私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

夕焼け雲 2

2010-08-29 10:16:30 | Weblog
 その沈黙を破るように、父である元春は言います。
 「打って出るか。・・・・夜の戦か。まして、あの増水した大河、兄部(かわべ)川を渡っての戦いになるのだぞ。どう、水の逆巻く夜のあの川を渡るかも問題だ。未だ誰もが経験したことがないような、結果など皆目、見当だにもつかないような、それこそ、予測不能な事態が生じ兼ねない戦いになるぞ。やってみなければ何も言えないような困難が待ち受けれいること必定である。もし、例え渡河は成功して、対岸にたどり着く事が出来たとしても、我々の前には、まだ、その先の秀吉の陣営にたどり着くまでの間に、我々を阻害する幾多の障害が待ち受けていると思われる。それは、いまだ、我々が、この日差山に陣を構え居りながら、眼下に展開する高松の地形すら存分には分かってはいないということなのだ。この地には、秀吉の軍勢すら往く手を阻まれている多くの泥沼も、高松城周辺だけでなく、あちらことらと点在していると聞いておる。その危険を覚悟で打って出るのか。秀吉軍と戦う前に、それら幾多の自然要塞にぶつかり、我らの軍は破滅に追い込まれることも存分に予想されるのは確かだぞ。それ故、多くの場合は、お前にも十分知っているはずだと思うが、夜の戦は避け、昼間の戦いに互いに行っているのだ。夜の戦いともなれば、敵味方の区別もなく、只、無暗矢鱈に刀を振り回し、ひたすら、己の身を守るだけの戦術など何もない無茶苦茶な地獄の戦いになるのだぞ。それでも良いのだな。・・・それが武門の誉れとなればだな・・・」
 きっと目を見開いて言い放ちます。しかし、その言葉の節々には我が子を思う親愛の情が見え隠れしています。武門の誉れの為にと云うまだ何事につけても未経験な19歳の我が子の一途さを十分慮っての父親としての情愛ある、激しいが、当然の言葉であろうと思われました。元長は、俯き加減に聴いていましたが、なお、何か言いたそうにその父親に向って顔を上げます。その時を捉えて
 「待たれよ元長殿」
 と、重く静かに隆景が口を挟みます。
 「今、兄上の申される通り、夜の戦の危なかしさ、難しさは、言われなくても元長殿には十分にお分かりの事だと思う。どちらが勝利するにしても、その戦いがあまりにもむごたらしい悲惨な結果を伴う事は間違いありません。武門の誉れどころの騒ぎではないはずです。でも、我々武家の戦いには、その誉と云う御旗の為に、死の恐怖をも、遥かに通り越して行っていると申しても過言ではなのです。それこそが武士の武士たる所以の戦いなのです。己の魂までをつぎ込んで戦うのです。その意味で元長殿の申される事は正しいのです。武門の誉れとしての戦、それこそが毛利家の武将としての正義そのもの戦いなのです。・・・・・・・でも、まあ、しばし待たれよ元長殿」
 膝を少し開き直しながら、
 「我々には、元長殿が言われるように、確かに武門の誉れを掲げて戦う事は、例え、いくら不可能に見えても、敢て、やろうとすれば、元春殿が申されるように、結果を度外視すれば、いかなることになろうとも、夜だって十分にできます。それで自分の持つ武門の誉れが打ち立てられ、死すらその名誉と比せばなんて軽量なことと思えるのです。此処に待機する毛利家の総ての将兵は、ひたすらその命を待ち望んでいるのです。でも」
 と、隆景は、元長を始めその場に控えておる武将たちの面々を一通り見まわしながら、更に言葉を続けます。
 「元長殿、此の思いは毛利の総てでありましょうや。先に三沢氏の疑惑を申したのはあなたではなかったのですか。その三沢氏だって、その思いはあなたと全く同じです。でも、残念ながら、この武門の誉れのために戦う事の出来ない我が将兵が六千もいるのです」
 敢然と言い放ちます。