小生の車はノーマルタイアしかつけていません。
冬の間はスタッドレスタイアで走るような道には入らないことを前提としています。
でも、突然の降雪に走らねばならないことも考慮して、タイヤチェーンは用意していますが、きっと装着には手間取ることでしょう。
先日、ネット上で富士山の北側、河口湖のそばの御坂峠まで、1月3日に走った人が路面凍結がなかったことを記事にしていて、それを読んだ時に、「それならば三つ峠を歩けそうだ・・・」と、にわかに閃いてしまいました。
正月3日から、ずっと雨や雪は降っていないので、路面は乾いたままの筈ですから、「今のうちに行っておこう・・・」という気持ちが強まり、8日の朝に家を出て一路、御坂峠に向かうことにしました。
最初の目的地は旧街道沿い、御坂隧道手前の天下茶屋ですね。
ここは太宰治と井伏鱒二が逗留して執筆活動をしていた場所であり、太宰の著書「富嶽百景」の中で、
「富士には月見草がよく似合う」という言葉を織り込んだ、その眺めの場所でもあります。
「富嶽百景」中で、太宰は下の町に出かけた帰り道に、バスに乗り、隣に座った、老婦人の振る舞いに心惹かれています。
以下引用:
>
老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙あひたいぢし、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。・・・・・・(引用終了)
せっかくの太宰の言葉ではありますが、これが一つの比喩的表現とは理解していますが、小生的には富士山に月見草は、まったくミスマッチだと思っています。
旧道の御坂道・そこの天下茶屋に行くまでの道中は富士山がずっとよく見えていました。
そして天下茶屋から御坂山・御坂峠まで歩いて日暮れになりましたが、夕景の富士山も一味違った姿に思えました。
その一日を上・下二つの段に分けてレポートします。
蒲原付近から見た富士山 ↓
前山の上に姿を見せています。
富士川左岸道の駅から ↓
道の駅から見えなかったので、店の人に聞いたところ、建物の中央部に屋上に出られる階段があり、それで、屋上に出たところ、この姿がありました。宝永火山が右側に見えています。
富士山の西側 ↓
富士市からは富士山の山裾の遠くを時計回りで周回するようになります。ここからでは宝永火山が見えません。
ビューポイントから ↓
道にわざわざ「ビューポイント」という施設を案内していたので、そこに立ち寄りました。
ここからですと真正面に”大沢崩れ”が見えています。
”大沢崩れ”のアップ ↓
かなり激しく崩れていますね。地表の皮の薄くなったところから、噴火しないものでしょうか。
北西斜面 ↓
だいぶ回り込んで北西側に来ています。雲が邪魔のようでいて、山体を隠していませんので、これも景色として受け入れておきます。
御坂隧道手前の峠の茶屋 ↓
旧道に入りすぐに御坂隧道(すいどう=トンネル)のところに着きました。これから奥は冬期通行止めです。
道の右側に峠の茶屋がありました。この茶屋で太宰治が60日ほど逗留して執筆活動をしていたのです。
彼は先に来ていた井伏鱒二とともに逗留し、井伏が街に帰った後も居続けたのでした。
ここから太宰は井伏鱒二とともに三つ峠山に登っているのですが、小生もそれに倣いたいと思って来ています。
なおこの峠の茶屋のことを「天下茶屋」ともいいます。
そのいわれは、正面に臨むその絶景から富士見茶屋、天下一茶屋などと呼ばれていたものを、徳富蘇峰が新聞に天下茶屋と紹介したことがきっかけで、「天下茶屋」と呼ばれるようになったそうです。
冬の間はスタッドレスタイアで走るような道には入らないことを前提としています。
でも、突然の降雪に走らねばならないことも考慮して、タイヤチェーンは用意していますが、きっと装着には手間取ることでしょう。
先日、ネット上で富士山の北側、河口湖のそばの御坂峠まで、1月3日に走った人が路面凍結がなかったことを記事にしていて、それを読んだ時に、「それならば三つ峠を歩けそうだ・・・」と、にわかに閃いてしまいました。
正月3日から、ずっと雨や雪は降っていないので、路面は乾いたままの筈ですから、「今のうちに行っておこう・・・」という気持ちが強まり、8日の朝に家を出て一路、御坂峠に向かうことにしました。
最初の目的地は旧街道沿い、御坂隧道手前の天下茶屋ですね。
