ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

1/9日 三ツ峠から清八山まで その3:最高地点の開運山山頂からの、壮大な眺望を続けます。

2016-01-17 07:13:58 | 草花
御坂隧道手前の天下茶屋に逗留する井伏鱒二に呼び寄せられて、太宰治がこの茶屋に来てから、二・三日後に、二人して三ツ峠に登ったそうです。そのことは「富嶽百景」の中に書かれています。

その時のいでたちは井伏は”ちゃんとした登山服”だったようですが、太宰は天下茶屋から借りた”毛臑けづねは、一尺以上も露出したドテラ姿”であったようです。
足ごしらえはこれも”茶屋の老爺から借りたゴム底の地下足袋”だったそうです。
この人なりに”這うように”苦労して登った山頂でしたが、生憎の霧のために、視界はゼロだったようですが、ここで変なことが書かれています。

それは、・・・・・
「頂上のパノラマ台といふ、断崖だんがいの縁へりに立つてみても、いつかうに眺望がきかない。何も見えない。井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた。いかにも、つまらなさうであつた。」(富嶽百景より抜粋)
このくだりですね、後年、井伏はそんなこと(放屁)はしなかったとムキになっていたそうです。

時を経て昭和23年6月に太宰は愛人とともに入水自殺を遂げますが、死の前に書いたメモには、死ぬ理由を「小説を書くのがいやになったからです」とあり、続けて「みんな いやしい慾張りばかり 井伏さんは悪人です」と書かれていたそうです。

学生として上京した始めは井伏鱒二を師と仰いで、面会を申し込み、「会ってくれなければ自殺する」
と脅して、師弟としてのお付き合いが始まったようですが、最後は凄いことになりましたね。

井伏鱒二が山頂で放屁したかどうかは定かではありませんが、”遺書としての書き付け”のこちらは、太宰の”最後っ屁”ということになりそうです。

最高地点開運岳(三ツ峠山)からの絶景を続けます。
八ヶ岳方面 ↓

八ヶ岳方面は生憎、雲に隠れていました。


大室山方面 ↓

前日には、大室山の裾をかすめて走って来たのでした。



毛無山 ↓

毛無山は今立っている頂よりも、160mほど高い標高を有します。



毛無山アップ ↓

かなり良い姿の山でしたのでズームしてみます。



十二ヶ岳 ↓

目の前で割合大きな容量に見えるこの山は、こちらよりも100m近く低い頂です。



南アルプスのお歴々 ↓

聖岳・赤石岳・荒川岳・塩見岳と3000mを超す嶺が並んでいます。



その前に ↓

南アルプスの峰の前には大きく黒岳がそびえます。



白根三山から鳳凰三山まで ↓

塩見岳の右には日本一高い山の連なりの白根三山が見えています。



甲斐駒ヶ岳と甲府盆地 ↓

北岳から右には鳳凰三山と甲斐駒ケ岳、そしてその前庭のように甲府盆地が広がります。



富士五湖の一部 ↓

奥に本栖湖、そして手前は精進湖のようです。



南アルプスの南部 ↓

雪を頂いた峰が、稜線越しにちらちら見えています。



重鎮三座 ↓

三河から見るのとでは左右の並び方が逆転しますが、存在感は相変わらずのものがあります。



赤石岳 ↓

赤石岳にズームで近づきます。



荒川三山 ↓

荒川三山の三つの峰も、それぞれ離れてみえています。
コメント (4)
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