7月5日の晩に家を出て、霧が峰の八島ヶ原駐車場で夜を明かして、早朝から湿原内を周遊した後は、中仙道を走って佐久市まで行き、その先、内山峠をトンネルで抜けて、上州(群馬県)に入ります。
この道は、今は亡き父母と思い出を刻み込んだ街道であります。
その父母は、今は泉下の客になっています。
昔の岡部宿、国道17号線から少しはなれたところに墓がありますので、そこに立ち寄り、お参りして行きます。
お参りが済んだら懐かしい友との再会タイムが待っています。
そのほかに昨年の7月9日に国宝指定された妻沼聖天山の本殿である「歓喜院聖天堂」もぜひ見たいということをお友達にお願いしておきました。
それぞれは、妻沼(めぬま) 聖天(しょうでん) 歓喜院(かんぎいん)と読みます。
マタタビ ↓
和田峠を下りながら道沿いに見えた、マタタビの白い葉の混じったところを撮りました。
マタタビ ↓
葉の下から花を撮ります。良い香りがありました。
クサフジ ↓
街道沿いの日当たりの良い場所で開いていました。綺麗に見えたので車から降りて撮らされました。
荒船山 ↓
佐久から内山トンネルを抜けて群馬県側のつづら折れの道を下って行きます。
頭上に荒船山の断崖絶壁がこちらを見下ろしています。
金光山白倉神社 ↓
信号待ちしているときに大きな天狗様が見えましたのでお付き合いして撮ります。
父母の眠るところ ↓
民営の墓地のようですが、この日も暑い日でした。
手桶に水を汲んで墓石の上から水を献上しました。
手桶に4杯掛けましたね。
サルスベリ ↓
広い墓地ですので、こういう木もあります。
ヘメロカリス ↓
池の周りにこういう花もありました。
ヘメロカリス ↓
こちらは勢いがありますね。
ネジバナ ↓
場所を変えて、妻沼(めぬま)聖天(しょうでん)さまを参詣の折に、お寺の本堂前で見ました。
ヒメイワダレソウ ↓
水路の脇にこれが植えてありました。安城付近でもこの草を沢山植えるようになりました。
手間いらず
みるみる増えて
花も咲き
雑草も負かす というように4拍子揃っているのでグランドカバーとして今後も利用されそうです。
ユズ ↓
友人の家でこれを見ました。
モノのたとえにいつまでも実が着かないので「馬鹿ユズ九年」というのがありましたね。
小生が九年といったら友人は「馬鹿ユズ十八年」と言って来ました。
恐らくこれこそが古来からある正統の柚子だと思いましたね。
実は小さくて固いそうですが、香りは良いとのことでした。
懐かしい顔々・・・・ ↓
友人の家でシャワーを使わせていただいてから、この場に臨もうとしましたが、いろいろ忙しくて、大汗掻いて会場に到着です。
気楽にくつろげるような場で、懐かしい全員が揃ったところで、撮りました。
これから大いに盛り上がることになりますが、小生は切なくも懐かしい雰囲気の中で飲む、楽しいお酒に飲まれてしまいました。
一夜明けて・・・ ↓
楽しくて切ないような懐かしい時間があっという間に過ぎて、暇乞いの時間になりました。
「血洗島」 ↓
帰途に信号待ちしたときのことです。
この地が「日本資本主義の父」といわれた渋沢栄一翁の生誕地です。
他県の方はその名前も業績も知らないことでしょうから、ここで我が郷土の大先輩の業績を記述しておきたい所ですが、それは遠慮して、もしもお暇がありましたら「渋沢栄一」をWIKIで引かれる事をお勧めします。明治の混迷期に、大した傑物が居たことに感謝できるかもしれません。
「血洗島」という物騒な名前は誠に印象的でしたね。
もう五十年以上も前に亡くなった小生の祖母はそこを「チャーラジマ」と言っていましたが、正しくは漢字表記どおりに「チアライジマ」と読むようです。
この道は、今は亡き父母と思い出を刻み込んだ街道であります。
その父母は、今は泉下の客になっています。
昔の岡部宿、国道17号線から少しはなれたところに墓がありますので、そこに立ち寄り、お参りして行きます。
お参りが済んだら懐かしい友との再会タイムが待っています。
そのほかに昨年の7月9日に国宝指定された妻沼聖天山の本殿である「歓喜院聖天堂」もぜひ見たいということをお友達にお願いしておきました。
それぞれは、妻沼(めぬま) 聖天(しょうでん) 歓喜院(かんぎいん)と読みます。
マタタビ ↓
和田峠を下りながら道沿いに見えた、マタタビの白い葉の混じったところを撮りました。
マタタビ ↓
葉の下から花を撮ります。良い香りがありました。
クサフジ ↓
街道沿いの日当たりの良い場所で開いていました。綺麗に見えたので車から降りて撮らされました。
荒船山 ↓
佐久から内山トンネルを抜けて群馬県側のつづら折れの道を下って行きます。
頭上に荒船山の断崖絶壁がこちらを見下ろしています。
金光山白倉神社 ↓
信号待ちしているときに大きな天狗様が見えましたのでお付き合いして撮ります。
父母の眠るところ ↓
民営の墓地のようですが、この日も暑い日でした。
手桶に水を汲んで墓石の上から水を献上しました。
手桶に4杯掛けましたね。
サルスベリ ↓
広い墓地ですので、こういう木もあります。
ヘメロカリス ↓
池の周りにこういう花もありました。
ヘメロカリス ↓
こちらは勢いがありますね。
ネジバナ ↓
場所を変えて、妻沼(めぬま)聖天(しょうでん)さまを参詣の折に、お寺の本堂前で見ました。
ヒメイワダレソウ ↓
