ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

1/9日 三ツ峠から清八山まで その1:木無山まで寒々とした冬木立のもとを歩く。

2016-01-15 07:10:23 | 草花
三ツ峠とは、木無山・開運山・御巣鷹山の三つの峰の総称だそうですが、最近では最高峰の開運山(1785m)に二等三角点があり、ここをどうやら三ツ峠山と呼ぶようになっているようです。
そこで今回は、当然、この三つの峰を歩くことにしました。

そして、小生は同じ道を往復するのがあまり好きではないので、周回コースとするために、清八山(せいはちやま)まで足を延ばして、林道を歩いて下ってくることにしました。
ただ単純にそう決めただけのことでしたが、これが大当たりでした。

山から下りてから知ったことですが、大月市が「秀麗富嶽十二景」というものを選定していて、(平成4年に公布)この十二景は、大月市域の山頂から望む美しい富士山を市のシンボルとし、併せてふるさとの自然をそのまま後世に伝えようと意図したもの・・・・だそうですが、その12番山頂がこの清八山であったのでした。

このシリーズは6回に分けてレポートしていきます。
位置図 ↓

前日のレポート部分、御坂隧道前の天下茶屋から少しだけ移動してきました。



鳥瞰図 ↓

カシバードで描画しました。



実行図 ↓

駐車地点から反時計回りで歩きました。



断面図 ↓

最後の林道歩きは、歩いている時は平坦だと思っていましたが、それでも200mほど下っていたのですね。



登山口 ↓

ここに車を置けたようですが、もう少し下の道路沿いの駐車スペースのほうに置いて、ここまで歩いてきました。



トイレまで・・・ ↓

流石に登山口ですね。トイレまでありました。



ここから始まる ↓

山道はここから始まりますが、残念なことに車道歩きです。行ってみてわかったことですが、木無山の頂上付近に山小屋があり、そこに自動車が何台か置いてありました。



冬木立 ↓

相変わらず広い道を行きます。あたりはこの地方特有の木立ですが、すべて裸木となっています。
太宰治と井伏鱒二の二人も、天下茶屋からこの道を歩いたのでしょうか。


朝陽差す ↓

山肌に朝陽が差してきました。時刻は午前7時14分でした。



霜柱 ↓

植物のシモバシラの氷柱はまだ見ていませんが、本物の霜柱のほうはしっかりしたものです。



山中を突き進む ↓

車道歩きを続けていくと、目指す場所に着けそうもないので、その道を捨て、山中に入ります。



目指す場所に来ると ↓

そこに来るとやはり良い景色が待っていてくれました。



アップ ↓

朝陽に輝く姿をアップで撮ります。頂上付近は昨晩のうちに降雪があったようで、雪化粧の面積が広がっています。




説明 ↓

この記事の冒頭で記述したことが明記されています。ここはもう広い木無山山頂の一角として良いと思います。



甲斐駒ケ岳 ↓

稜線を進むうちに左手に甲斐駒ケ岳が見えてきました。やや霞んでいますね。
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1/8日 御坂隧道手前の天下茶屋から御坂山と御坂峠を往復する。(下の段):富士山の夕景も印象的だった。

2016-01-14 07:11:36 | 草花
太宰治はこの天下茶屋から眺める富士山に対して、複雑な感じ方をしていたようです。
「富嶽百景」の中から引用してみます。
引用開始:
>この峠は、甲府から東海道に出る鎌倉往還の衝しように当つてゐて、北面富士の代表観望台であると言はれ、ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞへられてゐるのださうであるが、私は、あまり好かなかつた。好かないばかりか、軽蔑けいべつさへした。あまりに、おあつらひむきの富士である。まんなかに富士があつて、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲うづくまつて湖を抱きかかへるやうにしてゐる。私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた。・・・・・(引用終了)

尤もその当時の文人も同じようなことだったかもしれませんし、「日本百名山」を著した深田久弥でさえも手放しでほめちぎっているわけではなくて、気恥ずかしさを含みながら、「偉大なる通俗」と呼びながらも、その偉大さに兜を脱がざるを得ないと白状しています。

そんな思いを含みながらこのレポートを進めます。
天下茶屋の手前から ↓

河口湖が見えています。天下茶屋前の旧街道からこのように見えます。
これを見て、太宰のように狼狽し、恥ずかしく思いますでしょうか?



