ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

4/18日 三河の本宮山歩き その3:馬の背から40丁目で林道に再び出会うまで

2024-04-23 04:56:01 | 草花
このところ黄砂の予報が時々出ていますが、大陸の砂漠地帯で発生したものが偏西風で運ばれて、北太平洋を横断して、驚くことに北米大陸まで運ばれているそうです。
タクラマカン砂漠、ゴビ砂漠、黄土高原などの発生地では濃度8,000~90,000μg/㎥程度ですが、日本に到達したときは120μg/㎥くらいの濃度になっているということです。(ちなみに日本におけるこの種類の環境基準は100μg/㎥ですからすでに基準値オーバーですね。)

※なお「PM2.5」とは2.5μm以下(μmは1/1000mm)の微粒子のことで、非常に小さいため人が吸い込むと肺の奥深くまで入りやすく、肺がん、呼吸系への影響に加え、循環器系への影響が懸念されています。

黄砂の中には石英や長石などの造岩鉱物や、雲母、カオリナイト、緑泥石などの粘土鉱物が多く含まれています。
日本まで到達する黄砂の粒径は、直径4ミクロン付近に分布のピークがあります。
黄砂粒子の分析からは、土壌起源ではないと考えられるアンモニウムイオン、硫酸イオン、硝酸イオンなども検出され、輸送途中で「人為起源の大気汚染物質」を取り込んでいる可能性が示唆されています。
途中で工業化の進む中国上空を通ってきますが、その時に「人為起源の大気汚染物質」が入り込んでくる可能性は大きいのではないかと小生は考えます。

今回の山行では黄砂の飛来するさ中のことでありました。記事の中でその様子を見ていただく場面もあります。
22丁目まで ↓

重い腰を上げて21丁目から山道を登り始めます。 先行者から話しかけられましたが、この後彼らの歩くスピードが速くてついていけません。

26丁目まで ↓

21丁目で休憩してからというもの、しばらくはこんな急傾斜を登ることになります。

27丁目まで ↓


28丁目まで ↓


岩上に東屋 ↓

岩の上に東屋があります。あそこからの展望が良さそうです。



モチツツジ ↓

岩の上に咲く花はみな清潔感が増して見えます。



蛙岩 ↓

「どう見れば蛙?」というレベルでした。



東屋からの展望 ↓

東屋に着き、下界を眺めます。 上述の黄砂が下界を覆いつくしています。小生はマスクもかけずに息を切らしています。



日月(ひづき)岩 ↓

弘法大使の書を岩に刻んだということで、岩の表面に小さく「月」の字が見えますが、ここは眉に唾して通り過ぎることにします。



アセビの芽吹き ↓

赤いのは花にあらず、アセビの新芽でした。



猪駆坂 ↓

「猪駆坂」 さて、これを何と読むのでしょう?
「いかけざか」かな? 猪が居そうもない場所ですが、かつては狩人が犬とともに猪を追ったのでしょうか。



やや薄暗い ↓

あたりはやや薄暗くて、こういうところでしたら、夏の強い日差しも防げて、歩くには都合良さそうです。



風越峠 ↓

名前だけ見て、それで通り過ぎました。吹く風がさわやかに通り抜ける峠路でもなさそうです。



カンアオイ ↓

この場所あたりでカンアオイが立て続けに出て来ました。



平坦な道 ↓

急な岩場が続いてきましたがここで一時的に平坦な道となります。

36丁目 ↓

そこに丁目石が出て来ました。36丁目ですが、脇に嘉永二(1849)年とありますのでこの年がどういう年になるのか調べてみると:
1849年:嘉永2年 干支 : 己酉(つちのととり)

出来事:イギリスによるインドの植民地化が完了。
米国軍艦プレブル号長崎来航。漂流民の受け取りを要求。
英国軍艦マリナー号相模三浦郡松輪崎沖に停泊、江戸湾測量。

生誕: 昭憲皇太后、明治天皇の皇后
西園寺公望、第12・14代内閣総理大臣
乃木希典、陸軍軍人

死去:
葛飾北斎、浮世絵師
エドガー・アラン・ポー、小説家・詩人 とありました。Net社会は便利ですね。



37丁目 ↓

石段を上がると「神域」表示があり、脇に水が出ていて、柄杓で汲んで喉を潤します。



スミレ ↓




山姥の足跡 ↓

どれがそれに該当するのか? 分かりません。



林道と再び交差 ↓ ↓



先ほど休憩を入れたあの林道は大回りしてここに至ります。二度目の出会いとなります。



新40丁目 ↓

今度は「新」の付いた丁目石です。新しさと表現の仕方に若干の違和感を覚えます。


コメント (4)
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