ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

27年前に歩いた黒部源頭の山旅 その4:雨男に異変! 奇跡的に快晴 三俣蓮華岳から鷲羽岳まで

2020-08-17 07:07:19 | 草花
山歩きの中でいつも雨に悩まされる雨男の小生ですが、お天気というものは誰にでも公平にもたらされるものなんですね。
この日は一日中願っても滅多にないような素晴らしい空があり、遠くへの見通しも抜群でした

三俣蓮華岳で北アルプス中央部の大展望を満喫していましたが、そろそろその場を辞去しなければならなくなってきました。この日の予定は野口五郎岳まで足を延ばすことになっています。
槍と穂高 ↓

眼前の贅沢極まりない景観もここでの見納めタイムです。



剱岳・立山・赤牛岳 ↓


カシバードの描画 ↓




剱・立山・祖父岳・水晶岳 ↓


カシバード ↓

手前の祖父岳には次の日に行き、水晶岳はこの日に歩きます。

三俣蓮華岳から三俣山荘のあるところまで下り始めます。そこからは鷲羽岳に向かい稜線を登って行くのです。

眼下に三俣山荘、そして大きく聳える鷲羽岳 ↓


カシバード ↓

三俣山荘が眼下にあり、その向こうに大きく鷲羽岳が聳えています。
鷲羽岳の左側にワリモ岳の姿もあります。これから歩いて行く訳ですが、なかなか骨が折れそうです。



三俣山荘 ↓

小屋の脇に水が流れていたので、ここでも食事タイムを取ります。英気を養って鷲羽岳目指して歩き出します。 登る稜線は標高差が380メートルあり、根気勝負です。



槍ヶ岳 ↓

稜線上からはやや左に傾いた槍ヶ岳と山頂から独標までの稜線(北鎌尾根)が見えています。



振り返ると ↓

振り返ると三俣蓮華岳と三俣山荘も見えています。



常念岳 ↓


カシバード ↓

表銀座コースの稜線越しに常念岳が顔を出しています。



鷲羽池 ↓

話に聞いていた鷲羽池も稜線のすぐ下にあります。この池面に映る槍ヶ岳という構図も可能だそうです。   背後に常念岳や北鎌尾根に続く槍ヶ岳も入れました。



乗鞍岳と木曽御嶽 ↓

左に乗鞍岳、右奥に木曽御嶽と仲良く並べることのできる位置に来ました。



鷲羽岳の山頂 ↓

根気を詰めて鷲羽岳の山頂に着きました。背後にはこの日に歩く水晶岳。
水晶岳は黒岳という別名を持ちますが、ここから眺めた時にその訳が得心できます。



黒部五郎岳 ↓

前の日に風雨と濃霧に苛められた黒部五郎岳でしたが、次の日にはこんな奇跡的な空の下にありました。左背後には加賀の白山が見えます。


南西方面 ↓


カシバード ↓

ここから眺めるこの山域は随分のどかに見えます。



常念岳と北鎌尾根~槍ヶ岳 ↓

滅多にない好展望でしたので、しっかり見ておきます。



富士山 ↓

常念岳と北鎌尾根独標の間には170kmほど離れている富士山も見えています。



浅間山 ↓

富士山と同じような距離にある浅間山も見えていましたが、噴煙までは確認できません。
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27年前に歩いた黒部源頭の山旅 その3:三俣蓮華岳の手前の稜線から極上の景観が現れた。

2020-08-16 07:05:35 | 草花
終戦記念日の昨日を記事では通り過ぎてしまいました。(これほどまでに暑さボケしてしまい面目ありません。)

(海行かば)
水浸く屍草むす屍の終戦日  原 裕

木々のこゑ石ころのこゑ終戦日 鷹羽狩行

(詔勅から)
戦(いくさ)終え堪え難きを堪えそして今 (駄・ぶちょうほう)

(山行記を続けます。)
前日は台風の影響で強い雨風に悩み、やっとの思いで宿泊場所の黒部五郎小屋に着きましたが、一夜明けて、この日は風こそ残っていましたが、願ってもないような清々しい青空が広がっていました。稜線歩きの初めのうちは強い風が常に吹いていて、花が揺れるのでビデオカメラを向けることはあまりなかったのですが、その風がいつの間にか止んで、普段の雨男には勿体ないような空模様となりました。
三俣蓮華岳に着く前の稜線歩きから、ワクワクしっぱなしとなっています。
今回は山岳景観に特化してレポートしていきます。
剱岳と立山 ↓