太宰治の文学碑 ↓

太宰の死後、井伏鱒二らの発案で建立されたと聞きました。



碑文 ↓

真っ暗になってからフラッシュを焚いて撮りました。(昼は光の乱反射で全く判読不能でした。)
「富士には月見草がよく似合ふ」とあるようですが、この筆体は彼の著作「右大臣実朝」の自筆原稿から集字したものだそうです。



旧御坂隧道 ↓

太宰の文学碑を見てから一旦車に戻り、靴を履き、食料、ヘッドライトを持ち、御坂山、御坂峠往復をすることにしました。



山歩き開始 ↓

枯れ葉が散り敷く道を歩き始めます。



ホソバシャクナゲ ↓

道端に同じくらいの大きさのホソバシャクナゲが何度か出てきました。おそらく天竜水系から移植したものではないでしょうか。



枝の向こうに三つ峠山 ↓

枝の向こうに、夕日に照らされて、次の日に歩く三つ峠山の峰の一つ、御巣鷹山が見えています。



強烈な西日 ↓

あたりに西日が強烈に当たっています。次の日の好天が約束されたようです。



稜線到着 ↓

稜線に着き、これを左に曲がり、稜線歩きになります。時刻は午後4時18分で、日没まで40分ほどあります。



夕陽に浮かぶ富士山 ↓

あたりはひっそりとしていて、富士山をひとり鑑賞しています。



御坂山山頂 ↓

第一目的の御坂山の頂に着きましたが、木の枝に邪魔されて富士山の眺望は得られません。
時刻は午後4時46分で、そろそろ日没タイムですね。
なおも稜線を西進します。



日没時の富士山 ↓

時刻は午後4時54分。このあたりが日没直後なのでしょうね。



色を失う ↓

富士山も色彩がなくなってきました。河口湖は鈍く光って見えます。



御坂峠着 ↓

御坂峠には午後5時15分に着きました。まだ空に明るさが残っています。
ここで持ってきたご飯を食べます。



夕闇迫る ↓

枝越しに富士山と河口湖を見ながら道を戻ることにしました。この後すっかり暗くなっても、天下茶屋に戻るまで富士山は、木の枝越しですが、シルエットで何度か見えていました。



稜線から下る ↓

あたりはどっぷり暮れて、午後6時24分。稜線からの下降点に戻って来ました。
空を見上げると、満天の星が恐ろしいほど、大きく・明るく輝いています。



太宰文学碑前からの夜景 ↓

午後7時ジャスト付近に戻って来ました。これから三つ峠の登山口まで行って、そこで一夜を明かすことになります。
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1/8日 ノーマルタイアで御坂峠の天下茶屋まで行けてしまった。(上の段):富士山三昧の一日

2016-01-13 07:11:42 | 草花
小生の車はノーマルタイアしかつけていません。
冬の間はスタッドレスタイアで走るような道には入らないことを前提としています。
でも、突然の降雪に走らねばならないことも考慮して、タイヤチェーンは用意していますが、きっと装着には手間取ることでしょう。

先日、ネット上で富士山の北側、河口湖のそばの御坂峠まで、1月3日に走った人が路面凍結がなかったことを記事にしていて、それを読んだ時に、「それならば三つ峠を歩けそうだ・・・」と、にわかに閃いてしまいました。

正月3日から、ずっと雨や雪は降っていないので、路面は乾いたままの筈ですから、「今のうちに行っておこう・・・」という気持ちが強まり、8日の朝に家を出て一路、御坂峠に向かうことにしました。
最初の目的地は旧街道沿い、御坂隧道手前の天下茶屋ですね。
ここは太宰治と井伏鱒二が逗留して執筆活動をしていた場所であり、太宰の著書「富嶽百景」の中で、
「富士には月見草がよく似合う」という言葉を織り込んだ、その眺めの場所でもあります。

「富嶽百景」中で、太宰は下の町に出かけた帰り道に、バスに乗り、隣に座った、老婦人の振る舞いに心惹かれています。
以下引用:
>
老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
 さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。
 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙あひたいぢし、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。・・・・・・(引用終了)


