私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

秀吉と元春・隆景の奇知

2010-08-14 08:40:11 | Weblog
 「清水宗治の切腹。それは私の伺い知る範囲のものではありません」
 恵瓊は秀吉に対坐して屹然と言い放ちます。
 「このようになった今、あのような水の上に浮かぶ落城寸前の高松城を目の前にして、清水長左衛門宗治が首を見ずして和睦せんは、信長公は、いかが思召めすことやら。その首一つで、幾万と云う兵士の首と引き換えにするのじゃ。それが信長公を迎える印とせねばならんのじゃ。勝ち負けを言うのではないのだ。この戦いの象徴にせねばならんのじゃ。これだけの大仰な戦いを、何もせずに終わらせることは、織田信長と云う名前に懸けても出来んのじゃ。それが我が方のこの戦いに懸けた必死の姿なのじゃ、この戦いの意味にもなるのじゃ。・・・・どうじゃな、日差山の吉川元春・小早川隆景に掛け合ってみてくれんか」
 そう言い放った秀吉の心の裏を見抜けない恵瓊は日差山の毛利家の本陣に帰ります。

 「ただ今戻りました」と、秀吉との話の顛末を語ります。

 元春・隆景はその話をじっと聞いてい居ましたが、案外の事であったのでしょうか、暫らく、何も言わずに思惟していたのでしょうか無言の静寂が続きます。ややあって、元春が何か思案ありげな物腰で言います。
 「約無うして和を乞ふは、謀(はかりごと)也と、孫子は言っています。その上、この度信長の軍勢が加わる事になれば、幾万というその勢力は、ますます強大になって、もうこれ以上、どうしったて増えるめどもない我が毛利の軍勢が、どのように立ち向かっても勝ち目は目に見えて居るのじゃ。それに目の前の高松城の落城もあと数日で、あそこに籠城する数千もの者は、総て水の藻屑になること必定じゃ。今、戦う前から勝敗損利は歴然としておるのじゃ。・・・秀吉は智勇の將だ。その辺りの事を十分に察知しているにも限らず、如何して、そのようなる和を請うたのか不審じゃ」
 すると、脇にいた隆景も、力強く言います。
 「味方の軍勢が秀吉のそれに比べ劣っていることは十分に分かりきっている事なのだが、我々は高松城に籠城している、あの清水宗治を助けるために、ここに陣を敷いて対峙しているのです。その宗治が切腹したのであれば、何のために、毛利の総ての軍をここに集結させたのか分からなくなってしまう。秀吉が、直ちに、城を取り囲んでいる堤を切り開いて、洪水を落とし、宗治を始め城中にいる数千の軍兵が助けられないのであれば、此の和平の案を了承することはできない。予定どうり明朝総攻撃の態勢に入る」
 と。