ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

1/9日 三ツ峠から清八山まで その6(最終記事):清八山から大幡八丁峠まで戻り、林道歩きで下山

2016-01-20 07:10:18 | 草花
1月9日に歩いた三ツ峠山周辺のレポートはこれにて終わります。
8日、9日と二日とも天気に恵まれて、富士山を間近に見ることができて、目標を達成できました。
そのほかに、久しぶりに東方面への遠征で、三河や鈴鹿の山にはない林相・山容に出逢えて、これも目に新しいことでした。

もしも叶うことでしたら、今度は花の咲く時期にもう一度この山域を歩きたいと思いました。
最後のところをレポートいたします。

奥秩父の西端 ↓

奥秩父の西端の金峰山と国師岳は手前の木の枝に邪魔されています。あの山域も近いうちにいつかは・・・歩いてみたいものです。



八ヶ岳 ↓

八ヶ岳方面はやっと雲が切れ始め、目を凝らせばスカイラインが見えています。
あそこも魅力的な山塊ですね。


甲府盆地 ↓

甲府盆地は甲斐駒ヶ岳と鳳凰三山のふもとに見えていました。サラリーマン時代に仕事で甲府駅の近くに半年ほど滞在したことがありました。そこからは鳳凰三山も甲斐駒ヶ岳もよく見えました。



南アの重鎮三座と手前に釈迦が岳 ↓

南アの重鎮三座(聖・赤石・荒川)の手前にピラミッドのように見える山は釈迦が岳(1641m)です。



山頂を辞す ↓

もう一度富士山を見て、山頂から下って行きます。時刻は午前11時20分のことでした。時間的に富士山はややシルエット気味になります。



大幡八丁峠に戻る ↓

峠に戻ったのは11時35分のことで、そろそろお腹が空いてきました。風の来ない日当たりの良い場所を見つけたら、そこで昼食を摂ることにします。峠から林道に入っていきます。



昼食は富士山を見ながら ↓

林道上でおあつらえ向きの場所が見つかりました。目の前には富士山が見えていますが、立ち木に邪魔されてもいます。ここで豪華な眺めを見ながら、粗食ですが、贅沢な昼食となりました。


林道歩き ↓

食後、林道を下って行きます。



ススキの穂波 ↓

ススキの穂に日が当たり、輝いて単独行者を迎えてくれます。



材木のまとまり ↓

路上に伐り出した材木が長さを揃えて積んであります。この杉は今後、材としてどんな活躍の場があるのでしょうか。



山中で見る最後 ↓

富士山を山中で見る最後の場面になりました。大沢崩れの最上部分にズームで思い切り近づきますと、昨晩の新雪でしょうか、輝いていました。



出口のゲート ↓

林道歩きは40分足らずであっけなく終わってしまいました。



登下山口着 ↓

トイレのある登山口まで戻って来ました。


帰着 ↓

車を置いた場所に着いたのは12時40分のことで、歩き始めてからおよそ6時間後のことでした。
最近の小生の山歩きの中では、とても早い歩き終わり時刻でありました。
ここで入念にストレッチをしてから、車に乗り、家を目指します。
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1/9日 三ツ峠から清八山まで その5:稜線上の大幡山・八丁峠を経て清八山に至る。

2016-01-19 07:13:28 | 草花
その昔、学生のころに秩父の山や尾瀬をよく歩きましたが、それは今から半世紀ほど昔の事であり、生活の場を中部圏に移してからは、箱根から東に出かけることは、ほとんどなくて、この付近の山を見ても、全くその名前が分からないというのが実情です。

御巣鷹山から清八山(せいはちやま)まで尾根歩きをしていますが、木の間から時々ちらちらと見える山の中にも、特徴的な姿があって、もしも近くに住んでいるのならきっと、登行欲に駆られそうだと思えるような山がゾロゾロ出てきました。
名前が全然わからないので、とりあえず写真だけは撮っておいて、家に帰ってからカシバードで同定しようということになりました。

この山座同定作業がとても楽しいのですが、結構時間もかかる、”面白くて厄介な”事になりました。
今回は尾根歩きを続けて、稜線上にある大幡山、八丁峠を経て、清八山に至り、そこから絶景を眺めるところまでのレポートです。
大幡山 ↓

御巣鷹山から稜線歩きを続けてきましたが、1時間とちょっと歩いて、大幡山に来ました。
ここでは木の枝に眺望を妨げられていたので、休憩を入れずに通過します。




大月・都留の山並み ↓

時々右方向に見通しが利くようなことがあります。ところが、この山域は自分的にはなじみのないところですので、山名が全然わかりませんでしたが、帰宅後にカシバードにていろいろやって、遊ばせてもらいました。



