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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【bozzo.jp】築地中央卸売市場跡

2020-07-09 | PHOTO
【on_Flickr】2020_JUL_HP_TOP

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【bozzo.jp】臭気はご承知ください

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【bozzo.jp】多様な化学薬品で彩られた東墨田の路

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【bozzo.jp】東墨田豚皮鞣し工場

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【bozzo.jp】浅草橋『鶴の湯』

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【bozzo.jp】東墨田で働く黒人労働者

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【bozzo.jp】旧中川東墨田あたり

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【Dec_07】もう限界なのだわ、何もかも。

2020-07-09 | DANCE
久世龍五郎ソロ舞踏『Grayish_Quilt』@中野Terpsichore

照明/三枝 淳 音楽/友井亮輔 舞監/相良ゆみ

写真UPしました〜!
【on_Flickr】1207_GRAYISH_QUILT



テレプシ満員御礼の65人が集中力でもって、舞踏手の一挙手一投足を見守る。
硬直していた物体が何かの拍子に軟体化し、ごにょごにょと不得手に動きながらも、
突如振り切ったように錯乱し、光あふれ総てを掻き乱す。…と、
役目を終えたルンバの如く格納され、跳躍の彼方へ。

これを兆候と観るか、終焉と観るかは捉え方次第だけど、
臨界点に達しつつあることは伝わってきた。

もう限界なのだわ、何もかも。

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【on_Flickr】1207_GRAYISH_QUILT

2020-07-09 | DANCE
久世龍五郎『Grayish_quilt』@Terpsichore

照明:三枝 淳 
音楽:友井亮輔 
舞監:相良ゆみ

【on_Flickr】1207_GRAYISH_QUILT

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【Jul_03】山本太郎は“大切なのは九十九ではなくて一だ”と主張する。

2020-07-03 | TOKYO
羊を百匹持っている者がいたとしよう。
そのうち一匹がどこかに行ってしまった。
そういう時、たとえ九十九匹を荒野に残しておいてでも、
いなくなった羊を探しに出掛けて行かないだろうか。
出掛けて行って、うまくその羊を見つければ、
迷い出なかった九十九匹にもまして、
その一匹の羊のことを喜ぶのではないか。

(マタイ18・12ー13=ルカ15・4ー6)

現実の世の中は算術的合理性で動く。
事実、もしも九十九対一を文字通り
あれかこれかで選択しなければならない時に、
九十九を捨てて一をとる人はいない。

けれどもまた、そういう理屈で、
実際には必ずしも絶対的に
あれかこれかではない場合にも、
九十九のために
一が犠牲に供されていく。

そしてそういう場合はほぼ常に、
九十九の方が何らかの意味で強い者であり、
犠牲に供される一人は
大勢の中でも何らかの意味で弱い者である。

(『イエスという男』より田川建三)

こういう現実に対して、
本当に理性の立場に立って反論を加えるとすれば、
実際には九十九人が少しずつ譲歩しあえば
この一人を滅ぼさずにすむのだから、
みなが平等に困難を分かち合いましょう、ということになろう。

けれども、そう穏やかに申し上げることによって
世の中の不公平が除かれることはめったにない。

世の中全体が算術的合理性を
力をもって強制して来る時に、
それに抗おうと思えば、
こちらも強引かつ単純にそれを
裏返して主張するのでなければ、
強い衝撃力を持てない。

大切なのは九十九ではなくて一だ。
こう主張する時、もはや人は
深く全体を見通す
平衡のとれた理性を失っている。
暴論ですらある。
だがそのように叫び出さねばならない状況は
しばしばあるものだ。

これまた決して不動の真理ではない。
逆説的反抗なのである。


此の世で実際にこのようなことを
ある程度以上主張すれば、叩き潰されざるを得ない。
実際には九十九の力に一が勝つはずがないからだ。
逆説的反抗に立ち上がれば、人は悲劇に突入する。
しかし歴史を動かしてきたのはさまざまな悲劇だった。

イエスという人がさまざまな場面で語り、
主張してきた逆説的反抗を「真理」との
教訓に仕立て変えてはならない。

イエスは「真理」を伝えるために
世界に来た使者ではない。

そのように反抗せざるを得ないところに
生きていたからそのように反抗した、ということなのだ。

そして、もう一度言うが、だから殺されたのだ。
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【Jul_03】九十九のために 一が犠牲に供されていく。

