私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

冠山城での最後の酒宴

2010-07-30 11:01:23 | Weblog
 戦国の世では、戦いの前には、戦勝を祈念して酒宴を催すのが慣例になっていたのです。
 秀吉たちが、次に、この冠山の城を攻撃してくることは明らかです。だから、その総攻撃が行われる数日前だろうとは思われますが、その酒宴が行われた日時までは分からないのですが、この城でも、総ての兵士が参加して、つぎの戦いに備え、お互いによき手柄がたれられますようにと、酒宴が開かれたのです。 
 その席でのことです。参加した大将の兵卒も、何がしかの余興にと、謡や舞をそれぞれで披露しています。ところです。この団右衛門、出が船頭ですから、謡も踊りもからしきだめなのです。一人で酒ばかり食らっていました。手拍子もころくにできなかったのです。
 常日ごろ、この団右衛門の功なくして足軽頭にまで成り上がっているのを憎々しく思っていた総大将の松田左衛門という武将が、酩酊していたということもあって、

 「見てのとおり、みんなこの酒宴に興を添えよう、或は歌い又は舞い、思い思いに肴をなしているのに、汝はいったいなんじゃ。酒ばっかり食らって、ろくに手拍子もできないじゃあないか。汝は芸州の青海原を往来する船頭の息子だ、と聞いている。船頭の息子なら舟歌ぐらい知っておろう。どうじゃ、それをひとつ聞かせてくれんか」
 と、少々からからかい気分で、じんわりといじめをします。
 
 すると、団右衛門は大いに怒って云います。

 「そうだ。みんなも知っているとおりわしは船頭の息子だ。舟歌ぐらいなら知っている。御好みに候へば舟歌一番歌うて聞せ申す」
 と。傍にあった槍を小脇に引っさげて、更に
 「わしの舟歌は船の上でしか歌えん。どうじゃな、松田殿、貴公ここに仰向け寝てもらえんか。その貴公の腹の上を船だと思って、この槍を櫂の変わりにして、そこで、わしが舟歌を歌うから」
 と、
 「なにお、こしゃくな、われの腹上で舟歌だと。よくも」
 とばかりに、松田は刀を押取り立ち上がります。

 あわやというところに、鳥越、林など大将が押し隔ててその場はどうにか事無く終わります。