丹沢の山並み ↓

丹沢の山並みも、新幹線の車窓から眺める程度で、たいしてなじみがありませんので、これも全面的にカシバードにお任せでした。しかし、あの山塊を近い将来歩いてみたいと念願しています。



八丁峠 ↓

道標には「大幡八丁峠」とわざわざ「大幡」が余分についているところを見ると、この山域でほかにも「八丁峠」があるのかもしれません。
御巣鷹山から1時間と10分ほどかかってここまで来ました。
当初の計画ではここから林道に下りてしまう予定でしたが、途中で行き会った人から「清八山山頂からの眺めが素晴らしい」ことを聞き、八丁峠に来るまでの眺望が木の枝にさえぎられてさっぱりだった不満もあって、この峠は通り過ぎて清八山まで足を延ばすことに決めていました。
山上の眺望を楽しんでからまたここに戻ってくればよいと考えました。



清八山(せいはちやま)まで ↓

大幡八丁峠と清八山の標高差はおよそ110メートルほどありますが、この区間の歩きでは、あたりの木立がどんどん美しくなっていくように感じられて、楽しいものでした。



富士山 ↓

稜線上に高い木がなくなると、待望の眺望が広がっています。山頂までは、もう一登りします。



山頂 ↓

山頂には女性の混じった団体さんがいて、そのほかに単独行者、少し後に男女連れが登ってきました。
やや狭い山頂からは願っても、滅多にないような山岳景観がありました。



山頂の標示板 ↓

ここでこの山名の清八山は「せいはちやま」と読むことが分かりました。
そして「秀麗富嶽十二景」という七文字の言葉に興味がわきました。帰宅後に調べると、(その1で記述したことですが・・・)
それは、大月市が選定したもので、(平成4年に公布)その十二景とは、大月市域の山頂から望む美しい富士山を市のシンボルとし、併せてふるさとの自然をそのまま後世に伝えようと意図したものだそうです。この清八山はその第十二番だったのでした。



南アルプスの重鎮三座 ↓

左から聖岳、赤石岳、荒川岳と3000mを超す、お歴々がきっぱりと見えています。



こちらは甲斐の白根(三山) ↓

これも3000mを超す三山の日本一の連なりで、左から農鳥岳、間ノ岳、北岳がそびえます。



塩見岳 ↓

重鎮三座と甲斐の白根(三山)の間にこれも3000mを超す塩見岳が見えています。



鳳凰三山 ↓

白根三山の右には鳳凰三山がありますが、その左肩に雪をかぶった山がわずかに見えています。
その山は仙丈ケ岳で、これも3000mを超す峰になります。



甲斐駒ヶ岳 ↓

南アルプスの高峰の締めくくりは甲斐駒ヶ岳で、この日はずっと薄く靄が掛かっていました。



御坂山と黒岳 ↓

前日歩いた御坂山は、黒岳に呑み込まれるような形で、稜線上にありました。
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1/9日 三ツ峠から清八山まで その4:御巣鷹山から清八山(せいはちやま)目指して尾根歩き

2016-01-18 07:12:15 | 草花
一月九日は天気が良くて、山中ではとても見通しの利く、絶好の展望日和でありました。
開運山の山頂で、山岳展望を楽しんだ後、御巣鷹山に行き、そこでの眺望を期待していましたが、御巣鷹山では、付近を歩き回ったのですが、施設に邪魔されて全く眺望が利きませんでした。

御巣鷹山から稜線を北上して約2.5km先の清八山まで歩く道筋での眺望に期待しながら歩を進めますが、道の両側の立ち木に視界を邪魔されてほとんど、視界不良の状態でした。
この稜線歩きで、向かい側から歩いてくる人もあるわけですが、清八山の眺望を聞いたところ「絶景」があるということでしたので、それに期待して、歩くことになりました。

なお、最初の行動予定では肝心の清八山には行かずに、その手前で稜線から下りてしまう予定でしたが、この稜線歩きで眺望に対する不平が募ったおかげで、予定になかった清八山訪問が実現したのでした。
(清八山山頂からの眺望は次回の掲載予定となります。)

鳳凰三山 ↓

開運山からの眺望が残っていましたので、それを二つ続けます。
鳳凰三山は甲府盆地からよく見える山並です。右の地蔵岳の天辺に”オベリスク”という岩塔がそそり立ちますが、画では確認できるかどうかの見え方をしています。