水路の脇にこれが植えてありました。安城付近でもこの草を沢山植えるようになりました。
手間いらず
みるみる増えて
花も咲き
雑草も負かす というように4拍子揃っているのでグランドカバーとして今後も利用されそうです。
ユズ ↓
友人の家でこれを見ました。
モノのたとえにいつまでも実が着かないので「馬鹿ユズ九年」というのがありましたね。
小生が九年といったら友人は「馬鹿ユズ十八年」と言って来ました。
恐らくこれこそが古来からある正統の柚子だと思いましたね。
実は小さくて固いそうですが、香りは良いとのことでした。
懐かしい顔々・・・・ ↓
友人の家でシャワーを使わせていただいてから、この場に臨もうとしましたが、いろいろ忙しくて、大汗掻いて会場に到着です。
気楽にくつろげるような場で、懐かしい全員が揃ったところで、撮りました。
これから大いに盛り上がることになりますが、小生は切なくも懐かしい雰囲気の中で飲む、楽しいお酒に飲まれてしまいました。
一夜明けて・・・ ↓
楽しくて切ないような懐かしい時間があっという間に過ぎて、暇乞いの時間になりました。
「血洗島」 ↓
帰途に信号待ちしたときのことです。
この地が「日本資本主義の父」といわれた渋沢栄一翁の生誕地です。
他県の方はその名前も業績も知らないことでしょうから、ここで我が郷土の大先輩の業績を記述しておきたい所ですが、それは遠慮して、もしもお暇がありましたら「渋沢栄一」をWIKIで引かれる事をお勧めします。明治の混迷期に、大した傑物が居たことに感謝できるかもしれません。
「血洗島」という物騒な名前は誠に印象的でしたね。
もう五十年以上も前に亡くなった小生の祖母はそこを「チャーラジマ」と言っていましたが、正しくは漢字表記どおりに「チアライジマ」と読むようです。
同い年とは思えない程の広い行動範囲に 男女の差を感じています。
まよこも頑張らなくては1番に思いました。
佐久市は東京で知り合ったりんご園の実家のお友達の家に行ったことがあり懐かしい地名ですが 彼女糖尿病で・・・・。
綺麗な墓地ですね。
ハメロカリスが守っているようですね。
草葉の影のご両親様もさぞお喜びになられたことでしょう。
懐かしい旧友との再会は感激物語ですね。
羨ましい気持ちになり ふるさとが恋しくなりました。
さぞかしお話が尽きなかったことでしょう。
白花のネジ花いいですね。
桃栗3年 柿8年 梅はすいすい13年 柚子の大馬鹿20年 母が言っていたことに兵庫松山の謂れを入れたものです。
実生からのことで苗木はもっと早く実りますね。
渋沢栄一の名前は聞いたことがあります。
又調べてみますね。
今回の移動は相当「年寄りの冷や水」だったようです。
帰宅後に、皮膚炎を出してしまい、いまでも苦しんでいますから。
恐らく深酒が主な原因だったようですが、疲労も相当作用していたのかもしれません。
当然のことですが、お互い、あまり無茶はしないほうが良いですね。
佐久は盆地でしたね。明治の御世に秩父困民党事件が有り、この地も時代の波にもまれたことがありましたが、それよりも島崎藤村の詩の中に歌われた
♪暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む ♪ の詩情の方が有名でしょうね。
糖尿のお友達はその後如何でしょうか。
この墓地は関東一円で商売している業者が経営のようです。
なかなか大きく構えていますね。
ああいった業種にもノウハウがあるようで、この墓地は比較的上手に運営されているようです。
墓前での再会を両親が喜んでくれたらありがたいことです。
旧友との再会は久しぶりのことですが、お互いに会わなかった時間があっという間に縮んでしまいました。
でも6人の中で大病をわずらったことがないのは、小生ともう2人だけでしたね。
子供の民話の絵本には「桃・栗三年、柿八年、柚子は九年で生り下がる」とありましたが、馬鹿柚子20年という数字も聞いたことがあります。
実生からなら長いでしょうね。生きているうちに実験して見たいものです。
渋沢栄一翁は郷土の誇りなんです。
ぜひ調べられてみてください。
遠方にいらっしゃって、ふだん会えないとなるとなおさらですね。写真では固い顔のようですが、このあとは笑顔笑顔だったでしょう。
旧友と言いますが、40何年ぶりの人も居ました。
その間の年月が「あっ」と言う間に縮み、消滅するのですから面白いものです。
皆さんは一国一城をなした奴ばかりで、小生だけが、はぐれ鳥みたいなものですから、気楽なものでした。
硬い顔が、柔らかくなり、やがて崩れ去るのに、そう時間は掛かりませんでした。
ご両親のお墓参りを欠かさずにされているのは偉いですね。
旧友との再会で盛り上がり、楽しいひと時を過ごせたのも、先祖家族を大切にされてるからでしょうね。
見習わなくてはいけませんです。
両親の墓参りはこうなってきますと恒例行事となりました。
昔は東京の下町にあったお墓でしたが、父の死後こちらに移されたのでした。
この日はとても暑い日でしたので、奮発して、お墓に沢山水を掛けておきました。
旧友との再会は楽しい時間でしたが、お酒を飲みすぎました。
次回はお酒をなるべく控えて、話し合いの時間で満たしたいと思いましたね。
昨日三河の山を歩きましたが、体力が相当減退していてわれながら驚きました。
御嶽山行は出来れば行きたいのですが、こんな体力では今のところ大変微妙です。