せっかくの太宰の言葉ではありますが、これが一つの比喩的表現とは理解していますが、小生的には富士山に月見草は、まったくミスマッチだと思っています。

旧道の御坂道・そこの天下茶屋に行くまでの道中は富士山がずっとよく見えていました。
そして天下茶屋から御坂山・御坂峠まで歩いて日暮れになりましたが、夕景の富士山も一味違った姿に思えました。

その一日を上・下二つの段に分けてレポートします。
蒲原付近から見た富士山 ↓

前山の上に姿を見せています。



富士川左岸道の駅から ↓

道の駅から見えなかったので、店の人に聞いたところ、建物の中央部に屋上に出られる階段があり、それで、屋上に出たところ、この姿がありました。宝永火山が右側に見えています。



富士山の西側 ↓

富士市からは富士山の山裾の遠くを時計回りで周回するようになります。ここからでは宝永火山が見えません。



ビューポイントから ↓

道にわざわざ「ビューポイント」という施設を案内していたので、そこに立ち寄りました。
ここからですと真正面に”大沢崩れ”が見えています。



”大沢崩れ”のアップ ↓

かなり激しく崩れていますね。地表の皮の薄くなったところから、噴火しないものでしょうか。



北西斜面 ↓

だいぶ回り込んで北西側に来ています。雲が邪魔のようでいて、山体を隠していませんので、これも景色として受け入れておきます。



御坂隧道手前の峠の茶屋 ↓

旧道に入りすぐに御坂隧道(すいどう=トンネル)のところに着きました。これから奥は冬期通行止めです。
道の右側に峠の茶屋がありました。この茶屋で太宰治が60日ほど逗留して執筆活動をしていたのです。
彼は先に来ていた井伏鱒二とともに逗留し、井伏が街に帰った後も居続けたのでした。

ここから太宰は井伏鱒二とともに三つ峠山に登っているのですが、小生もそれに倣いたいと思って来ています。

なおこの峠の茶屋のことを「天下茶屋」ともいいます。
そのいわれは、正面に臨むその絶景から富士見茶屋、天下一茶屋などと呼ばれていたものを、徳富蘇峰が新聞に天下茶屋と紹介したことがきっかけで、「天下茶屋」と呼ばれるようになったそうです。
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12/29日 金山と雨生山 その4(最終記事):南アルプスの眺望を満喫して下山する。

2016-01-12 07:14:03 | 草花
雨生山の北側斜面の眺望を楽しんでいます。
名残りは尽きないのですが、もう時刻が午後4時10分を過ぎていて、日没近いところで、あまりゆっくりとしてもいられなくなっています。
急斜面をゆっくりと下り始めます。もう、車を置いた場所に戻るまでは休みを入れることはないでしょう。