カシバードで ↓

この山群はほぼ真北に見えています。



木曽御嶽 ↓


カシバード ↓

木曽御嶽は位置的には60km程離れていますが、抜戸岳の右に見えています。


乗鞍岳 ↓


カシバード ↓

乗鞍岳は35km程のところにあり、真南の方角で、抜戸岳の左側に見えています。


槍ヶ岳から穂高岳 ↓

槍ヶ岳から穂高岳までの豪華な眺めをほしいままにします。



大天井岳から常念岳・北鎌尾根と槍ヶ岳 ↓


カシバード ↓

大天井岳ー常念岳ー北鎌尾根の独標ーそして槍ヶ岳を画角に入れました。


赤牛岳 ↓


カシバード ↓

赤牛岳は未だ行ってない山ですので、自分の中では、北アルプスで最奥の山という感じになっています。


剱と立山に更に近づく ↓


カシバード ↓

剱岳と立山にまた近づいてきました。



薬師岳 ↓


カシバード ↓

前々日は強風の中で山頂に居ましたが、この日にあそこの山頂に立っていたら、素晴らしい大景観だったことでしょうね。



黒部五郎岳 ↓

黒部五郎岳はほぼ真西の方角にあります。カール地形がはっきりと確認できます。



笠ヶ岳 ↓

笠ヶ岳の相変わらず秀麗な山容は見る位置を変えても変わりません。



常念岳 ↓


カシバード ↓

常念岳は東南東の方角にありますので、シルエット気味のやや見づらい姿です。



三俣蓮華岳に到着 ↓

山歩きを始めた時から名前だけは聞いていた憧れの「ミツマタレンゲダケ」の山頂に到着し、感激も一入です。
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27年前に歩いた黒部源頭の山旅 その2:風雨をついて黒部五郎岳まで、一夜明けて三俣蓮華岳まで

2020-08-15 07:09:25 | 草花
この山行のあった、今から27年前の1993年という年は、結構てんこ盛りにいろいろなことがあった年でした。
今上天皇がまだ皇太子であった時ですが、雅子様とのご成婚がありました。
サミットが東京の赤坂迎賓館で行われました。
エリツインロシア大統領が来日した年でもありました。
そして、法隆寺・姫路城・白神山地が世界遺産登録されました。
田中角栄さんが亡くなったのもこの年のことでした。
この年に生まれた子供に「悪魔」という名前を付けた親もいましたね。
8月には、この山行に出掛けたその日に細川内閣が発足しました。いわゆる55年体制の終焉です。
この山行で一番我が身に迫ったことと言えば台風7号のことになります。
マリアナ諸島付近で発生した台風が北上、大型で非常に強いものに成長して、沖縄から九州をかすめて北上し、10日の朝6時頃には日本海側を進んだために、この山行では10日、11日にかけて強い風雨の影響を受けたのです。
それが今回レポートする薬師岳山荘から黒部五郎小屋までの稜線歩きとぴったり一致するのです。
今回のレポート部分 ↓

青い線の部分ですが、それは8/10日に薬師岳山荘を出て---強い雨風に打たれながらも行進し、黒部五郎小屋に着き、そこで一泊。 翌8/11日に三俣蓮華岳を目指して、まだ強い風の残る山道を進んで行くところまでのレポートです。



断面図 ↓

アップダウンを繰り返して歩いたことよりも、未だに雨風が半端なかったことを記憶しています。休みなく降る雨に強い風ですので、ビデオ機材をリュックの外に出すことが出来ず、ほとんど歩き詰めでした。
そのためにこの日のビデオ映像は非常に短かいものとなりました。



途中で、 ↓

薬師岳山荘でこの日の移動を諦めて、もう一日の停滞を覚悟していましたが、やはり少しでも進んでおこうと考えて、朝遅くに歩き始めました。
すぐに強い風にあおられて、身体を投げ出されて、転倒しました。
山歩き中に風に吹き飛ばされたのはこの時が初めてのことでした。
後で気づいたことですが、ザックカバーも吹き飛ばされて無くなっていました。



黒部五郎岳 ↓



この日はビデオカメラをリュックの中から出すことがほとんどなくて、黒部五郎岳の山頂に着いて「カメラが濡れても仕方がない」と覚悟して、やっと外に出しました。



黒部五郎小屋 ↓

黒部五郎小屋に遅くに着きました。小屋の中では停滞する人でいっぱいになっていました。
案内してくれた寝床もぎゅうぎゅう詰めで、一旦は収まりましたがトイレに立ったらもうスペースがありませんでした。こんなところに来ても人間のいやらしいサガに直面するとは・・・・
仕方なく便所の前の通路で、持参した寝袋にくるまって一夜を過ごしました。



