Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

【てつどう】最後に残った営団(メトロ)5000系。

2010-07-16 | てつどう。

マイクロエースの5000系欲しい




6000系がまだまだ数多く残っている東京メトロの千代田線にも、
いよいよ新型車16000系がデビューすることになり、
JR車・小田急車以外は1968年の登場以来ほぼ6000系だけで占められてきた千代田線も、
大きな変化を迎えることになりそうです。


ところで、千代田線には、俗称「北綾瀬支線」と呼ばれる路線があります。
メトロ上での運転上の西の終点、綾瀬から北へ走る1駅だけの路線ですが、
千代田線と切り離されて運行されているのがこの北綾瀬支線。

wikiの説明をそっくり借りれば、
「開業時に設置された綾瀬駅と車両基地(綾瀬検車区)を結ぶ車庫線を
営業用に使用しているものであり、開業前の北綾瀬駅の需要予測から
ホームの有効長も3両編成分で建設された。
この区間ではワンマン運転が行われており、ホームドア(ホームゲート)が設置されている」
とあるとおり、人口の多い23区内を走りながらも、3両編成の車両がのんびり往復するという特徴があります。
まあ、さすがに足立区だけあって、景色はぜんぜんローカルでは無いんですが。


で、この北綾瀬支線。ここはこの特殊性以外にも、
とても貴重な車両が運転されているので有名なのです。

それらは、6000系の一次試作車(ハイフン車と呼ばれる)と、
東西線の主力だった5000系の生き残り。しかもアルミ車体の試作車。

どちらも希少車なのです。


で、先日、所用あって綾瀬に行った時、
時間があったので折り返しで北綾瀬支線を楽しもうと思ったら、いたのが5000系でした。
たった1駅ですが、東西線の5000系が廃車になっていらいの邂逅を楽しんでまいりました。


久しぶりにみた5000系。綾瀬駅の先っちょ、0番線にひっそりと停車中。
5000系は、かつては東西線用に428両も製造されましたが、いまやここの3連×2本、計6両が残るのみ。
なおこの編成、1999年くらいまで東西線にいたようです。



それにしても初めて見たわけではない緑帯の5000系ですが、
やはりieの頭の中では青帯なので、いつ見ても違和感がすごい。
ちなみに5000系、10両でも千代田線で運転されていた時期もありましたし、
この北綾瀬支線用の5000系もこれとは違う車両(ステンレス車)でしたっけ
(トップ画像はそのNゲージ模型)。


似たようなアングルでスミマセン。アップでもう1枚。



ワンマン運転のためホームドアがあり、うまく撮れませんねー。

しかし、こういう平妻の機能的な外観の車両ってやっぱり好きです。
機能だけでデザインされている潔さ。窓!ライト!扉!方向幕!




で、のんびり走ってもあっという間に1駅先の北綾瀬着。
このまま折り返しましたが、それでも十分堪能しました。
戸袋窓がある「田の字窓」(実際には「日」が2つ並んでる感じなんですがw)
の4ドア車なんてあまり乗れなくなったので、なんだか懐かしかったですヨ。
あ、小田急の5000系には最近乗ったなあ。これも記事にしないとね。





今度はハイフン車の6000系に会いたいです。





>>おまけ1。
綾瀬からの帰りに乗った209系の1000番台。これも貴重、2本のみ。
相当数の編成(6000系×36本、203系×16本など)が走る千代田線で、
1桁しかない本数の車両に会う確率は結構低いので、
ちょっと嬉しかったです。




>>おまけ2。
綾瀬に行くときに乗った6002F。第2編成で、一次量産型です。
16000系導入で真っ先に廃車になってしまうのかな?
しかし、いつ見ても斬新な車両です。21世紀でも主力が張れる素晴らしさ。
後継の16000系は、40年後にここまでのインパクトを保てるでしょうか。


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【てつどう】阪堺電軌カラーの都電。

2010-07-09 | てつどう。

とある日、出向いた町屋駅前の都電荒川線ホームで、偶然モスグリーンの都電を見つけました。






もう三ノ輪橋方面行きホームはもう終電が出た後で、とても静か。
やってきた早稲田方面行きも終電で、途中止まりの荒川車庫行きでした。






これはいま、東京の都電荒川線と大阪の阪堺電軌の間で「PR相互乗り入れ」
というキャンペーンを実施しており、
それに合わせて7500形の1両が、阪堺電気の旧塗装に装われたもの。

都電のHPによれば、
「東京から大阪、大阪から東京へ」の観光誘致を目的として、
「都電荒川線・阪堺電車それぞれの沿線のさらなる活性化を目的に、
両路線の車両各1両を互いのカラーに塗り替え、「PR相互乗り入れ」として6月6日(日)から運行します。
これにより、都電荒川線には阪堺電車の昭和40年代のカラーの電車が、
阪堺電車には都電荒川線の昭和20~50年代のカラーの電車が走ることになります。」
とのことなので、
阪堺電軌にも都電カラー(黄色に赤帯)のモ501が走っているようです。



これがモ501型。


住吉にて。2年くらいまえに行った時。




でもどうせならもっと古いモ161型でも、この都電カラー見てみたい気がしますね!


