!!!

そうこうしているうちに分娩台へ。
痛みのせいで、水分も食べ物も全部吐いてしまったので、
のどがカラカラのまま出産に挑みました。

時間の感覚はわからないけど、分娩台にあがってから、わりとすぐ生まれたと思います。
麻酔は・・・したのかな?
痛みがおさまった気がしたから、やっぱりしたのかな。

赤ちゃんが出てきたとき、ちゃんと泣き声を聞いて安心はしたものの、
うれしいというより、「は~、やっと終わった」という気持ちが大きかった。

夜中1時半に病院に着いて、午前5時10分に出産。

生まれるまでよりも、生まれてから、膣の傷口を縫うほうが長く感じました。
チクチク縫うのがわかって気持ち悪かった。

それも終わり、そのときは出血もなく、
先生から「母子ともに問題無しです。痛み止めの薬を後で出しますね」と言われました。

なお、出産当時、ダンナとヒメは待ちくたびれてベンチで眠っていて、
オウジが生まれたことには気づいていませんでした。

この日、病室は満室で、部屋に入れるのは午後の予定だったので、
分娩待機室にまた戻り、ダンナと「無事生まれてよかったね~」と話し、
オウジに初授乳をし、ダンナとヒメは帰宅。

担当の先生も帰り、私はベッドで横になっていましたが、おしりが痛くて眠れず。
(肛門近くまで縫ったらしく、この痛みは何日も続きました)

さて、出血が起こったのはこの後。

~ここから先、血や痛みに弱い人は読まないほうがよいかもしれません~

しばらくすると、目まいがして、目の周りに星が飛び始めました。
なんだこれ??と思っていたら、次におしりの痛みに加え、下腹部に激痛が。
出血が原因だなんてわかりませんでした。

麻酔が切れたのかな、
そーいや、先生、痛み止めの薬、くれるって言ったけど、もらってないじゃん(怒)、と思い、
あまりに痛かったので、声をふりしぼって、看護婦さんを呼びました。

すると駆けつけたベテラン看護婦さん、
私のおなかを少し押して、こりゃやばいと思ったらしく、あっという間に私の周りに人がたくさん来て、
点滴の数が増やされ、おしりやら太ももやらに注射されました。

看護婦さんがおなかを押すたびに、血がドバッドバッとすごい勢いで出ます。
横になっているから血は見えないけど、それでもかなりの量なのが自分でもわかりました。

どのくらい血が失われたか調べるために、看護婦さんが腕から採血しようとしますが、
血に勢いがなく、なかなか採血できません。

周りの先生や看護婦さんが、
「前回、帝王切開だったの?? だからかもしれない」とか、
「どうしよう、病室も空いてないし、大事になったら、ほかの病院に移動させないといけないかも(!)」
とか言ってます。

ほかの病院に移動なんて困るなぁ、保険効くんだろうか、ていうか部屋がないから移動ってどういうこと、と
朦朧とした頭で考えました。

ある程度、血を出した後、お医者さんが私のおなかをマッサージし始めました。
これがまたすごく痛い。 陣痛とは違う痛さです。

その後、別の先生が来て、今度は膣から手を入れて子宮底マッサージ。
これがまたさらに痛い痛い。
だって、そこ、さっき縫ったばかりですよ?!

悲鳴を上げる私に、先生が
「痛いのはわかるけど、これをやらないと血が止まらないのよ」と。

そんなんわかっとるわ~、でも痛いものは痛いんじゃ~、悲鳴くらいあげさせてくれ~。

出血の原因は、子宮弛緩出血。
出産が終わると、普通は子宮が収縮し、血が止まるのですが、
なにかの拍子に、子宮が収縮せず、ゆるんだ状態になると、大量出血するんだそうです。
マッサージは子宮の収縮を助けるためとのこと。

おかげで、なんとか血は止まり、
氷の入った袋をおなかに当てるように指示され、当たり前だけど安静にしていました。

ただし、「眠っちゃだめよ!」と言われました(ひぇ~、雪山で遭難したような気分)。

何時間も震えがとまりませんでした。
これも極度の貧血から起こるものだそうです。
あとは、点滴のせいか、数日間、顔や体がひどくむくみました。

看護婦さんや先生が見回りに来るたびに、私のおなかを押して、
「血止まってますね、よかったよかった」
とチェックしてくれるんですが、
痛いんですよ、毎回毎回!

そんなわけで、私の普通分娩の印象はとにかく「痛い」の一言につきます。

後から聞いたところ、出血量は約2リットルで、ヘモグロビン値が6まで下がっていたそうです。
ヘモグロビン値は通常12前後らしいので、まあ・・・かなり出血してたってことです。

あのまま看護婦さんを呼ばず、気が遠くなっていたらどうなっていたんだろう・・・。
出産前の記事に「エコー検査のない時代だったら安産だったのでは」と書きましたが、撤回します!!!
今の時代に出産できて本当によかった。救われました。

そんなこんなで朝ごはんも延期になっていて、しかも昨夜の夕飯は全部吐いてしまったから、
おなかに何も入っていない状態だったので、
看護婦さんが遅めの朝食を持ってきてくれたときはうれしかった。

飲み物とフルーツ以外は食べる気力がなかったけど、それでも少し生き返った気がしました。
食べると頭がキューっとしました。たぶん胃に廻る血がなかったんだと思う。

お医者さんから「もう安心」と言われましたが、看護婦さんから
「今夜一晩、ここ(分娩待機室)にいてください。病室に移ってしまうと、
また何か起きたとき、迅速に対応できないから」
と言われ、結局、入院期間の半分以上を分娩待機室で過ごすことになったのでした。

ここはベッドが3つある相部屋で、窓もないし、病室じゃないからもちろんテレビもありません。
隣のベッドとはカーテンで仕切られているけど、
陣痛に苦しむほかの妊婦さんの声や、会話も全部聞こえるから夜もゆっくり寝られません。

赤ちゃんが4kgもある巨大児だから帝王切開になった人、
病室が空いていないからほかの病院で出産することになった人、
陣痛が進まないから、帝王切開を勧められている人とか、いろいろいて、
興味深く盗み聞きさせていただきました。

私の使うはずだったお部屋は、ほかの患者さんにまわされたようです

輸血については何の説明もなかったのですが、
夜、うとうとしていたら、突然起こされ、何かの書類にサインさせられ、
気づいたら、血が点滴されていました。

30代半ばにして、ペルー人の血が入り、混血になってしまいました

~続く~

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