ここは太宰治と井伏鱒二が逗留して執筆活動をしていた場所であり、太宰の著書「富嶽百景」の中で、
「富士には月見草がよく似合う」という言葉を織り込んだ、その眺めの場所でもあります。
「富嶽百景」中で、太宰は下の町に出かけた帰り道に、バスに乗り、隣に座った、老婦人の振る舞いに心惹かれています。
以下引用:
>
老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙あひたいぢし、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。・・・・・・(引用終了)
せっかくの太宰の言葉ではありますが、これが一つの比喩的表現とは理解していますが、小生的には富士山に月見草は、まったくミスマッチだと思っています。
旧道の御坂道・そこの天下茶屋に行くまでの道中は富士山がずっとよく見えていました。
そして天下茶屋から御坂山・御坂峠まで歩いて日暮れになりましたが、夕景の富士山も一味違った姿に思えました。
その一日を上・下二つの段に分けてレポートします。
蒲原付近から見た富士山 ↓
前山の上に姿を見せています。
富士川左岸道の駅から ↓
道の駅から見えなかったので、店の人に聞いたところ、建物の中央部に屋上に出られる階段があり、それで、屋上に出たところ、この姿がありました。宝永火山が右側に見えています。
富士山の西側 ↓
富士市からは富士山の山裾の遠くを時計回りで周回するようになります。ここからでは宝永火山が見えません。
ビューポイントから ↓
道にわざわざ「ビューポイント」という施設を案内していたので、そこに立ち寄りました。
ここからですと真正面に”大沢崩れ”が見えています。
”大沢崩れ”のアップ ↓
かなり激しく崩れていますね。地表の皮の薄くなったところから、噴火しないものでしょうか。
北西斜面 ↓
だいぶ回り込んで北西側に来ています。雲が邪魔のようでいて、山体を隠していませんので、これも景色として受け入れておきます。
御坂隧道手前の峠の茶屋 ↓
旧道に入りすぐに御坂隧道(すいどう=トンネル)のところに着きました。これから奥は冬期通行止めです。
道の右側に峠の茶屋がありました。この茶屋で太宰治が60日ほど逗留して執筆活動をしていたのです。
彼は先に来ていた井伏鱒二とともに逗留し、井伏が街に帰った後も居続けたのでした。
ここから太宰は井伏鱒二とともに三つ峠山に登っているのですが、小生もそれに倣いたいと思って来ています。
なおこの峠の茶屋のことを「天下茶屋」ともいいます。
そのいわれは、正面に臨むその絶景から富士見茶屋、天下一茶屋などと呼ばれていたものを、徳富蘇峰が新聞に天下茶屋と紹介したことがきっかけで、「天下茶屋」と呼ばれるようになったそうです。
暖冬のこの陽気でしたので、思わず「今がチャンス」と思い込んで行ってしまいました。
富士山はこの後もずっと見えてくれました。
富士山を観に出掛けられたのですね。
富士山がとても綺麗でした。合掌。
流石に何処から見ても富士山で絶景の一言。
笠雲が掛かっていて面白いです。
この時期にしては雪が無いですね。
昨日からキット降ったでしょう。
スノータイヤは田舎にいた時未だなくってどの車もチェ~ンをつけて走っていましたが直ぐ溶けるので喧しかったですね。74
私はその後は普通のタイヤのままです。
兵庫県では雪の中を走りましたが普通で大丈夫でした。
こちらは高知に抜ける峠だけはチェーンが必要のようです。
今日は寒いですがもっと寒いのであれば小雪が舞ったでしょう。
富士山を間近に見たくて、思い切って遠出をしてしまいました。
この画を年頭の記事で出せていたらよかったですね。
今回は富士山を西側から半周したようですが、いつかは東側を周ることもやってみたいと思いました。
スノータイヤ、スパイクタイヤ、…懐かしい言葉ですね。
タイヤチェーンも最近はいろんな形式のものが出ていますね。
ノーマルタイヤですべてが済むのが理想ですが、なかなかそうもいきませんね。
新年から富士山を見に行かれたのですね~
雪はどこに行ったのでしょうか?元日に見た伊豆からの山も快晴の中に5合目くらいまでしか雪はありませんでしたが…
12月初めに東京で見たときは真っ白でした。
今年は暖冬だと実感しますね!
昨日の寒さに津留に住む友人から、明日には白くなってるかな? とメールが来ました。
頂上の雲はステキ! 傘雲とは違うのでしょう?
