私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

夕焼け雲 3

2010-08-30 14:34:02 | Weblog
 本陣の小窓をほんのりと薄紅色に染めていた夕焼け雲が、次第にその色を薄めながら、それでもまだ、福山の上に、その余韻をわずかに残しているのでしょうか、うっすらと青紫色を漂わせています。そこに集まった元春、隆景など、主だった毛利家の武将たちの顔々にもその影の変化(へんげ)の様子がはっきりと映し出されています。その薄光に照らされた隆景の顔には、この世の人とも思えないような悲壮な様相が浮かんでいます。そして、己の姿を打ち消すように、一瞬、さも威厳を示すように、また、あたかも自らにでも語りかけでもするように、苦渋に満ちた悲痛な面持ちを打ち消すかのように語りかけます。

 「武門の誉れの為には己の死をも省みない勇者が、我が毛利家だけではなく、あの秀吉の陣にも集うていると思う。十万を下らない兵士が、今、己の命をかけて、この地に集結しているのじゃ。・・・総ての者が己の武士としての誇り、そうじゃの元長殿の言われる。己の武門としての誉れの為に集うていることは確かな事だ。・・・・・・このような戦いが、もう百年にもなるだろうか、京に始まり、それが、今では、この国全体に広がり、この国の歴史上にかって例を見ない戦ばかりの世の中が繰り広げられているのだ。その総てが、武門の誉れと云う一語の元に戦を展開しているのじゃ。誰一人の例以なしにじゃ。分かるか例外なしに、一人もいないのじゃ」
 その顔が小窓を通した僅かばかりの西空の夕焼け雲の光に照らされています。其の一文字に結んだ口が細かく震えているのを、その場にいた総ての毛利の武将は見てとりました。
 暮れなずむ微小な雲を媒介にした日の光が、怪しく、その口元を薄く照らしています。

 「ううう・うう」という声ならぬ声が、隆景の口から漏れます。しばらくして、また、話しだします。


 「そうじゃ、残念ではあるが、その武門の誉れとやらを掴もうとしても決して掴み取れない者がわが陣営には、今、おるのじゃ。当然、武士として誰もが受けることのできる誉れが、どのように踠いても、どうしても掴み取れない憐れな勇者がいるのじゃ・・・・・・誰だか分かるか。・・・・その者どもも、元長殿達と同じように、せめて、どうにかして堂々と敵と相見え、武門の誉れとやらの元に死にたいと願がっている者が居るのじゃ。でも、それすらできないで、只、目前に差し迫った泥水の中に、湖の藻屑となって沈まねばならない、真の勇者として恥辱的な死しか甘受する事が出来ない憐れな我が勇者おるのじゃ。6千人もの者がおるのじゃ。・・・・・・分かったであろう。清水宗治を始め、あの高松城に籠城している者たちなのだ。・・・・」
 目に一筋の涙が流れます。
 「あの者たちの武門としても誉れは、此処にいる我々は、如何にして達成させてやればいいのだろうか。我らがその彼らを救いだそうと、この日差山から打って出れば、あの者たちも呼応して打って出れるでしょうか。あの水をどのように掻い潜って。それすらも出来なくて、結局は、あの湖水の水の藻屑になって朽ちてしまうのじゃ。・・・・・・・・・さあ、どうする。元長殿」

 若い元長、元丈などのその場にいた毛利の武将たち、じっと下を向いたまま、ぐっと言葉を飲みました。
 
 「その我が四万の武門の誉れを、いや、その誉すら奪い取られた高松城に籠城する六千のの誉れまで、自らが一人で、押し抱いて、武士の面目を果たそうと言う宗治の心意気を、今は、どうあれ、静かに見守ってやるのが、我ら毛利家の出来うる秀吉との最後で、唯一つの戦いではないか。確かに、我が毛利家にとって、それは忍び難いものである事は確かなことです。が、それで、6千の兵士の誉れを保つことが出来れば、それしか、他には是に代わる方法がないのではなかろうか」
 隆景の眼には後から後から悔恨の涙でしょうか、籠城している六千の兵士に代わる謝意の涙でしょうか。
 「ううう・・・」と、その場の、あちことから涙声が漏れ聞こえてきます。恰もあの湖水に渦巻く泥水のように、次から次へと。

 何時しか、小窓を照らしていたうっすらとした西空の夕焼けの明りは消えて、六月の闇が辺りに偲び来ていました。