私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

高松城の水攻め

2010-07-16 17:55:59 | Weblog
 俄かに出来た人口の湖に秀吉は、舟数艘を出し、その上に大砲を据え、頻りに高松城に向けて隙間なく撃ち込みます。
 「山川是が為に振動して、声江河を裂き、勢い雷電を崩せり。」と、その時の湖上の激しい大砲の雷鳴の様子が、このように表現されています。
 
 この時の秀吉方兵力は総群八萬余騎、その内二萬騎を毛利軍に対処させ、残りの六萬騎を高松城の周囲に配していたのです。一方、毛利軍は四萬余騎を猿掛山(毛利輝元が)や高松城に対面した廂(ひさし)山(吉川元春が)などに拝して、戦いに備えていたのです。

 このような状況の中、堤防の高さは段々に高くしていきます。水は愈々高くなり、水の深さ八尺余り(約2m40cm)になり、兵隊たちは困り果て櫓に登ったり、木の枝に簀の子を取り付けたりして居場所を確保する状態でした。
 終には全員が水底に沈み、城内にいる者全員が魚の餌ととなるのではないかと悲しんだ者もおったのです。
 清水宗治は水練の達者な者を選んで吉川元春の陣へ、城中の形勢を告げたのですが、秀吉の守りが堅固で、とうてい堤防を切り崩すことは不可能だったのです。
 「徒に日を重ねれば、水次第に増益せり」
 
 この戦いを見るに、この狭い高松周辺には両軍合わせて十二萬人が集結して戦いを繰り広げていたのです。もし、この模様を空からでも眺めることが出来たらとしたならば、壮大な絵巻物となっていたのはい言うまでもありませんん。

 なお、あの関ヶ原の戦いに参加した両軍の兵力は計十六万人ぐらいでしたから、それとほぼ同じくらいの人数が、この狭い高松城の周辺に集まったことになります。それも二十日間以上の長期間にです。