この記事で最終となりますが、山岳眺望の続きから始めます。
南アルプスの南部まで ↓

ここでは赤石岳から信濃俣岳まで入っています。遠州から真っ直ぐに帰宅せず、ここに立ち寄り正解でした。こういう眺めを見ておきたかったからです。



信濃俣と不動岳 ↓

もうここから南は特徴に乏しくなり、とても覚えきれません。


城山 ↓

ここも愛知と静岡の県境の山ですが、山頂は愛知県側にあるようです。この山も頂に鉄塔を有しています。



恵那山と大川入山 ↓

二つの山に挟まれて、三河の碁盤石山が見えています。



三河の山と恵那山群の競演 ↓

碁盤石山の左背後に恵那山の山体の一部が写り、その碁盤石山は鞍掛山とタッグを組んで大川入山を挟んでいるかのように見えます。



愛知県の海岸近くの山 ↓

西空に浮かんでいるのは、海岸近くの御堂山と五井山です。



西日に急かされて・・・

西日に急かされるかのようにして、急斜面を下って行きます。



下りの斜面 ↓

下りの道は小笹が茂り、不明瞭になってきています。



赤い山頂 ↓

振り返ると西日に照らされて雨生山の山頂が赤く見えます。



進行方向 ↓

それに対して、平地の方面はもう日が差さずに、陰鬱に見えてきました。



ソヨゴ ↓

ソヨゴに西日があたり、賑やかに見えました。



サルトリイバラ ↓

サルトリイバラの実でさえも、目にとてもありがたい眺めとなっています。



山麓の様子 ↓

人里に随分近づいてきました。



最後の鉄塔 ↓

これを下りると人里になります。



下山地点 ↓

笹藪からひょっこり出たところに道があり、うろうろしていたら、民家の犬二匹にこっぴどく吠えられてしまいました。



山里歩き ↓

日没の10分前ですが、日は山の向こう側に隠れましたので、あたりはもの寂しい感じになってきています。



本宮山 ↓

本宮山も寒そうに見えます。



雨生山 ↓

今歩いてきたところをもう一度眺めます。もう日は当たってはいません。



シナヒイラギ ↓

畑の際にこんなものが植えられていました。



クヌギの枯木立 ↓

つい半月前にこの木を見た時にはまだ葉がついていて、黄金色に輝いていましたが、もう裸木になってしまいました。



シキミ ↓

こんなに早く咲いてしまって、これからどうなるのでしょうか。



帰着 ↓

車を置いた場所に戻りました。日没タイムよりも8分くらい遅くなったようです。
遠州から三河の山まで、広く楽しめた一日でした。
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12/29日 金山と雨生山 その3:雨生山山頂、下りの北側斜面からの眺望

2016-01-11 07:14:38 | 草花
成人の日の今日は、鏡開きの日でもあります。
新成人のお祝いは、鏡開きのお餅入りのお汁粉でもよさそうですね。

「寒」に入ってから六日になりますが、一年で一番寒いはずの期間ですが、この冬はもう一波乱ありそうで、油断できません。
スキー場の雪不足はどうなっているのでしょうか。

今回は展望丘の眺望の続きから入り、雨生山の山頂に至り、そこから北側の斜面を下る道筋をレポートします。

金山 ↓

歩いてきた金山の山頂は西日が当たっています。



不動岳 ↓

南アルプス南部の不動岳が三河の山の向こうにちょこんと頭を出しています。



山村風景 ↓

眼下には麗しい山村風景があります。



新東名高速道路 ↓
山の中腹に新東名高速道路が通っています。あの区間はもうじき開通することになっています。
これにて展望丘とお別れして、雨生山の山頂を目指します。



稜線の道 ↓

この道も愛知県と静岡県の県境になっています。



浜名湖 ↓

浜名湖の湖水の色がきれいに表れています。時刻は午後4時少し前になりました。



カマツカ ↓

矮小化したカマツカの木に実がなっています。



三ヶ日の集落 ↓

東名高速道路と静岡県側の三ケ日の集落とその背後に浜名湖が見えています。



笹をかき分けて ↓

山頂間近では笹が道に覆いかぶさるように生えています。



山頂のケルン ↓

雨生山山頂に着きました。ケルンも笹に埋もれるような感じになってきています。



山頂から浜名湖 ↓

浜名湖の見納めです。これから真っ直ぐ北に下って行きますので、もう浜名湖を見ることはできなくなります。



一応案内板アリ ↓

山頂から真っ直ぐ北に下る道は、廃道になりつつありますが、それでも案内看板は残っています。



笹のトンネル ↓

山頂からの下り道はさっそく笹のトンネルの洗礼を受けます。



下界の見晴らし ↓

笹のトンネルを抜けると、見晴らしの良い道になります。
もう日が翳って来ていて、長い影の中に東名高速道路が呑み込まれています。



吉祥山と本宮山 ↓

目の前に吉祥山、そしてその右奥に本宮山が見えています。



恵那山

目を遠くにやると恵那山も見えています。



大川入山と鞍掛山 ↓

少し動いたので、展望丘の時よりも、大川入山の見え方が良くなりました。



宇連山と鳳来寺山 ↓

見る位置が変わったことによって、宇連山手前の、鳳来寺山の見え方が、だいぶ分かりやすくなりました。



鞍掛山から宇連山まで ↓




三ツ瀬明神山 ↓

西日が遠くの山を際立たせています。



南アルプスの連鈴 ↓

ここでの眺めが最後のものとなります。



3000mを超す重鎮たち ↓

3000mを超す嶺には雪がついています。
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