甲斐駒ケ岳 ↓

これも甲府盆地から胸のすくようなピラミッドを見せてくれます。山頂は花崗岩で、夏でも白いので、雪が残っているように見えます。雪の少ない今冬はあの白さは、雪なのか、花崗岩なのかよく判りません。



御巣鷹山 ↓

三ツ峠の三つの山=木無山は通って来て、今いるのは最高峰の開運山ですが、残るは500m先に見えているあの御巣鷹山になりました。 これからあちらに向かって歩いていきます。



建造物のわきを通る ↓

まずは山頂直下の建造物の脇を通り抜けます。



鞍部から登り返し ↓

一旦鞍部に下りてから、登り返していきます。



途中で ↓

その途中で木の間から南アの重鎮が見えていました。左から聖岳・赤石岳・荒川岳です。



御大も ↓

御大富士山も、枯れ枝一本に邪魔されながら顔を出してくれます。



大アンテナ ↓

御巣鷹山の山頂に着き、施設の周りをぐるっと一回りしますが、眺望の得られる場所が全く見当たりません。幾分かは気落ちしながらも、ここで朝御飯を摂ることになりました。



稜線歩きの入り口 ↓

朝食後に、これから行く2.5kmの稜線歩きの入り口に来ました。



まずは下り ↓

やっと山道らしい道になりました。とりあえず目指すのは、当初、下降点とした大幡山の八丁峠です。



稜線歩き ↓

稜線歩きをしていると後ろの方から、クマ除けの鈴の音が「ちりんちりん」としてきます。
小生は一人歩きの時にはこの鈴の音さえも、押しつけがましくて煩わしく感じますので、その音源の人を先に行かせます。
道端に時々大木が出てきます。



三頭山(みとうさん) ↓

こちらの方に来たことがないのでまるきり、山の名前が分かりません。
帰宅後にカシバードで調べたところ、東京都と山梨県の境目にあり、山頂は東京都側にある三頭山(みとうさん=1531m)でした。ここから見るとよい山容ですが、あそこからの眺めも相当なものだそうで、日本三百名山にも選定されているそうです。



ブナの大木 ↓

尾根上に所々ブナの大木が現れます。見上げてきれいな空とともに撮っておきます。



白根三山 ↓

時々は南アルプスの雪嶺が見えますが、すべての場合で、木の枝に邪魔されてしまいます。
このことによって、鬱憤がたまっていきます。
左から農鳥岳・間ノ岳・北岳で、この山塊は、連なりとしては日本一の高さになります。
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1/9日 三ツ峠から清八山まで その3:最高地点の開運山山頂からの、壮大な眺望を続けます。

2016-01-17 07:13:58 | 草花
御坂隧道手前の天下茶屋に逗留する井伏鱒二に呼び寄せられて、太宰治がこの茶屋に来てから、二・三日後に、二人して三ツ峠に登ったそうです。そのことは「富嶽百景」の中に書かれています。

その時のいでたちは井伏は”ちゃんとした登山服”だったようですが、太宰は天下茶屋から借りた”毛臑けづねは、一尺以上も露出したドテラ姿”であったようです。
足ごしらえはこれも”茶屋の老爺から借りたゴム底の地下足袋”だったそうです。
この人なりに”這うように”苦労して登った山頂でしたが、生憎の霧のために、視界はゼロだったようですが、ここで変なことが書かれています。

それは、・・・・・
「頂上のパノラマ台といふ、断崖だんがいの縁へりに立つてみても、いつかうに眺望がきかない。何も見えない。井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた。いかにも、つまらなさうであつた。」(富嶽百景より抜粋)
このくだりですね、後年、井伏はそんなこと(放屁)はしなかったとムキになっていたそうです。

時を経て昭和23年6月に太宰は愛人とともに入水自殺を遂げますが、死の前に書いたメモには、死ぬ理由を「小説を書くのがいやになったからです」とあり、続けて「みんな いやしい慾張りばかり 井伏さんは悪人です」と書かれていたそうです。

学生として上京した始めは井伏鱒二を師と仰いで、面会を申し込み、「会ってくれなければ自殺する」
と脅して、師弟としてのお付き合いが始まったようですが、最後は凄いことになりましたね。