帝塚山三丁目にて。去年の秋。吉野山の帰りに。



>>1枚目の7500形の画像は、E510で撮ったもの。いまさらながら知る手ぶれ防止機能の有り難さよ...。
ISO1600まであげれば、ここまで撮れます。嬉しいね。
さすがに解像度は粗いけんどもねー。
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【てつどう】昭和の残り香漂う優等車両、東武300系に涙する。

2010-07-03 | てつどう。



近鉄が好きなieですが、好きな理由に、その大きなネットワークと車両のバリエーション、
有料優等列車の存在(とそのボリュームの多さ)があるのですが、
そんな関西の雄に対抗できるのが、
忘れちゃいけない、関東に君臨する東武鉄道です。


でも実は居住エリアが東武の沿線と離れていることもあり、
半蔵門線や有楽町線、日比谷線に乗り入れてくる東武の車両にはよく接するものの
いざ「リアル東武区間」ともなると、ひょっとしたら近鉄よりも
ここ数年は乗っていないのではないでしょうか(汗


近鉄が名古屋から京都、奈良、大阪までの広範なネットワークを民鉄1社で
持っているという凄さと、都市間連絡ではなく地方に伸びていく東武とは
路線の広がり方が違うと言えば違うのですが、でも浅草から日光、鬼怒川、伊勢崎、
佐野など、かなりの長距離まで伸びるその路線網に、いまさらながら感銘を受けたりしています。


で、東武といえば前述のとおり「有料優等列車の存在」なわけですが
(小田急にも西武など各社にもありますが)、
東武も東上線を除く各幹線にちゃんと走っていて、しかもネームド・トレイン。
車両のバリエーションや両数こそ近鉄には及びませんが、
でも20m級の大型特急車が、4~6両の編成を組んで長距離を疾駆しているわけですね。


...前ふりが長くなりました。



東武にはいくつか有料優等列車用に車両がありますが、その中でもie的にツボな世代、
旧1800系の生き残り300系/350系が好きなんですが、
この車両、まだわずかながら定期列車として運転されているので所用の合間に見に行ってきました。




浅草駅特急ホームにたたずむ「きりふり283号」300系トップ編成。
まだ浅草では客はまばら。北千住からそこそこ込み合います。
時間的にJRでいうホームライナーの役割を持つ列車です。



300系/350系は、古くなった5310系などの代わりに、昭和44(1969)年から製造された
伊勢崎線系ビジネス用急行車両1800系(りょうもう用)を改造した、
日光線系の特急車両です。


1800系時代に特徴的だった赤+白帯の塗装は、スペーシア系の日光線優等列車色になっていますが、
キノコ型クーラーが並ぶ外観は、すでに引退したDRC1720系を彷彿とさせますし、
全体的な外観のデザイン、そして車内の見付はいかにも昭和40年代の特急という雰囲気でたまりません。



テカテカのデコラ板が現代のアコモとの違いを明確に物語ります。





リクライニングしない妙に背もたれの立った回転クロスシート。
でも座り心地は良好!
シートピッチは960mm。
モケットの色と言い、背もたれに仕込まれたテーブルがクラシカルでなんともすてきです。
足元のフットレストはむしろ不要な印象(正直言って邪魔^^;



485系みたいに窓の下端が高くて案外外が見えないのもクラシカル?




停車駅の多い「りょうもう」用に、ドア数こそ1両あたり1か所ながらも
幅の大きなドアが特徴的。トイレの窓が長距離列車運用に就く車両の証し。






アルミ枠の窓もクラシカル。
それにしても東武の浅草駅って20m級が入るとこんなに隙間があくんですねえ。




でもこの櫛形駅の雰囲気、好きです。
ここからクロスシートの電車に乗って出る旅情はなかなかのもの。




でも6両編成が入るとこのギリギリっぷり(涙
先頭のドアは渡り板使わないといけないほどです(^^;




うーむ、300系かっこいいっす(号泣
近鉄の12200系あたりに通じる雰囲気が最高♪
会社からちょっと離れてるだけのこの浅草から、
こんな昭和の香りがする私鉄の優等列車が毎日出ていたのですねえ。なんだか感動。

東武にはこれ以外にも「りょうもう」用の200/250系
(外観は新しいが200系はDRCのシートや足回りを持っていてマニアックw)、
スペーシアの100系、
2扉クロス車で2連で長距離運用という、マニア心をくすぐって何度乗っても嬉しい6050系
など、魅力のある車両がいっぱい。

東武の持つ世界観は独特で、やはりかなり魅力的。
近くてなかなかいかない東武、北関東方面を今後はもう少し攻めていこうかな!



