ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

7/6日 埼玉県熊谷市で懐かしい顔と再会しました。

2013-07-14 07:28:59 | 草花
7月5日の晩に家を出て、霧が峰の八島ヶ原駐車場で夜を明かして、早朝から湿原内を周遊した後は、中仙道を走って佐久市まで行き、その先、内山峠をトンネルで抜けて、上州(群馬県)に入ります。
この道は、今は亡き父母と思い出を刻み込んだ街道であります。
その父母は、今は泉下の客になっています。

昔の岡部宿、国道17号線から少しはなれたところに墓がありますので、そこに立ち寄り、お参りして行きます。

お参りが済んだら懐かしい友との再会タイムが待っています。
そのほかに昨年の7月9日に国宝指定された妻沼聖天山の本殿である「歓喜院聖天堂」もぜひ見たいということをお友達にお願いしておきました。
それぞれは、妻沼(めぬま)  聖天(しょうでん) 歓喜院(かんぎいん)と読みます。
マタタビ ↓

和田峠を下りながら道沿いに見えた、マタタビの白い葉の混じったところを撮りました。




マタタビ ↓

葉の下から花を撮ります。良い香りがありました。



クサフジ ↓

街道沿いの日当たりの良い場所で開いていました。綺麗に見えたので車から降りて撮らされました。



荒船山 ↓

佐久から内山トンネルを抜けて群馬県側のつづら折れの道を下って行きます。
頭上に荒船山の断崖絶壁がこちらを見下ろしています。



金光山白倉神社 ↓

信号待ちしているときに大きな天狗様が見えましたのでお付き合いして撮ります。



父母の眠るところ ↓

民営の墓地のようですが、この日も暑い日でした。
手桶に水を汲んで墓石の上から水を献上しました。
手桶に4杯掛けましたね。



サルスベリ ↓

広い墓地ですので、こういう木もあります。



ヘメロカリス ↓

池の周りにこういう花もありました。



ヘメロカリス ↓

こちらは勢いがありますね。



ネジバナ ↓

場所を変えて、妻沼(めぬま)聖天(しょうでん)さまを参詣の折に、お寺の本堂前で見ました。



ヒメイワダレソウ ↓

水路の脇にこれが植えてありました。安城付近でもこの草を沢山植えるようになりました。
手間いらず
みるみる増えて
花も咲き
雑草も負かす  というように4拍子揃っているのでグランドカバーとして今後も利用されそうです。



ユズ ↓

友人の家でこれを見ました。
モノのたとえにいつまでも実が着かないので「馬鹿ユズ九年」というのがありましたね。
小生が九年といったら友人は「馬鹿ユズ十八年」と言って来ました。
恐らくこれこそが古来からある正統の柚子だと思いましたね。
実は小さくて固いそうですが、香りは良いとのことでした。




懐かしい顔々・・・・ ↓

友人の家でシャワーを使わせていただいてから、この場に臨もうとしましたが、いろいろ忙しくて、大汗掻いて会場に到着です。
気楽にくつろげるような場で、懐かしい全員が揃ったところで、撮りました。
これから大いに盛り上がることになりますが、小生は切なくも懐かしい雰囲気の中で飲む、楽しいお酒に飲まれてしまいました。



一夜明けて・・・ ↓

楽しくて切ないような懐かしい時間があっという間に過ぎて、暇乞いの時間になりました。




「血洗島」 ↓

帰途に信号待ちしたときのことです。
この地が「日本資本主義の父」といわれた渋沢栄一翁の生誕地です。
他県の方はその名前も業績も知らないことでしょうから、ここで我が郷土の大先輩の業績を記述しておきたい所ですが、それは遠慮して、もしもお暇がありましたら「渋沢栄一」をWIKIで引かれる事をお勧めします。明治の混迷期に、大した傑物が居たことに感謝できるかもしれません。

「血洗島」という物騒な名前は誠に印象的でしたね。
もう五十年以上も前に亡くなった小生の祖母はそこを「チャーラジマ」と言っていましたが、正しくは漢字表記どおりに「チアライジマ」と読むようです。
コメント (6)
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