私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「十死一生の合戦せられ候ふべし」

2010-07-25 08:07:24 | Weblog
 余りにも厳しい警護態勢の為、毛利方では、ただ単に長詮議を重ねるだけで、これといった対策を打ち立てることはできませんでした。
 そのことに業を煮やした一人の若者が毛利家にいました。その人の名は吉川元長という。元春の長男です。彼は言います。

 「こんなに、ただ、徒らに長談義ばかりしていては埒があかない。今、此の地に織田信長が自ら指揮すべく援軍を率いてやってくると聞いている。もし、そうなると、敵方の総勢は二十万にも膨らみ、我が毛利家が如何に奮戦したとしても勝敗は決している。その援軍が来ない今こそ、総攻撃をかけて、秀吉の軍勢を打ち破り、堤を壊し、清水宗治らの友軍を助けるべきである」

 さらに、彼はその戦術として
 「小早川の軍勢は多くいるので秀吉の本陣へ、自分はその後ろ側に回って、秀吉の軍を挟み撃ちにして攻めれば、<勝利一時に是有るべし> 秀吉側についてりう備前の軍勢はそもそも以前から表裏一体の弱兵だから、我が軍が優勢になれば自ずから毛利方に味方すると思う。今こそ十死一生の合戦になること間違いありません」
 と。その攻撃方法まで示しながら合戦の戦略方法までを示したのです。

 智慮深く、謀を先にして戦いを後にする小早川隆景は、卒然と葉答えず、目を閉じて、手を打ち組んで思惟していました。