>>1800系自体はじつはまだ1本、最終編成が当時の色そのままで残っているのですが
こちらは臨時用。
定期列車で乗れる旧1800系はこの300/350系だけです。
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【てつどう】デンマークのゴム顔DC・IC3がかっこいい

2010-06-25 | てつどう。
祝ワールドカップ日本代表決勝トーナメント進出!


ということで、劇的な朝を迎えたわけですけれども、
対戦相手だったデンマークといえば、ieはまっさきに「IC3型ディーゼル車(DC)」を思いだすわけです(大汗




その特徴は、タイトルにもあるとおり、「ゴム顔」...。










顔がほとんど「ゴム」ですw すんげーかっこいい~




このゴム、簡単に言うと、なんと「貫通ホロ」です。
で、ゴム以外の部分が、さらになんと「貫通扉」!
てことは、運転台はこの扉の裏にあるのかしら。
名鉄のモ600みたい(汗
ものすごい合理的な設計です。日本じゃ考えられないですよね。


欧州の客車って貫通ホロはタダのゴム同志をぶつけるだけだったりして、
日本の要に伸縮式のホロを出して相手の車両にガッチリつなぐ、という感じでは無いんですが、
このIC3のゴム顔はまさにそれ。
3両の短い編成単位を持ち、それを×2、×3と運用するにあたり、
分割併合の際の手間を省いてしまえ、という発想なのですけど、こういう合理的な考えっていかにも欧州ぽいし、北欧デザインだなって感じがします。



IC3はその名の通りインターシティ(主要都市間を高速で連絡する列車)として使用されるディーゼルカーです。
ちなみに、電車版はIR4というそうですよ。


パンタがついてるのでIR4?欧州の車両だが良く見たらバッファがないんですな



ディーゼルカーといえば萌え要素として機関の性能が出てくるのですが、IC3は3両のうち中間は「キサハ」、
つまりエンジンなしで、両端車両にそれぞれ400ps×2台のエンジンを持っているので、3両編成で1600psということになりますね。
性能的には1両当たり533psになるので、
キハ181系(500ps)かキハ183系の500番台(550ps)あたりというイメージでしょうか。
でもIC3、180km/h出るそうです...。まあ標準軌ってこともあるのでしょうね。



黒い顔、白い車体、赤いドア!モダンずぎる。
日本の鉄道車両もこのくらいシンプルなデザインに出来ないものだろうか...





>>いいなあ...欧州のディーゼルカー、ディーゼル特急には乗ったこと無いです。
見たことはあるんですけどもね。まあそれも数回ですけれども...(涙


SNCF(フランス国鉄)の車両ですが、レンヌで見たローカル用のディーゼル、X4600系。
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【てつどう】名鉄600V路線の廃線跡に涙する(3)美濃町線跡は今

2010-06-07 | てつどう。



あれま、GWから1カ月たってしまったのですね。


ということで、さすがに長く続いた記事も終わりにします...。



谷汲駅跡から東へ東へ。揖斐線あとをたどり、郊外路線の出発駅だった
忠節駅跡のわきを抜け、かつては揖斐線直通車や市内線の車両が行き来した忠節橋を渡ります。
いまや、こうなればただの橋...。





そして、何も路面電車時代の痕跡が無い
岐阜市内を抜け、美濃町線の跡を進みます。




たぶん野一色のあたりだと思います。
町並みは一向に変わっていないのですが、路面電車がいないだけで、
とても寂しいものです。それに、人が全く歩いていません。






日野橋駅あたり。
徹明町から来た電車の折り返し駅。
こんなところだっけ?
歩道橋のうえから撮影した覚えがあるけど、歩道橋も撤去されちゃったのかな?





