私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

夏越の祓

2010-07-01 10:43:46 | Weblog
 昨日は六月尽でした。夏越の大祓(本来は陰暦の六月三〇日)が吉備津神社でも執り行われました。今年も私も参列させていただきました。
 
 毎年ですが、今年も、また、大勢の参拝者が祓ひを受けていました。遠くは倉敷市連島のお方の姿も見られました。毎年、県下各地からの参詣者で賑わっています。これは吉備津神社のあまり派手ではないのですが、静かな隠れた大切な年中行事の一つになっています。かえって地元より、他の地区からの参詣の方が多い神事なのです。
   
  

 形代流し、参加者全員による御祓の祝詞奏上、茅の輪くぐり、玉串奉奠等の神事を行います。

 これ等の神事には、もう大方は忘れ去られてしまっているのですが、その一つ一つに各々深い意味があるのです。

 又、例の「山井四季之詞」より抜き出してみました。

 この本によりますと、天皇の行事(有職故実)としての大祓の儀式は、今は行っているのかどうかは分からないのですが「節折(よおり)」と言うのがあったそうです。婦竹を天皇の背丈、肩から足先までなど九か所を計り、九本の竹を切り取り宮主が祭壇にささげて御祓をするのだそうです。この時、その竹に天皇が御気吹きかけられた後にお祓いを行うのだそうです。

 一般に行われているのが「大祓(おおはらえ)」です。夏ばらえ、夕ばらえ、なごしの祓、あらにこならえなどと呼ばれています。「夕ばらえ」の名が示す通り、この神事は夕べに執り行われるのが普通です。


 全国の神様を祭っている所では、天下万民の犯した罪穢を払い除かんために神に祈る大切な神事なのです。
 このお祓いの起源は、例のイザナギノミコト(伊弉諾命)が、筑紫の日向之橘ノ小門之檍原(ヒムカノタチバナノオドノアワギハラ)に黄泉国(よもつくに)の穢を祓った事に基づいています。
 
 この祓と言う神事は、人々が過去に犯した諸々の罪と穢れと歪みと災いと厄難とを除くために行われる日本民族独特の固有な信仰です。禊祓(みそぎばらい)とも言います。
 この祓いは「洗い」に通じますから、その災いを「水に流し」て、生まれたといのようなきれいな身にしてもらうためにお祓いを受けるのです。型代を水に流すのも、その考えが元になっているようです。
 
 この頃は「そんなのあるもんか。迷信だ」と、神様を信じようとしない傾向があります。学校でも「信教の自由の侵害だ」と、云う事で、そんなものは「くわばらくわばら」と避けて通るのが普通になっていますが、そこら辺りにも学校が荒れる一つの原因になってはいないでしょうか。
 こんな大祓など神事に積極的に参加させて、そこで、その意味を教え、また、自分の穢れを考えさせたり、反省させたりする機会を与えてやらないと、子供たちは、何時、自分を反省することが出来るでしょうか。家庭の役割かもしれませんが。
 
 どうですか。時には、ご家族で、吉備津神社にお参りして、お守りを頂くののいいのですが、自分の身にまぶれ付いた穢れを、神殿に殿上して神の御前に首を垂れ、お祓いをしていただくのも、又、いいもんですよ。

 従2位家隆の和歌です。

       風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
                    みそぎぞ夏の 知るしなりける

 蛇足:この歌も夕暮れです。なお、吉備津神社では午後4時から神事が始まりました。念のために。
 

  そう言えば、日本人は「みそぎ」なんかしなくなったものですね?????