私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

安国寺恵瓊の思案

2010-08-16 10:01:06 | Weblog
 帰って来た恵瓊から秀吉の「宗治は切腹すべし」という言葉を聞いた吉川元春・小早川隆景等の毛利方の武将は
 「宗治切腹と候はば和睦の儀思ひよらず、戦うて死を倶(とも)にすべし」
 と、詮議し、そして、その旨を秀吉に伝えるべく、再び、恵瓊を秀吉の陣へ向かわせます。六月四日のもう昼近き時です。
 秀吉は恵瓊から毛利方の詮議を聞き
 「そうか、やはり宗治の切腹は毛利方として承知できないか。義を知る武将として尤もな思いであろう。・・・・でも、秀吉が身に於いて攻めかかる城を落とさずして、和平をなせば、これから後世まで「弓箭の恥辱」となる事明白である。武士としての面目を失う事明らかじゃ。それに対して、この戦いの和平の代償として、宗治が切腹したとしても、元春・隆景の恥とはならず、大義面目は十分に立てられるのじゃ。どうじゃな、もう一度元春に尋ねてきてはくれんか」
 時は刻一刻と押し詰まり、余裕とてありません。恵瓊は、再び、元春・隆景の元に戻ります。
 「否」
 と、一言、和平を即座に拒みます。
 
 このような交渉が長びけば長引く程、信長公暗殺後の明智方の京での動きがより活発化して、秀吉方に不利になる事は分かりきっています。幸いにして、未だに、毛利方にはその情報は入ってはいません。一刻も早く、この高松城を中心とした戦いを解決して、信長の弔い合戦をしなくてはならないのです。秀吉にもそんな弱みがありました。
 「今日明日中に、何とか」
 秀吉の焦りがあったのですが、そんな素振は見せず、恵瓊と交渉します。

 その恵瓊に秀吉は言います。
 「のう恵瓊殿、どうにかわしの面目が立つように、そうじゃ、宗治一人の首でいいのじゃ。それと交換に和平が出来ないもんじゃろうかのう。褒美は取らす故、尽力してくれんか。信長公にもその旨申し上げて抜群の所領を給わるようにお願いするので、どうかよろしくお頼み申す」
 と、頭を下げます。もとより秀吉が天下を掌握する器である事を見抜いていた恵瓊です。
 「いかなる御下知候ふとも身に替えて相勤め申します」
 と承知します。
 此の恵瓊は、幾度となく両陣を行き来しているうちに、益々秀吉の人物に引き込まれてしまいます。すっかり秀吉のとりこになってしまったのです。心変わりです。もっとも、秀吉の言い分が、毛利方にとっても十分な益だと考えての事でしょうが。明日に差し迫った両軍の戦の悲惨さを考えたからでもあったことだろうことは確かでしょうが。そうでなかっなら「如何なる御下知候ふとも」という言葉が、恵瓊の口を突いて出てくることはないと思います。そこに恵瓊の強かさみたいなものが見え隠れしているとしか思われません。人の弱さというか生まれながらに内在しているであろう醜いとさえ言えそうな欲望というものでありましょうか。見方によれば、この坊主、とんでもない食わせ者であったのかもしれませんが?そんな恵瓊をよく知っていたからこそ、秀吉も、最後の最後まで、彼を利用したのかもしれません??????
 此処にも、近代戦争の特色である「情報の確かさ」が見て取れます。