私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

湖上の安国寺恵瓊

2010-08-17 07:31:29 | Weblog
 「御下知、身を替えて相勤め申べし」
 と、恵瓊が諒承します。すると、秀吉は居寄って申します。

 「聞くところによると、高松の城主清水宗治は高義忠君並びなき武将だそうである。これからすぐ舟を用意させるから、それに乗って高松城中に至り、宗治に会って、此の秀吉が言ったことと毛利元春・小早川隆景の言った事を伝えてほしいのじゃ、両者の言を伝えてほしいのじゃ。宗治が一人切腹すると、和議が成り立ち、中国も一時に平均するのじゃ。ぜひ、切腹を説得してほしいのじゃ。それが宗治の功だ。決して辞退しないでほしいと、恵瓊の言葉で宗治に伝えてほしいのじゃ」
 日は既に西の端に落ちかけています。時はあまり残されてはません。恵瓊は、その秀吉の言葉を忠実に伝えるべく、真っ茶色に濁った俄かの湖水の上の舟の人になって高松城に向います。
 湖上には濁流が、相変わらず門前の取り入れ口から意気よいよく流れ込んでいます。雨は小止みになったとはいえ、相変わらず不気味な音を響かせながら降り続いています。泥水は今にも城そのものを飲み込もうとしています。
 そんな湖上に、一艘の小舟が、突然に、何の前触れも無しに、静かに漕ぎだしてくるではありませんか。その漕ぎ行く舟の跡が二筋、後へ後へと無常の世にでも吸い込まれるように、線を湖上に描き出しています。辺りは、今までに誰もが経験したことともないような不気味な静けさが、天と地を覆いつくすように広がっています。
 「何であろう、今頃」
 相対している両陣の人々はいぶかります。
 相変わらず小雨にけぶる湖を、ゆっくりと流れ進む小舟には、墨染めの衣の僧一人と船頭しか乗っていません。僧は傘も付けずに小雨の中に、前を見据えるように身じろぎもせず、舳先に、すくっとつったっています。
 この二、三日の、目前に差し迫った戦いの緊張や興奮とは違う光景が、突然に飛び込んできます。しかし、それすら、何となく落ち着かない、目の前に横たわる泥水の浪と同じように、何か不吉な、地獄の中へ引き落とされるのではないかと云うような予告を表しているのではないかという感じさへさせられます。かえって、それが益々の不安を高まらせているのであるかもしれません。

 舟は城へ城へと、無限の時間の中を行くように二本の舟跡を伸ばしながら、幾万と云う敵味方両陣の兵士の見守る中を、ゆっくりと進んでいます。動くものと言えば唯一つ、舟を操る船頭の黒い小さな蔭と広がり進む二筋の舟の跡のみであります。この二つの小さな動が無限の静の中に広大な無常の世界を描き出しているようにも、人々の間には写ったのでしょう。此処にいる人、誰もが、かって味わったことのない荘厳な静の中に引きずり込まれた化のように思ったのです。
 秀吉も元春・隆景も両軍の雑兵共にも。

 この静こそが、清水宗治を切腹させた一番の原因であったのか知れません。そんな舞台効果を、秀吉は読んでいたのです。
 この時の秀吉の詞で感心するのは、恵瓊に宗治に伝えさせたのが「吉川元春と小早川隆景の詞」も同時に伝えさせています。この辺りも人の心を読むに長けた才能があったのではないかと感心させられます。その結果の背景を十分に描きながら脚本を仕上げているのです。