昭和40年以前の話ですが、私鉄の秩父電鉄で小生の住むところから山のふもとまで往復運賃がたしか220円で山歩きが楽しめました。
熊谷駅から2つ目の駅で乗って、下車のお花畑駅まで一時間くらいで着きました。
駅からは武甲山が結構威圧的に聳えていて、その頃の標高は1336メートルありましたので、標高差が1100メートルもあり、まじめに山歩きとして向き合える山でありました。
在りし日の武甲山の威容 ↓
この山は全山が石灰岩でできていて、そのためにセメント原料として採掘され、日本の戦後、高度経済成長、その後現在に至るまで人工築造物の原料を提供してきました。画面右側、山肌の剥き出しになった部分が石灰石の採掘現場です。
古くは日本武尊伝説から山の名前を引いて来たということでしたが、秩父地方のシンボル的な山として親しまれてきました。
しかし、石灰石採掘が進んだ現在では山の高さは1304メートルに減じられてしまい、山の形も変わり果て、かつてのように威厳ある姿ではなくなってしまいました。
小生が学生の頃は上述のように安い運賃で来られる山として、よく入っていましたが、三河に住むようになってからはこの山に来ることは無くなってしまいました。
「山歩きは秩父に始まり、秩父に終わる」・・・・とは、秩父の山に育てられた岳人の格言のように位置付けられている言葉ですが、ここの所小生もその言葉に回帰しつつあるような気がします。
カシバードで描いた、現在の地図データを反映した武甲山 ↓
秩父鉄道の御花畑駅から眺めた時の景色を想定していますが、大きな木や建物・人工構築物が眼前にあった時は景色は遮蔽されます。
「言うまいと 思えど今日の 暑さかな」という句は俳句なのでしょうか、それとも川柳?
連日、暑さが続いていて、愚痴と捉えれば川柳で、暑さに呻吟する身にとっては笑い事ではありませんよね。
そんな暑さの最中、カンカン照りの庭の中で涼を呼ぶような花を見つけてしまいました。
ツルボ ↓
有り難いことに自然界では季節のお約束を黙々と実行してくれる役者さんが居ます。
ヒオウギの咲いた後 ↓
真ん中では花が開いてドヤ顔をしていますが、右側はその一日後の姿で、こちらでは珍妙にくるくるっとねじれ込んでいます。
月齢19.4 ↓
昨(8/9日)晩23時頃の月です。東の空に薄く雲が掛かっていて、明るい月ではありませんでしたが、中天では雲が無くて、夏の大三角形(琴座ベガ、白鳥座デネブ、鷲座アルタイル)が光り輝いていました。
熊谷駅から2つ目の駅で乗って、下車のお花畑駅まで一時間くらいで着きました。
駅からは武甲山が結構威圧的に聳えていて、その頃の標高は1336メートルありましたので、標高差が1100メートルもあり、まじめに山歩きとして向き合える山でありました。
在りし日の武甲山の威容 ↓
この山は全山が石灰岩でできていて、そのためにセメント原料として採掘され、日本の戦後、高度経済成長、その後現在に至るまで人工築造物の原料を提供してきました。画面右側、山肌の剥き出しになった部分が石灰石の採掘現場です。
古くは日本武尊伝説から山の名前を引いて来たということでしたが、秩父地方のシンボル的な山として親しまれてきました。
しかし、石灰石採掘が進んだ現在では山の高さは1304メートルに減じられてしまい、山の形も変わり果て、かつてのように威厳ある姿ではなくなってしまいました。
小生が学生の頃は上述のように安い運賃で来られる山として、よく入っていましたが、三河に住むようになってからはこの山に来ることは無くなってしまいました。
「山歩きは秩父に始まり、秩父に終わる」・・・・とは、秩父の山に育てられた岳人の格言のように位置付けられている言葉ですが、ここの所小生もその言葉に回帰しつつあるような気がします。
カシバードで描いた、現在の地図データを反映した武甲山 ↓
秩父鉄道の御花畑駅から眺めた時の景色を想定していますが、大きな木や建物・人工構築物が眼前にあった時は景色は遮蔽されます。
「言うまいと 思えど今日の 暑さかな」という句は俳句なのでしょうか、それとも川柳?