ちょっと先に進んでしまうけど、新関駅の跡。



ここはまだこんなに面影が残っています。
新関~美濃間が廃止になったあとは、ここから
電車は長良川鉄道の関駅に乗り入れるようになっていました。
それにしても中心部(関駅)からは結構離れていたんだなあ。今改めて思う。




そして、C5はそのまま西へ進み、美濃町駅跡へ。

美濃町駅は、駅舎・ホームともにほぼ現役当時のまま残されていて、ここに、
美濃電のエースだったモ510、美濃町線~新岐阜へ田神線経由で乗り入れるために開発されたモ600、
そして、新関~美濃間のワンマン用に準備されたモ590の3両、
さらには札幌からやってきたけれども立派に岐阜の顔に成長したモ870の顔だけが、
綺麗な状態で保存されています。




モ510とモ600。架線が無いのが残念だけど、まるで現役時代のような美しさ。
どちらも、美濃町線に深い縁のある車両です。





モ510のマスコン。ウェスティングハウスの刻印。大正15年製のもつ歴史の重み。





廃止近くになってかつての岐阜市内線の色に戻されたモ590(593)も、綺麗に飾ってありました。
ちなみに、同型のモ591と592は、遠く土佐電鉄(高知県)に送られ、
今なお元気で活躍しています。





ぱっと見ると3両並んでいるようですが、左端のモ870は、顔だけ+ホームに据え置き、
でした。
とはいえ久しぶりの再会に涙涙です。
なお、モ600の屋根に並んでいるのはクーラーでは無くて、抵抗器です。
これがために最後まで冷房化出来なかったので、
2000年に登場したモ800と入替って一挙に
6両のうち5両が廃車になり、この1両(606)のみが残りました。






馬面っぽい細い顔のモ600をアップで。
この小さな車体に複電圧、クロスシート、総括制御など、見どころの多い車両で、
1971年のローレル賞を取った輝かしき電車です。

重連で運転されることもあったので、電気連結器も備えたごっつい自連がかっこいいですね。




>>今回は昔の美濃町線の写真を探し出せず。見つけたら、アップして更新します。

>>岐阜の路面電車・600V区間が無くなって感じたのは、妙にクルマが増えたな、
ということでした。
もとからクルマ社会ではありましたけど、揖斐線の沿線は、もう少し空いていたように
思います。
駅前の空洞化、郊外のショッピングモールの建設、ロードサイドショップの増加。
なんだか、鉄道廃止の縮図を見たような気がしました...。


>>ちなみに...モ870って、晩年(2000年以降)複電圧車に改造された(部品はモ600から流用)のって
あまり知られていないとい思うんですが、ご存知でしたか?
複電圧機器の搭載場所の全然ないはずのモ870は
冷房+複電圧機器を積んでいたのですから、時代が進んだものだなあと思いました。
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【てつどう】名鉄600V路線の廃線跡に涙する(2)揖斐線跡は今

2010-05-26 | てつどう。
GWのGTの記事の続きです。長くて済みません(汗



谷汲駅を出てつぎに向かった先は...。




架線柱と線路がはずされただけ、といった感じで、いつモ750がひょっこり現れても
おかしくないような谷汲線廃線跡と並走して走り、
黒野駅跡を目指します。




黒野駅は揖斐線の駅で、谷汲線の始発駅でもあった小さな乗りかえ駅でした。
揖斐線の前身である岐北軽便鉄道時代以来の駅で、1926年築の瀟洒な駅舎が有名でした。
また、揖斐線・谷汲線の車庫もあって、運転の中核駅としての責も担っていました。



末期は赤+白の塗り分けだったので、今見るとむしろ新鮮に感じる単一塗装のモ510と、
1987年ごろまで市内直通の相棒だったモ520(奥)。どちらも美濃電の出自。
黒野にて、1987年。



2001年に谷汲線と揖斐線の黒野駅以北、本揖斐までが廃止になり、
かつての構内のにぎやかさは少し無くなりましたが往時の雰囲気はそのままでした。
でもそれも長くは続かず、ついに2005年、揖斐線自体の廃止を迎えてしまうことになったのです。



廃止後5年、駅舎が残っていたことは知っていました。
なので、足しげく通った黒野駅はすぐに見つかりました。
C5を停め、少し離れて眺めます。懐かしい。
でもカフェすらも営業しておらず、入口は板が塞がれていて
駅前の通りも誰もいない。これは寂しいぞ。




リフォームはされていますが、開業時から建つ由緒正しい建物の面影は十分です。
第一回中部の駅百選に選ばれただけあって、貫録もあります。




駅舎には現役当時の案内板が。揖斐線も谷汲線も記載が残っています。




でも、もっと胸をかきむしられるような光景があったのです。
それは、駅舎のすぐ裏、遺構が思った以上に残っている駅構内でした。










...ホームと上屋がそっくり残っているのです。
ここにはもう電車は来ないのに、それほど朽ちていない状態で目の前にそれはあるのです。
それは、衝撃でした。
まっさらな状態か、そこそこ残っているのではない、極めて半端な状態なのです。