年末の湯河原はいかがでしたでしょうか。
そこで新年を迎えられて、近くの十国峠あたりから富士山を見られたのでしょうか。
あそこからの富士山の眺望は第一級のものでしたね。
しかし、島倉千代子の「十国峠の白い花」の歌詞中ではそのことを一つも触れていないのが不思議です。
確かに富士山の雪は、年末のほうが面積が広かったですね。
年を越えてどんどん減ってしまったように思います。
この時は一晩明けたら、地肌は少しだけ雪の面積が増えたように思いました。
地肌にすっぽりと雪を被った場合は神聖な感じが出てきますが、少ない雪の時は立体感が強調されて、その面白味も味わえました。
頂上の雲は笠雲なのでしょうか、それとも吊るし雲なのかよく判らなかったので、雲の種類名の記述はしないで置きました。
二つのうちのどちらにしてもレンズ雲の一種だそうです。
暖冬で一月と言うのに初夏みたいに雪が少ないですね。
でもこの位の雪でも様になっているのは流石です。ここで雲の存在が更に秀麗な富士を際立出ていますね。
カサ雲になるのでしょうか、道中の三度笠みたいでカッコ良いですね。
オイラもその昔、東西南北から富士山を見て来ましたが、どこから見ても富士山は日本一の山ですね。三つ峠には四季楽園と言うのが有って確かでっかい犬が居ました。
もうとっくの昔ですから今は何代目かのワンちゃんがいるかも知れませんね。
「下」に出て来ますかね。
惚れ惚れするような富士山ですね。
見せていただいてありがとうございます。
今年はついこの前まで、真冬の寒さが来ませんで、高い場所にも割と平気で車で行けたようですね。
富士山もこの時期にしては雪が少ないようですが、そのせいで近くまで行けたのですから、文句は言えませんね。
三つ峠は昔、仲間たちが行っていたのに私だけは登ってないのです。
けれども、こちらの山仲間の方が上京した折に登っていますから、そのうちに機会もあるでしょう。
「富士には月見草がよく似合う」…有名な言葉ですが、どうなんでしょうね。
私的にはツキミソウと言うと、新穂高温泉から双六方面に向かう折に咲いているのを思い出すので、そのイメージが強いです。
三つ峠までの行程の様子、楽しみにしています。
富士燦に満点を頂戴しておきます。 過大評価気味ですが有り難いことです。豚もおだてりゃ木に登っちゃいますからね。
今回は雪が少なくて、季節感の点では違和感がありましたが、こういう雪の残り方により、地肌の立体感が強調されて、とくに大沢崩れの画ではそのことが際立ったと感じました。
山頂の上の雲は笠雲か吊るし雲か迷いましたのでどちらとも書きませんでした。
しかし、いずれにせよレンズ雲の一種にはなるそうです。
四季楽園については、事前にネット上のどこかで読んで、その名前は記憶していましたが、ことさらそれに拘らなかったので、どこにあったのかさえも気づかなかった”ぼんやりぽん”でしたね。
山中で犬の鳴き声を一度も聞きませんでしたが、たしか”三つ峠山荘”では無人の(無犬の)小さい犬小屋があったような気がしました。
下の段では御坂峠に向かって往復してきます。
例によって、帰りは夜道となってしまいました。
久しぶりに富士山を間近に見ました。新幹線で東京方面に向かうと、新富士付近で秀麗な姿が間近に見られますが、こちら方面にはあまり出てきませんので、こういう姿にはなかなか浴せませんでした。
この冬は暖かいほかに雨が降らないので、これによって路面のフリクションが良好ですので、富士の岳麓まで出掛けるチャンスと思いました。
肝心の富士山は、山肌に雪が少なくて、季節感はちょっと失われていますが、悪いことばかりでもなくて、それによって地肌の立体感はよく掴めました。
三つ峠は小生の使った登り口からですと、標高差が450mほどしかなくて、山登りとしては物足らないところでしたが、それよりも木無山の山頂まで営業関係者が車で走れる道がついているのが、大不満でしたね。
今回歩いて感じたことですが、この山域の一番の売りは山頂およびその付近からの山岳眺望ではないでしょうか。
山頂に立った日が雨降りや曇天だったらこの山の魅力はひどく減点されてしまいそうです。
富士山の眺めは特筆ものですが、南アルプス方面も凄いことになっていました。
(そちらについては別記事でレポートしていきます。)
富士には月見草がよく似合う・・・・このフレーズはその時の太宰の置かれていた立場から発せられた実感だと思いますが、自分を小さな月見草に見立てたものと思えますね。
ではその場合の富士は何になるのか? そしてその二つを”よく似合う”と思った根拠は何なのか、いろいろ遊べる言葉ではないでしょうか。
この御坂では峠まで往復して一旦天下茶屋まで戻り、そこから車で三つ峠登山口まで移動します。
三つ峠は翌日、日の出時刻を当て込んで歩き出すことになります。