連日、暑さが続いていて、愚痴と捉えれば川柳で、暑さに呻吟する身にとっては笑い事ではありませんよね。
そんな暑さの最中、カンカン照りの庭の中で涼を呼ぶような花を見つけてしまいました。
ツルボ ↓
有り難いことに自然界では季節のお約束を黙々と実行してくれる役者さんが居ます。
ヒオウギの咲いた後 ↓
真ん中では花が開いてドヤ顔をしていますが、右側はその一日後の姿で、こちらでは珍妙にくるくるっとねじれ込んでいます。
月齢19.4 ↓
昨(8/9日)晩23時頃の月です。東の空に薄く雲が掛かっていて、明るい月ではありませんでしたが、中天では雲が無くて、夏の大三角形(琴座ベガ、白鳥座デネブ、鷲座アルタイル)が光り輝いていました。
❶春4月、新入生が入学してくると全校生徒で、班路3ケ所ほどに絞り、集中登山を実施した。
❷バツ10時頃ボウが鳴り第1回の発破がかけられ、爆破で白い煙が立った。
・ 学窓や武甲青領母なる山
西の両神親父山 (縄)
そうでしたか、熊谷から、220円、懐かしき料金体系、今いくらであろうか・・・・。
、
小生は秩父鉄道の石原駅から乗り御花畑駅まで行きました。片道運賃はたしか110円でしたね。
帰りは橋立鍾乳洞のある浦山口駅側に下りました。
あのころは熊谷駅から終点の三峰口駅まで片道運賃が160円でしたね。
(藤倉のキャラバンシューズは1,750円でした。)
地元の学校では武甲山ハイキングは当たり前に行われていたのですね。
山肌の爆破・・・・・これは定時に行われていたのでしたか。
そういえば、山頂から秩父の街並を見下ろした時に、屋根がみな同じ(セメント)色になっていましたね。
あれは石灰石の微粉末が屋根に積もったからだと教えてもらいました。
秩父の山を詠んだ素敵な一首を頂きました。
武甲山から眺める両神山も良い姿でしたね。
両神山の秋景色も素晴らしいですね。小生はあれほど見事な紅葉を他の場所で見たことがありません。
拙庭でもツルボが侵入してきて、今咲いています。
セメントの原料や、生活用水、工業用水、電力供給などは地味ですが、屋台骨を支える重要な要素ですね。
山の形が哀れな姿に変わったことにより、都会のビル群があるわけですから仕方のないことと言えるのでしょうか。(小生的には残念がっていますが・・・・・)
ツルボは御庭でも咲いていますか?
御地方では他所から侵入するほど旺盛に生育していたのですか。
人間は一つの山をもぶっ壊す力を持っているんですね。まあ自然界でも時間がくれば全て壊れるんですけどなるべく生きて居る内は穏やかに推移して行って貰いたいものですね。
そう言えば冬の大三角形で確かベデルギウスはもう爆発して無くなっているのではとか聞いた様な気がしますがどうなっているんでしょうね。
宇宙は謎だらけですね。
武甲山の名前の由来としては「日本武尊が甲冑を奉納した」ことによるという伝承と聞いていますが、この言い伝えは元禄時代あたりから言われ始めた比較的新しいもののようです。
しかし、武骨な姿の山→武甲山というイメージは仰言るようにマッチしていますね。
山が削られて平地のビルディングの姿に変わって行く・・・・人間の営みは哀しいことに破壊行為を伴いますね。
今までのところ星座音痴でして、BeテルギウスのことをPeテルギウスと誤って認識していたくらいです。
オリオン座のあの星は640光年離れているということですが、この距離感は実感しにくいですね。
今見ているあの星の光は日本では南北朝?の時代に発した光なんですね。
その星が爆発して消滅しているとしたら、目の前の景色は絵空事となるのでしょうか?
宇宙の謎・・・・・なぜそれほどまでに広い必要があるのかそれも謎です。
最近、政治家のアホさ加減が良く判ります。無秩序な開発、原発の促進等、利権の為にとんでもないことが行われていたことをはっきり気づかされた次第です。
石灰岩の山なら山頂でより多くの花が期待できたと思います。
石灰岩の山はいろいろ共通点がありますね。
山麓にセメント工場を持っていて、その山には特有の植物相があること。
そしてなによりも、山容が崩されてしまうことなどですが、こういう点では武甲山、伊吹山、そして藤原岳などの名前がすぐに浮かんできますね。
不幸なことに武甲山は我が国最大の首都圏に対してセメントを供給するという使命を背負わされたことによって、山容の変化は急速度でした。
あの変貌を伊吹山や藤原岳も遂げていく運命にあるということはとても気がかりなことです。
よく、政治・経済と一括りにしてしまいますが、利権をあさる政治家は経済活動のダイナミズムの中ではたかだか狭い分野の悪銭に拘泥するちっぽけな存在なのかもしれません。
やはり経済活動全般の得体のしれない貪欲さに比べたら政治家個人の物欲や名誉欲なんてものは一過性の汚物でしかないのでしょうね。
そういえば豊橋郊外の石巻山も石灰岩質で、特異な植物群落がありましたね。
あそこでも小規模の石灰岩採掘がおこなわれているようです。