黒野駅の現役時代。モ770登場のころ。まだ赤の単色塗り。
切り替え表示式の次列車告知板も懐かしい...。1987年。



小さな駅でしたが、揖斐線は決して本数は少なくないので、この構内をひっきりなしに
赤い小さい電車が行き来していました。
あの頃を、いろいろ思い出してしまいました。



...こういう気持ちになるのは分かっていたから、廃止されたらもう来ないだろうな、
と思っていたんですが、
ちょっとした拍子に来てみたら、まさかの状態を目の当たりにして、
思った以上に心に重かったです。

そしてなぜか、ieの心には、
揖斐線を初訪問してからの20年余にあったいろいろな出来事が、
まるで走馬灯のように脳内を、こころの中を駆け巡っていきました。

そのまま、静かな、あまりにも静かな昼下がりに、
ieはぽつねんと黒野駅跡の前に立ち尽くすばかり...。









...切ないなんてもんじゃない。
このやるせなさは、何だ...。





確かに足しげく通ったとはいえ、この沿線の住人だったわけではないんです。
それに、ここ以外にも、廃止される前に乗り、廃止後に訪ねたことのある路線もたくさんあります。
その無情感というものを、いろいろなところで感じたことは無論あります。

それでもここまでieに虚無感を与えたのは、それはこの揖斐・谷汲線が、
友人たちとはるばる訪ね、歩き、研究し、
小作品ながらも映画を作ったという「青春の1ページ」だったから。
ieの鉄道趣味の方向性への大きな影響を与えた場所であるということもあります。


それと、やりきれなかったんです。なぜ残らなかったのだろう?と。
平成になって路面電車が廃止される時代じゃなくなって
見直されようとしていた時期に、名鉄もそれなりに設備投資までしてきたというのに、
行政などの壁、そして自動車社会、さらには住民の意思の多くが、
この小さな電車たちの存続の道を阻んでしまった、とわかっていても。



しばし黒野駅に佇んだ後、とぼとぼC5に戻ります。
そして、揖斐線跡に沿って岐阜市内に向かうことにしました。
まるで思い出をトレースするように、駅の跡をたどります...。





政田駅跡。ここもホームが残ります。ホームのわきには新築住宅が建築中でした。
路線跡はこうして消えていくんだなと思った次第。
でも敷地はまだ名鉄のものなのかな?



下方駅跡。鉄橋に続く築堤は残りますが、駅舎やホームは跡かたもありません。



堤防に面したホームも懐かしい下方駅現役時代。1987年頃。




たぶん美濃北方~真桑付近。黒野へ向かう朝晩走っていた3重連。
まだモ520がいて、モ510に2種類の塗り方がいた時期。1987年。




美濃北方駅跡。駅舎とホームがここもそっくり残っています。
レールを敷いたらすぐにでも復活出来そうで、かえってそれが切ない。




そして、珍しい駅名で知られていた尻毛(しっけ)駅跡。
ここもホームがそのまま。やるせない。
たぶん廃止後に生まれたと思われる小さな子供が、すぐ脇で遊んでいました。




尻毛駅現役時代。モ751。



尻毛~旦ノ島間の鉄橋を渡るク2320型+モ700。1997年。



なんだか廃駅をたどるのがつらくなってきた(涙
んですが、このままie、市内線抜けて、美濃町線方面まで走ることにしました。
ということで、まだ続きます。



...ちなみに、忠節(ちゅうせつ)駅もショッピングセンターになって、もはやどこが駅だったのか
わからなくなっていました(号泣




>>鉄道のあとを担って行きかうバス。でも乗客の数はまばら。
道路にはクルマがあふれ、駅前は(もとから寂しかったとしても)
さらに閑散として、街の中心部の機能を失っていました。
きっと鉄道が無くなったことで、クルマへのシフトが進んだのでしょう。
鉄道を失った街と風景の寂しさが身にしみました。

>>でも、クルマを愛し、使う自分には、地方公共交通を残せ、
と声高らかには言えないんですよね...。
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【てつどう】名鉄600V路線の廃線跡に涙する(1)谷汲駅は今