翌朝(8/12) ↓

便所の前で過ごした一晩は不潔で不愉快でしたが、なんとか睡眠時間は確保できたようです。明けて、不愉快な場所から一刻も早く抜け出そうと、朝の食事もせずに小屋を後にします。
雨はやみましたがまだ風は吹いています。小屋前の平原にはコバイケイソウが群舞しています。その背後の山は笠ヶ岳。

笠ヶ岳をズームアップ ↓

端正な左右対称ですね。

小屋の背後の道を、三俣蓮華岳に至る稜線目指して登って行きます。標高差は約500mほどです。


薬師岳 ↓

二日前に強風の中、山頂で雲の切れ間を待っていた、薬師岳には未だ日差しが来ていません。



黒部五郎岳 ↓

前の日に雨と濃いガスに見舞われた黒部五郎岳でしたが、一夜明けて凄い眺めがありました。
朝日が当たって輝いています。



迫力の黒部五郎さんをズームアップ ↓

カールの上に朝日が当たり、山頂部は迫力満点の金色の輝きを見せつけてくれます。



白山 ↓

黒部五郎の背後に加賀の白山が見えています。稜線上に出ると未だ台風の余波で強い風が吹き続けていますが、雨が無いので心配はしなくて済みます。稜線歩きの中で行動食として持って来ていた大塚製薬のカロリーメイトを食べ始めます。



笠ヶ岳 ↓

笠ヶ岳方面にも日が当たって来ています。



剱・立山・赤牛岳 ↓


カシミールで描画 ↓



※今回はバランス栄養食ということで、カロリーメイトを行動食として、ずっと食べ続けました。
大塚製薬に直接電話して、「食べ続けても支障はないか」と、問い合わせたところ、「全く問題はない」とのことでしたので、大量に買い込んで担ぎ上げて来たのです。

女優の和泉雅子さんが北極点に犬ぞりで到達した時にカロリーメイトを待ち歩いたと聞き、それを体験したかったからです。
(和泉さんの帰国後の講演では、探検中は毎日肉を1㎏平らげ、その他に砂糖を大量に摂取し、ご飯も食べていたそうです。カロリーメイトは非常食程度のものだったかも。)

小生がこの山行でカロリーメイトを食べ続けたところ、食べ飽きてしまい、4日目の昼飯の時に我慢が出来なくなり、山小屋に駆け込んで、カレーライスを所望したほどになりました。

この山行以後、しばらくの間はカロリーメイトを口にしなくなりました。
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27年前 1993年の黒部源頭の山旅:薬師岳、黒部五郎、三俣蓮華や水晶、野口五郎など その1:(薬師岳まで)

2020-08-13 20:46:54 | 草花
先日の南アルプスよりもまた一年古い、今から27年前のお盆休みに歩いた山旅をアップします。
古くて不鮮明な画ばかりを並べることに面目なさを覚え、なおかつ、何故にそんなことをするのか?・・・と、自問自答する時間もありましたが、下の三つの理由によりまして、記事にすることに致しました。
理由1:自分自身のボケ防止のため
   2:記事を更新することに対する怠け癖に陥らないため
   3:ブログシステム参加以前の未発表の事案であるため
上のようなことから判断しました。ご懸念する向きもありましょうが、そんな場合はどうか適当な距離を置いてお付き合いくださればと思います。
(画はビデオのキャプチャー画像で不鮮明なものが並びますが、ご容赦ください。)
山行全体の行程図 ↓


山行中の断面図 ↓


前日の午後に自宅を出て、国道41号で飛騨高山を通り過ぎる時には午後8時を過ぎていました。神岡町土(ど)という所から分岐して有峰湖を目指す道に入ります。
この道が細くて案内看板もなくて、無事に行きつけるのか不安でした。

