私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

秀吉の乱暴な戦術

2010-07-14 10:19:27 | Weblog
 4月下旬から堤を築きだして、5月上旬には完成しています。20日間ほどの間、昼夜を問わずの突貫工事でした。
 このようにして出来上がった堤防でしたが、常円は云います。
 「秀吉の御運にやよりけん」
 と。
 そうです。この堤が出来上がると途端です。3日間に渡る「しのつく程の大雨降りけり」といった状態です。天が秀吉に味方したのです。御運があったのです。

 法橋玉山と云う人が書いた「絵本太閤記」には、その辺りの模様を、次のように書き表しています。

 「梅雨瀧津瀬なして降来る程に、漸々に水嵩増り・・・・・」。次第にみずかさたかまりあっという間に、城の周りは海のように成ったのです。

 此の大雨を見た秀吉は、直ちに命令を下します。その時の模様を常円は語ります。
 「門前村(現在の高松門前)の外に三十間程の砂川あり、常に脚半のぬるヽばかりの浅水也。川上に大井村と云う故に川の名を大井川と云、彼三日の大雨にて川瀧成て流るヽ時、秀吉の仰せにて人数二千計手と手を取合て、此川の門前村の前へひたひたと入て人にて水をせかせたまいければ、其川下は二三尺迄はなき程浅瀬と成りける所を、土俵を以てつき切門前村の前の堤の口へ入ければ、逆巻て城外へ水滔々と目コスラス間に大海の如く成りける・・・」
 と。
 「人にて水をせかせる」そうです、人によって水を堰き止めさせたのです。何と乱暴な人権無視の方法をとったのです。太閤紀には見えない、秀吉らしい戦術の記述です。その詳しい方法の記述があればもっと面白いと思うのですが。
 
 今日、岡山地方には洪水警報が出ています。数日前から雨模様の天気が続いています。どれだけの水嵩かと、足守川(あの門前近く)まで行ってみました。滔々とした大変な流れです。こんな中によくも二千人もの人を並べられたものかと感心したり驚いたりした次第です。
 
 この水攻めに使った川水は高松城の周辺に降った雨だけを集めたのではないのです。備前の山々に降った川水までミゾを作って、この高松城の堤の中に流したのです。それ以後、高松一帯の田畑では、此の時、備前から引いた溝の水を田畑に利用します。
 「備前の水で備中の田をつくる」(他人の褌で相撲を取ると同義)
 と、備前の人々から、随分と、ひにくられたらしいことも書かれています。

 なお、蛇足ですが、太閤記には「川角太閤記」「甫庵太閤記」「真書太平記」「絵本太閤記」などがありますが、ここに取り上げた太閤記は絵本太閤記です。