2010-05-21 | てつどう。


さて。

揖斐まで来たからには...行かねばなるまい。

わが心の思い出の地に。



それは、名鉄600区間の廃線跡...。



このブログでも何度か出てきますが、名鉄600V区間は、思い入れが大きいのです。

とくに揖斐・谷汲線は、もう20年以上前、高校時代に猫澤君を監督に8mm映画を撮影した場所。
高校生当時のなけなしのお小遣いを使い果たし、一体何度通ったことか。
そしてクルマを持てるようになってからも、身近なGTの場所として、
幾度も行った場所、それが名鉄600V区間なのです。
なのでもちろん岐阜市内線も、美濃まで伸びていた美濃町線も、すべてが大好きでした。



揖斐線の黒野から先と谷汲線が平成13(2001)年に廃止になり、そしてそれ以外の600V区間も、
このブログに取り上げられている通り、平成17(2005)年にすべて消え去りました。




xantiaで行ったとき。たぶん1998年。北野畑にて。
そう思うとここにはMR2(AW11。最初のieの愛車。)、xantia、猫澤君のルーテシア
とかいろんなので訪問しています。




いま、再び見直されている路面電車。
しかも、路面電車と郊外電車両方の特徴を備えていた名鉄600V区間は、
ひょっとして新しい公共交通の姿を示せたのかもしれません。


ですが、名鉄と、岐阜県は、維持を選ばなかった。
結果、沿線から岐阜駅への流入が減り、クルマ利用に流れ、岐阜市内の商店の客数が
かなり減ってしまったそうです。

鉄道は無くしたらもとには戻らない。



さて。この話は長くなってしまうので、先に進みます。

養老鉄道の揖斐駅から、旧名鉄谷汲駅を目指します。
揖斐駅の近くには、名鉄の本揖斐駅があったはずなのですが、
本揖斐駅はまっさらで跡形もないという情報を得ていたので、
保存車両置き場と簡単な博物館のようになっている谷汲線の谷汲駅に行く事にしました。


自分たちが通ったころの谷汲駅と違う<平成8(1996)年に新築>んですが、廃止時のままである
ことはありがたいですね。




駅構内には、谷汲線で最後まで活躍したモ750(755)が保存されています。
大事に屋根までつけてもらっていて、この電車を愛した(大げさ^^;)ieには
嬉しい限りです...。



モ750は、昭和3年に名古屋鉄道(旧名古屋鉄道)が日本車輛で製造させた由緒正しい「名鉄の生き字引」のような電車でした。


ちょうどこの日は保存会の方がいらしていて、オフ会をされていたようす。
でも車内には入れていただけました。


ちなみに、こんなサボの展示までしてありました。
モ510で使われていたものでしょうか。
「やながせ号」「ハイキングながせ号」は昔運転されていた列車だったように思うので
これはレプリカなのかなあ。




で、実は谷汲駅にはモ510(514)も保存されています。



旧美濃電セミボ510型、なんと1926(大正15)年製!
製造後80年以上もたつのに、ここまでの美しい保存状態に感謝...!
そしてこの電車が現役時代に乗れたこと、見れたことは幸せでした。



1967(昭和42)年揖斐線~岐阜市内直通に抜擢(この時点で製造40年^^;)された際に
2+1配置のクロスシートに改造された車内も、往時のまま残されています。
しばし座って、思い出にふけってしまいました。




さてさて。
名残惜しいのですが、この日は帰る日。
でもまだ、ここまで来たら見ないといけない場所がいっぱいある。
保存されている車両には、また会いに来ればいい。
そう思ってC5に戻り、次なる場所へ向かったのでした...。



またまたつづく。



>>黒野方面の線路はぷつりと切れています...。これだけでも十分切ない気持ちにさせられたのに、
さらに追い打ちを掛けるような景色を目にするとは、このときまだ思いもせず、でした...。




>>トップ画像は、2CVに乗っていたときに書いた絵です。これ見ても、自分で
モ750(というか、名鉄600Vの車両全般)を愛していたことを感じます...。

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【てつどう】養老鉄道に生き残る近鉄の初期高性能車に感激する。

2010-05-14 | てつどう。


GWの滋賀方面GTの記事、もうしばらく続きます。しばしお付き合いいただけますと幸甚でございます。。。


ん?養老鉄道?
滋賀に行ったのではないの?

