私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

清水宗治の決意

2010-08-19 09:38:40 | Weblog
 恵瓊を乗せた舟は増水した水の為に、直接、高松城の本丸へ着きます。早速、清水長左衛門宗治は恵瓊を招きよせ、
 「此処に来られた趣意は如何に」
 と問い質します。
 「清水侯のご尊顔を拝し奉り、恐縮至極に存じ上げます。一別以来の御活躍、誠に御目出たき次第に存じ上げ奉ります・・・・・」

 と、型通りの挨拶もそこそこに、毛利方と秀吉方の今の状況を語ります。

 「此の度、旧知の秀吉より招きを受け、御大将元春・隆景侯の了承の元に、両軍の和議を諮ってまいりました。元春・隆景公は言い放ちまする。『足下の生命を助け侯はば和平すべし、それ無き場合は、決して、和議には非ず。戦いを挑み共に死せん』と、一方、秀吉は、『宗治の切腹こそが和議の条件だ』と、一言の元に言い放ちます。その秀吉は宗治侯の切腹無くしては、己のこの戦いの指揮者としての武士としても面目は立たなくなってします。『武門の恥辱になる』と申すのでございます。両氏とも、その思いを引っ込めようとする気配は聊かも有らずでございます。・・・こうなったならば、いよいよ明日に迫った両軍の戦闘は、もはや避けようとしても、決して、避けられるものではありません。多くの両軍の、命がこの地に散り往く事と必定なのです。・・・・そんな折、その仲立ちをしている私には、もし、この戦いで、両軍和睦整いせば、この中国にも、応仁の世から打ち続く長く戦国の世から、忽ちに平均して、その結果、万民の塗炭の苦しみは無くなる事は確かなことだと思われるのです。どうしたら、その和平が、この地に訪れるのでしょうか。いかに宗治侯はお考えですか」
 恵瓊は淡々と語りかけます。その言葉を宗治は黙って、静かに、表情一つ変えないで聞いています。更に、続けて、恵瓊は続けます。
 「もう和議は敗れました。多分、明日の今ごろ、この高松城に籠城している数千と云う人の運命の行き先も分かりきっています。水がもうここまできています。城に巣つく蛇や鼠までもが、城に上って、ここまで来る間に私の足元に姿を見せ、逃げようともしないで、自分の命の行方を知り尽くしているが如くに、黙って、うずくまっています。・・・・それのみか、この城を取り囲んでいる敵、味方双方の幾万と云う兵士までもが、明日の己の運命も如何にかと戦々恐々としています事明白です。己の死が刻々と迫っていることが己自身によく分かっているのでしょうか、敵、味方総ての兵士の眼に、虚ろさが漲なぎっているように見えます。これは、将に、世間で言う地獄絵の中にいる人間のようにも感じられます。今、この狭い吉備の野一帯に対峙している両軍の兵士総ての間に見えるのです。何と憐れな姿でしょう。髪の仏もいない、将に、末世の中の姿を呈していると云っても過言ではないように思えまする。」
 
 恵瓊は良弁を続けます。
 
 しばらく沈黙が続きます。城は、全く時が止まったように動きそのものがありません。打ち寄せるさざ波の床板を打ち付ける音でしょうか、ひたひたとと云う音だけが、そぼ降る雨の夕暮れの城に、響いているだけです。死の世界にいるかのようです。

 宗治は、唯、恵瓊のゆっくりとした、これ以上の重さはないような低い声を押し黙って聞いています。
 
 この恵瓊が一人でこの重く厳しい語りかけを宗治にしている数刻前でしょうか、そうです、湖上に一艘の小舟が姿を見せるほんの少し前にです。宗治は、兄の月清、難波伝兵衛、近松左衛門等の主だったこの高松城に籠城している武将と何やら相談していたのです。