私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

暫らく小説家の部門に??? 夕焼け雲

2010-08-28 20:46:21 | Weblog
 秀吉の石井山本陣を後にして恵瓊は、足早に毛利氏の“日差山”の本陣に向います。その間の距離はおよそ十町ばかりです。

 「今日一日、何があったのだ。詳細に語れよ、恵瓊」
 吉川元春は、性急に恵瓊に迫ります。恵瓊は静かに、今日一日の事次第をつぶさに語り出します。秀吉の和平の詳細、それを受けての高松城内での清水宗治の覚悟などを。
 
 「宗治公が、自らこの高松での両軍の対決の結末を、己の命と引き換えに終結させる事が、此処に集結した多くの人々の、ざっと数えてみても両軍合わせても十数万は下らない人達の、和平につながる事になるならば、更に、長年、戦の為に多大な被害を被った多くの民百姓の安心に繋がるものになるならば、私一人が身を滅することで、それが可能なばら、私の拙い命など少しも惜しくはありません。それまでに数々の御恩を賜った毛利家に対して、その一人として、寧ろ、名誉にさえ思われるのです、と、笑いながらその心境を語った宗治の心意気を、その毛利家に真の臣下としての義心を垣間見ました。・・・・・此の心意気には、敵將秀吉公も、もいたく心を動かされてれていたように思われまする」
 元春も、傍で聞いていた隆景も静かにうなずきます。
 「うむー 宗治が切腹とか・・・」
 少しの間、聴いていた毛利家の重臣たちの間にも沈黙が流れます。誰もが口を一文字に結んだまま、息さえ聞き取れないかのような静寂が場を流れます。
 永遠の時が、そのままその場の時を支配するのではと思えた、その時です。
 「ま、ま 待たれよ」
 と、力強く毅然と言い放った一人の若者がありました。
 重ぐるしい混沌の空気が流れていた場に、何か突然の異変でも起こったかのように、何にが何だか分からないように、その場にいた総ての者に一瞬の緊張が漂います。
 その声はあまりにも凛々しくゆっくりと応々しく部屋いっぱいに響きました。

 その声は吉川元春の嫡子吉川治部少輔元長でした。
 「それでは、結局、我が毛利家は、あの勇猛果敢なる我が義将清水長左衛門宗治を黙って切腹させることを認めるのですか。それは見殺しに如かずであります。先に決めた明日の秀吉との決戦は、如何になる事に相成りましょうや。・・・もし、秀吉の思惑どうりに宗治の切腹を黙って見過ごすことになれば、我が毛利の武門としての誉はどうなりましょうや。まさか、あの高松城と一緒に水底に沈んでしまうのを容認することになるのではないでしょうか。・・・・初心を貫き、我が毛利一族が敗者となること明らかなるも。なお、戦ってこそ、この毛利の名を高松の苔に残すべきでありしょう。時を移さず、今にすぐ、打って出るべきです、今が其の時なのではありませんか、時将に至りです。いざ決戦を・・・」
 と。

 沈黙が、又、しばらく流れます。誰もが眼差しを、あらぬ方角に向けて押し黙ったまんまでいます。身動き一つも起こる気配さえもありません。戦国の武将として己の命を黙って投げ捨てるのが我が武士道として、当然な事だと、覚悟はできてはいたのですが、いざ戦いの前に臨んだ人としての武将達の胸の内には、なんだか訳のわからない、ただ、それでも、宗治に己の運命を託して、今しばらく生きてみたいという願望みたいなものがちょろちょろと顔を覗かせるのでした。
 我が行く末を慮っているのでしょうか、運命と云う、いたって、複雑怪奇なその場その場で変化し姿を替えてくるものの中に、突然に、放り投げられ、何が何だか自分自身の心もどこに行ってしまったかの如くに放心しきっていました。

 梅雨空が、突然、晴れて、遅い夕焼け雲が遠い福山辺りの西空の一部を真っ赤な茜色に染めています。