と思われる方も多いと思うのですが、今回、滋賀に行くに当たり宿を取るのが遅れてしまって、
とにかく宿が取れなかったのです。


滋賀県自体の魅力もさることながら、やはり滋賀は京都に近いので
京都で取れない分が滋賀に流れているのかな...。


ということで、ちょっと東京方面に戻ると宿に余裕が出てくるのを利用して
泊まった街は、大垣だったのでした。



ここから前回までの続き。
豊郷小を見た後は前述の通り最後のあがきで220系(モハ220)を見に
近江鉄道の多賀線に行ったんですが
やはりここも800系しかおらず。

で、そのまま彦根ICから宿に向かいました。
多賀大社も多賀の街も素敵だったのですが、ここは早く宿に入りたかったので
後ろ髪を引かれる思いで通過。




近江鉄道多賀大社駅にて。GW中で、多賀大社というそれ相応の観光地があるのに
街も駅も寂しい限りでした...。
というか、そういう自分もクルマで来ているわけで。心境は複雑です。



ところで。「大垣」と言えば言うまでもなく我々「鉄」には
大垣夜行の始発終着駅として心に刻まれている駅なのですが、
よく考えると数え切れないほど利用しているのに
大垣という駅がどんな街か、まったく知らなかったことに気がつきました...。



ちなみに駅ビルと反対側になんと大きなショッピングモールが出来ていて超びっくり。
というか、駅ビル側ではない駅前に何があったのか...そもそも知らないんです。




駅とモールを結ぶデッキから。再開発から取り残された好ましい建物。変電所?



夜は食事をしに、初めて駅前を散策。涼しい夕暮れ。気持ちよかった。



駅前ロータリーからすぐの交差点の角に半分廃墟みたいな古いビル。
昭和30~40年代に建築されて、中途半端な時期ゆえに保存されることもなく、
壊されるしか運命が残されていないようなこの手の建物も好き。
こういう古いコンクリ物件の前に国産旧車を置いて写真撮りたい(汗





ホテルに帰ったらバタンと倒れてそのまま眠ってしまったので、
その分、朝は早めに起きてホテルのバイキングでしっかり朝食を食べ、
いざ、「養老鉄道」に乗りに大垣駅に向かいます。




ここも以前から「行かないと、行かないと」と思っていた路線です。
かつて(20年くらい前)「近鉄養老線」だった時代、
桑名から懐かしの421系で大垣まで乗りとおして以来の訪問。
しかもその間に近鉄子会社で経営が分離された「養老鉄道」になってしまっていました。


今回は次に控えている予定があったため時間もないので、
乗ったことのない大垣から北の区間、大垣~揖斐までを乗ることにしました。





大垣駅前ロータリーからチラ見えする610系。
編成番号D11。旧車号は1901-6109-1801。両端は旧名古屋線系1800系、
中間車は貴重な南大阪線系6900系の生き残り。6900系は6000系の登場当初の形式。
3両とも昭和30年代後期~40年代初期製。


ご覧の通り、嬉しいことに養老鉄道になってから塗装が近鉄の旧塗装(マルーン1色)に戻っていて、
昭和30年代~40年代製の近鉄電車の格好良さを存分に引き出してくれています!
平成22年の光景とは思えない(号泣



で、駅に入り、乗りこんだ揖斐行きはこれ。



621F、D21編成。旧車号6011-6012-6106で、6000系初期車の転属。
小四角2段の旧タイプ尾灯に激しく萌えます。まだこんなのが残っているとは(涙



ほんとは「マジもんの旧ラビットカー6800系の残党」である600系D06編成に乗りたかったんですが、
まあ1本しかないし、そうそう会えるものでもないので仕方ない。
個人的にはわずかな区間ながらも、近鉄系統の車両、しかも古い車両に乗れるとあって
大満足なわけです(^^;



車内。
最近更新されて内装材などが近代的な装いになったようですが、
扇風機、近鉄の初期高性能車らしさを醸し出す高くて丸い屋根、
両開きの幅広関通路、長い吊革、蛍光灯のグローブ、柱のないシート袖仕切りなど、
この雰囲気もたまらんですねえ。






あっという間に終点揖斐。そのまま折り返し電車に乗って大垣に戻り、今度はC5でもういちど揖斐駅に来たのでパシャリと撮影。
C5の黒モール化、(しつこいようですが)ほんといいわ(自画自賛w)。





これまた古くて素敵な木造駅舎。大正8年に開業した初代養老鉄道時代からのものなのでしょうか?
長い歴史の中で、この路線は参宮急行時代なども経ているわけで、なんだか感動ですねえ。



もいっちょwithC5。ずんぐりむっくり。猫背。しかもクジラっぽい。
掴みどころのないスタイル。


アンテナがホテルの駐車場格納用に下に曲がったままですなw


ということで、このあともすぐには東京には帰らず、次なる場所へと向かったのでした...。


つづく。




>>しかしまあ、見てください、この艶のある塗装の美しさ!
40年以上前!に作られた電車なのに、一向に古く感じませんし、とにかく電車が綺麗です。
どんどん取りかえる鉄道会社もある中、なんだか考えさせられますよね。
現場の保守は大変なのかもしれませんし、経営状況や経営方針の違いなのでしょうが、
大事に使うってことの素晴らしさを見た気がします。