途中大多和峠にゲートがあり、道が夜間封鎖さてていましたので、その場所にテントを張って一晩過ごしました。

大多和峠の通せんぼ箇所 ↓

翌朝は全天曇っています。台風が近づき日本海側を進んで行くようです。
朝一番に、ここで料金を支払って湖畔の道を登山口のある折立まで走ります。


この記事の行程 ↓

今回の記事で記述するのは青線の部分です。



折立の登山口 ↓

ここから登山開始です。太郎兵衛平まで、標高差にしておよそ1000m登って行きます。
山入り初日のために、荷物が背中にズッシリ来ています。



途中の展望個所から薬師岳 ↓

目指す薬師岳の大きな山体が見えて来ましたが、何処に山頂があるのか判りません。
途中で膝に痛みが出ましたが、騙し騙し歩いて来ました。




太郎兵衛平 ↓

遠くに太郎平小屋が見えて来ました。
このあたりから風が強まって来ています。台風の進み具合を心配しながら歩きます。




太郎平小屋の前で ↓


その方向をカシバードで描画。 ↓

太郎平小屋の前では南東方向に視界が開けていました。

台風による風が強まってきましたので、今夜の宿泊場所まで急ぐことにします。


槍ヶ岳 ↓

風が強いので、一面の雲もたまには流されて、一時的に槍ヶ岳が見える時もありました。



薬師峠 ↓

この場所ではキャンプサイトで、水場やトイレもありました。
水を頂いてその場を後にします。



薬師岳山荘 ↓

今夜の宿舎に着きました。台風が心配でしたので、荷物を小屋において、その日のうちに薬師岳の山頂まで往復することにしました。



吹きさらしの稜線歩き ↓

風はますます強まりますが、前傾姿勢で辛抱して歩きます。前方に山頂と祠が見えます。



薬師岳の山頂 ↓

祠というには大きめの建物があり、屋根には石の重しが乗っています。ここにお参りしてから、強い風の中で、あたりの景観が姿を現すのを待ちます。
しかし、それはありませんでした。小屋に戻って嵐の通り過ぎるのを祈りながら一夜を過ごします。



付録:庭の花
朝顔の4色 ↓










冬瓜の花 ↓



山道ではなくて・・・・・

草茫々の庭ですが、これでもこまめに草引きをやっているつもりです。
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電車賃が往復220円で山歩きが楽しめた山 秩父の武甲山

2020-08-10 07:09:12 | 草花
昭和40年以前の話ですが、私鉄の秩父電鉄で小生の住むところから山のふもとまで往復運賃がたしか220円で山歩きが楽しめました。
熊谷駅から2つ目の駅で乗って、下車のお花畑駅まで一時間くらいで着きました。
駅からは武甲山が結構威圧的に聳えていて、その頃の標高は1336メートルありましたので、標高差が1100メートルもあり、まじめに山歩きとして向き合える山でありました。

在りし日の武甲山の威容 ↓

この山は全山が石灰岩でできていて、そのためにセメント原料として採掘され、日本の戦後、高度経済成長、その後現在に至るまで人工築造物の原料を提供してきました。画面右側、山肌の剥き出しになった部分が石灰石の採掘現場です。

古くは日本武尊伝説から山の名前を引いて来たということでしたが、秩父地方のシンボル的な山として親しまれてきました。
しかし、石灰石採掘が進んだ現在では山の高さは1304メートルに減じられてしまい、山の形も変わり果て、かつてのように威厳ある姿ではなくなってしまいました。
小生が学生の頃は上述のように安い運賃で来られる山として、よく入っていましたが、三河に住むようになってからはこの山に来ることは無くなってしまいました。

「山歩きは秩父に始まり、秩父に終わる」・・・・とは、秩父の山に育てられた岳人の格言のように位置付けられている言葉ですが、ここの所小生もその言葉に回帰しつつあるような気がします。

カシバードで描いた、現在の地図データを反映した武甲山 ↓

秩父鉄道の御花畑駅から眺めた時の景色を想定していますが、大きな木や建物・人工構築物が眼前にあった時は景色は遮蔽されます。



「言うまいと 思えど今日の 暑さかな」という句は俳句なのでしょうか、それとも川柳?

連日、暑さが続いていて、愚痴と捉えれば川柳で、暑さに呻吟する身にとっては笑い事ではありませんよね。

そんな暑さの最中、カンカン照りの庭の中で涼を呼ぶような花を見つけてしまいました。
ツルボ ↓



有り難いことに自然界では季節のお約束を黙々と実行してくれる役者さんが居ます。


ヒオウギの咲いた後 ↓

真ん中では花が開いてドヤ顔をしていますが、右側はその一日後の姿で、こちらでは珍妙にくるくるっとねじれ込んでいます。



月齢19.4 ↓

昨(8/9日)晩23時頃の月です。東の空に薄く雲が掛かっていて、明るい月ではありませんでしたが、中天では雲が無くて、夏の大三角形(琴座ベガ、白鳥座デネブ、鷲座アルタイル)が光り輝いていました。
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