2020-07-03 | TOKYO
羊を百匹持っている者がいたとしよう。
そのうち一匹がどこかに行ってしまった。
そういう時、たとえ九十九匹を荒野に残しておいてでも、
いなくなった羊を探しに出掛けて行かないだろうか。
出掛けて行って、うまくその羊を見つければ、
迷い出なかった九十九匹にもまして、
その一匹の羊のことを喜ぶのではないか。

(マタイ18・12ー13=ルカ15・4ー6)

現実の世の中は算術的合理性で動く。
事実、もしも九十九対一を文字通り
あれかこれかで選択しなければならない時に、
九十九を捨てて一をとる人はいない。

けれどもまた、そういう理屈で、
実際には必ずしも絶対的に
あれかこれかではない場合にも、
九十九のために
一が犠牲に供されていく。

そしてそういう場合はほぼ常に、
九十九の方が何らかの意味で強い者であり、
犠牲に供される一人は
大勢の中でも何らかの意味で弱い者である。

(『イエスという男』より田川建三)

こういう現実に対して、
本当に理性の立場に立って反論を加えるとすれば、
実際には九十九人が少しずつ譲歩しあえば
この一人を滅ぼさずにすむのだから、
みなが平等に困難を分かち合いましょう、ということになろう。

けれども、そう穏やかに申し上げることによって
世の中の不公平が除かれることはめったにない。

世の中全体が算術的合理性を
力をもって強制して来る時に、
それに抗おうと思えば、
こちらも強引かつ単純にそれを
裏返して主張するのでなければ、
強い衝撃力を持てない。

大切なのは九十九ではなくて一だ。
こう主張する時、もはや人は
深く全体を見通す
平衡のとれた理性を失っている。
暴論ですらある。
だがそのように叫び出さねばならない状況は
しばしばあるものだ。

これまた決して不動の真理ではない。
逆説的反抗なのである。


此の世で実際にこのようなことを
ある程度以上主張すれば、叩き潰されざるを得ない。
実際には九十九の力に一が勝つはずがないからだ。
逆説的反抗に立ち上がれば、人は悲劇に突入する。
しかし歴史を動かしてきたのはさまざまな悲劇だった。

イエスという人がさまざまな場面で語り、
主張してきた逆説的反抗を「真理」との
教訓に仕立て変えてはならない。

イエスは「真理」を伝えるために
世界に来た使者ではない。

そのように反抗せざるを得ないところに
生きていたからそのように反抗した、ということなのだ。

そして、もう一度言うが、だから殺されたのだ。
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【Jul_01】人間中心主義と非人間中心主義

2020-07-02 | TOKYO
東日本大震災、コロナ禍とこの10年で自然の猛威に二度晒され、
日本全体が近視眼的に物事を余裕無くやり過ごす社会に。
その対処の姿勢が今ふたつの流れに顕れていると感じる。

【人間中心主義】で自然を抑え込もうとする大勢と、
【間中心】的に世界の捉え方を見直そうとする少数派と。

先を見越した社会を運用したい大勢派は、
想定外や不測の事態を回避しようと、様々な予防線を張る。
前年比やら成長を数字で確認したい輩は、
ますます躍起になってアンダーコントロールを目指すだろう。

【間中心】を標榜する少数派は、
足元をみつめ、生きる本質を探ろうと歩みを留めていることだろう。

いつ死ぬともしれぬ有限な時間の中で、
事切れる時に「やり切った」と言えるように。
ここはじっくり思考を深めたい。

震災後10年を前にして岩手県沿岸250キロを歩く理由〜REIWA47CARAVAN〜 高橋博之
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【Jul_01】山本太郎_街宣@亀有駅南口

2020-07-02 | KANAZAWA
山本太郎_街宣@亀有駅南口

雨風強い中、大方の人々が家路を急ぐが、
山本太郎候補、大いなる熱量でもって、この社会の歪みを説く。
辺境のマージナルな人々に手を差し伸べる施策は、
我田引水、功利的に物事を進める現政権の真逆をいくものだが、
我関せずの有権者が多いことに驚。

合理の呪縛が制度を固定化する。
変化は内なる情動からしか生まれないことを、
太郎は胸襟を開いて真摯に語っていた。

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【Jul_01】山本太郎_街宣ボラ

2020-07-02 | TOKYO
本日亀有にて街宣ボラ初。
チラシポスティングに、街宣中の山本太郎チラシ配布。
大方の人々無関心、たまにおじさんから「女たらし」「嫌いやねん」と一声掛けられ、
ほんのたまに女性が受け取ってくれた。
雨風強くて仕方なかったけど、あと3日、どう闘うかだわ。
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