私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

秀吉から宗治に当てた書簡

2010-08-24 20:26:50 | Weblog
 2回に渡ってお届けしました、一服の清涼剤はどうでした。何だこんなの一つも涼しさの足しにもならんわいと思いのお方も多かったのかもしれません。
 でも、私には目の鱗の貴重な発見であるように思われたので、こんなことをお知らせしたのですが。
 
 又、高松城の水攻めに戻ります。


 「切腹いたします。」
 宗治は、何の恵瓊に申します。
 時は、刻々と、天正十年六月四日を過ぎようとしています。高松城を取り巻く堤防を囲んで、余裕すら一刻たりとも残されてはいません。それまでに経験したことがないような大規模な、日本の史上で例を見ない程の、誠に無残なとかしか言いようのないような戦いが、この高松の地で繰り広げられる事は誰の目にも確かなことです。
 その成否の鍵を握っているのが、この世広といえども、一人、安国寺恵瓊を置いてありません。そんなことぐらい恵瓊には痛いほど分かっています。そこは恵瓊の老練さが総てをカバーするのです。
 恵瓊は、ゆっくりと宗治を見上げて言います。
 「城内の人たちのお命は総て、確かに此の恵瓊がお預かりします。それから、毛利家の存亡も」

 宗治から、蜂須賀侯に当てた書簡を大切に胸に押し抱いて、恵瓊は、再び舟上の人となられ、秀吉の元に馳せ参じます。

 秀吉の御前に侍った恵瓊は、高松城内での宗治との話を詳らかに申し上げます。

  只、一言、秀吉は、
 「あわれ義士也」
 と言い、宗治に当てて書簡を認めます。