井伏鱒二が山頂で放屁したかどうかは定かではありませんが、”遺書としての書き付け”のこちらは、太宰の”最後っ屁”ということになりそうです。

最高地点開運岳(三ツ峠山)からの絶景を続けます。
八ヶ岳方面 ↓

八ヶ岳方面は生憎、雲に隠れていました。


大室山方面 ↓

前日には、大室山の裾をかすめて走って来たのでした。



毛無山 ↓

毛無山は今立っている頂よりも、160mほど高い標高を有します。



毛無山アップ ↓

かなり良い姿の山でしたのでズームしてみます。



十二ヶ岳 ↓

目の前で割合大きな容量に見えるこの山は、こちらよりも100m近く低い頂です。



南アルプスのお歴々 ↓

聖岳・赤石岳・荒川岳・塩見岳と3000mを超す嶺が並んでいます。



その前に ↓

南アルプスの峰の前には大きく黒岳がそびえます。



白根三山から鳳凰三山まで ↓

塩見岳の右には日本一高い山の連なりの白根三山が見えています。



甲斐駒ヶ岳と甲府盆地 ↓

北岳から右には鳳凰三山と甲斐駒ケ岳、そしてその前庭のように甲府盆地が広がります。



富士五湖の一部 ↓

奥に本栖湖、そして手前は精進湖のようです。



南アルプスの南部 ↓

雪を頂いた峰が、稜線越しにちらちら見えています。



重鎮三座 ↓

三河から見るのとでは左右の並び方が逆転しますが、存在感は相変わらずのものがあります。



赤石岳 ↓

赤石岳にズームで近づきます。



荒川三山 ↓

荒川三山の三つの峰も、それぞれ離れてみえています。
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1/9日 三ツ峠から清八山まで その2:最高地点の開運山(三ツ峠山)では、凄い眺望があった。

2016-01-16 07:17:40 | 草花
軽井沢でのスキーバスの事故は悲惨すぎました。亡くなられた方の冥福を祈ります。

三ツ峠山には木無山・開運山・御巣鷹山と三つの峰があるとインプットできましたが、いま歩いている木無山はちょっとわからない部分がありました。
というのは、山頂部分がとても広くて高度差も少ないのでどこが山頂だか見当がつかなかったのです。
ここに入る前は、昨日の記事のところが山頂にも思えましたが、それは1732mの地点であり、そこから400mほど北東にもう少し高いところがあり、そこが木無山の山頂のようです。

そのことには、山行後、家に帰ってから気づきました。
現地では気づいてはいませんでしたが、その場所の写真はしっかり撮ってありました。

木無山の山頂部の一角で ↓

ここでも三つの峰の総称として三ツ峠山と呼んでいるとありますが、実態は最高峰の開運山を指すようになって来ているようです。
富士山を従えた看板とは贅沢です。



山小屋 ↓

地図上の木無山山頂の間近に「三つ峠山荘」という山小屋がありました。この横にジープがありましたので、あの林道は山の頂上まで来ていたようです。



木無山の山頂 ↓

山小屋から最高峰の開運山に向かう途中で、小広い禿山風の裸地があります。
ここが地図上の木無山の山頂のようです。 この時はそのことを知らずに写真を撮るだけで通り過ぎました。



開運山 ↓

あの場所が最高地点の開運山(三ツ峠山)のようです。



取付き ↓

コブの根元に来て、ここから最後の部分に取付きます。高度差は50メートル程度です。



最後の部分 ↓

空が限られていますので、あれが最高地点なのでしょう。



開運山山頂 ↓

頂に着くと、そこはこんなところでした。



二等三角点 ↓

1785.2mの二等三角点標です。



石碑の先に ↓

「三ツ峠」とだけ書かれた石碑の裏側には「昭和37年5月建立 河口湖町長小林武郎書」と刻まれていました。
その石碑の先にワクワクするような大景観が広がっています。



開運山の施設

枝の向こうに見えるのはどうもNTTの施設のようです。



広い裾野 ↓

広い裾野を入れて、レンズの画角の許せる範囲内で撮りました。



山体を ↓

今度は少しズームして山体の上部分を撮ります。時刻は午前8時31分でした。



近場の山と遠くの南アルプス ↓

天気が良いので近場の山も、遠くの山もよく見えています。
眼下の裸地は先ほど知らずに通りすぎた木無山の地図上の山頂のようです。



懐かしい山域 ↓

西北西の方角に学生時代に歩いた奥秩父の西端に位置する山並みが見えています。
とても懐かしい山域です。
あの頃の小生の住む地方では、「山登りは奥秩父に始まり、奥秩父で終わる」と言われていました。
卒業後には雁坂峠を一度しか歩いていませんから、もう50年近くご無沙汰していますので、一度ご挨拶に行かねば・・・・と思っている山域です。
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