私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

冠山城より煙が

2010-07-29 14:51:07 | Weblog
 清正ら秀吉方の軍勢総勢が、その冠山から退却していた時のことです。今、あれほど勇猛に戦っていた冠山城から、突然、思いも及ばなかった猛焔が雲中に立ち上っているではありませんか。それを見た清正は、直ちに察します。
 「きっと、毛利の城中に謀反を起こしたものがいて、城に火をつけたものがいるに違いない
 と。
 これは千載一遇の機会だと思い
 「すわ、退却中止。みなのもの冠山に再度突撃だ。突っ込め」
 と、命令を下し、清正が一番手で、馬を引き返させます。城壁の側にめぐらせていた隍(ほり)際へ攻込みます。すると、不思議にも、その時、あれほど頑なに攻略を阻止していたはずの強固であった城門の扉が内よ自然に開くではありませんか。それとばかりに、その城門の中に、清正軍はなだれ込みます。そこに一人の毛利方の武者が飛び出してきて
 「降参降参」と、叫びながら清正の前に平伏します。
 毛利方の足軽頭をして、この冠山の防衛に来ていた武将です。名は黒崎団右衛門と言います。
 
 どうしてこの毛利の武将が、清正の軍に寝返ったのでしょうか?それにはこんな理由があったと伝わっています。

 もともと、この男は芸州の吉田と言うところに生まれた猟師だったのです。海の男で、武芸も武士としての素養もまったく無く、平生から武将たちの間から蔑まされていたのです。というのも、猟師がどうして武士に、それも足軽頭という相当くらいの高い地位に着いたかといいますと、それは、この団右衛門に妹がいて、誠に艶麗なる美容の女でした。それがタマタマも毛利輝元の目に留まり寵を受けます。そんな関係で俄に武士になったのです。それも人足頭にです。だから、平生から周りにいた者たちから、面と向かっては云われないにしても、相当疎んじられていというか、猟師上がりの妹の色香に便乗したた成り上がり者だと軽蔑されていたのです。
 
 この冠山に、秀吉が他の軍勢が押し寄せてくるという情報によって、毛利方の武将たちが篭城しはじめた時のことでした。秀吉方との戦いの戦勝を祈願して、ある夜、大将より士卒まで篭城者全員の酒宴が開かれます。
 その時、この団右衛門の心は、「毛利憎し」ではなく、そこに篭っている毛利方への、特に、大将松田と言う人への反発が復讐の心を生ませた一番の原因であると、この絵本太閤記には書いていま。