私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

まんどうゑかくやと、夜を昼に替えたるが如し

2010-07-23 07:59:18 | Weblog
 高松城の水攻め用の堤の警護が如何に厳しいものであったか、その堅固なる様子を太田和泉守の太閤記には

 「堤の上には柵を付廻し、下には町屋作りに、小屋を小路小路に並べ、夜番廻番絶間もなくして、毛利家よりの密通だも思ひたえたり。況や助成之便をや。堤に添て十町に一か所づつ要害を拵え、大将小将を入れおき二六時中当番もしやの油断を催促せられけり。夜に入れば提灯を燃しつれ廻り侍れば、まんどうゑかくやと、夜を昼に替えたるが如し。又一万の勢を分けて後巻を相防ぐベく手だて有り。」

 このような物々しい防御の体勢を取っていたのです。所謂、ありの出入りの隙間もないくらいな厳重な警戒を取っていたのです。

 このような防御体制であったために、
 「陣の構え堅固なれば切落す手だてもなく、只用なき長詮議のみにして、はかゆくべくもあらざりけり」
 と、絵本太閤記にも記してあります。

 毛利方の者も、どうにかして、この清水宗治らを助けたいと思っていたのですが、あまりに完全なる防御の体勢を取っていたために、どうする手立てもなかったのです。夜を昼に替えたような明るさではどうしようもありません。そのくらいに秀吉のこの戦いにかける意気込みのすごさがうかがわれるのです。乗るか反るかの一大決戦だったのです。
 考えようによっては、この戦いは関ヶ原の戦いより歴史的な意義が大きいのではないかと思えます。いかがでしょうか?