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【てつどう】ひこにゃんに萌え死に&近江鉄道ミュージアムへ。

2010-05-10 | てつどう。
朝のうちに近江鉄道の古い木造駅舎めぐりを終わらせた後、向かったのは彦根駅。


彦根駅前の大きな公共駐車場にC5を停め、彦根の市内をぐるりと回る彦根ご城下巡回バスに乗って彦根城に向かいます。


この「彦根ご城下巡回バス」、近江鉄道が運行しているのですが、
なんと、ボンネットバスなのです。これは乗らないわけにはいきません。



もと江若(こうじゃく)鉄道のいすゞBXD30(1967年製)で、ボディは帝国ボディ製。







最近巷間にあふれるシビリアンなどマイクロバスをベースにしたボンネットバスでは
絶対に出ない「ほんもののレトロ(ieがよく使う表現ですが^^;)」。



200円を払い、ボンネットバスらしさを味わうため、いちばん後ろに陣取ります(^^



この丸みは、現代のバスにはありえません!椅子のすぐ後ろがもう壁というのもなんだか斬新。



ボランティアのおじさんによる彦根ガイドつき!
初夏のようなさわやかな風が窓から流れ込み、ieはかなりご機嫌でした♪



ちなみに、乗り心地は相当に悪いです(汗
最後部はなおさらのこと。よく舗装されたはずの現代の道路でさえ体が上下にシェイクするほどの揺れ方でした...。
昔は未舗装で、この揺れで、このシートで遠出をしていたはず...大変だったんだなあ(涙





バスなのに長くて大きなボンネットのある、今の時代では斬新な光景。
古いながらもバス自体はよく整備されていて、ギアもちゃんと入るようでしたし、
轟音を立てるディーゼルエンジンも好調の様子。
それにしても音が大きい割に速度が出ないのもまた愛嬌。


琵琶湖畔などをまわり、30分ほど懐かしい乗り味を味わって(実は酔いそうだった^^;)、
彦根城前に到着。



見事な天守閣 日本でも数少ない当時からの建造物!



まずはざあっと彦根城の遺構を存分に楽しみ、いよいよ10時半...



10時半になると、あれが出てくるのですよ...。


それは...


ひこにゃん!







ひこにゃん、キターーーーーーーーーー








やばい、ほんとにやばい。
2007年にこのゆるきゃらが出て以来3年、ついに会えたのですが、
それにしても想像以上にかわいい...






動きが読めない。
妙に機敏。
いきなり振り返って決めポーズ。
いろんな小道具を持って、愛嬌いっぱいに動きまわります♪

最初はかなりの人垣でなかなか見られなかったのですが、
だんだん空いてきていちばん前に陣取れるようになりました。

見に来る人が多いので係員の指示に従ってこまめに後ろの列と前の列が交代していくのですが、
すき始めると人垣の端のほうではもう、ずっと前まで行っていいような状況で、
30分の間、結局食い入るように見っぱなしw






ああ、もう一回見たい!それくらい、可愛かった!




彦根城&ひこにゃんを堪能したあと向かったのは、「近江鉄道ミュージアム」

ここは、かつて近江鉄道名物?だった彦根駅わきの廃車おきばだった側線を、
駅前の整備に伴い鉄道車両を保存展示する施設として再整備したところで、
GWや連休、夏休みなど多客期に限定してオープンしているようです。



彦根駅の自由通路から見る。もと西武401系の右に並ぶ古典機3両の隣の線路から右がミュージアム。



200円という安い入場料を払い、入るとLEカー(LE10形)がお出迎え。


奥には3両のED31とロコ1101、ED14が並びます。

LE10形は、電化私鉄であった近江鉄道がコストダウンのために1986年に導入した
富士重工製のレールバスです。

でも実際にはレールバス特有の耐久力の無さなどから、わずか10年で使用中止。
5両あったこの車両も、この1両残してすべて解体されてしまいました。





国鉄から近江鉄道にわたった4両すべての姿を今なお見ることのできるED14。
しかもそのうち2両は車籍を有しています。

電気品、車体ともにすべて舶来品なのがこのED14の特徴。
製造はアメリカのGEです。日本に来たのは大正15年!どひゃああ!

国鉄時代は東京口の東海道線や中央線で活躍していたとの事。
でもそれが昭和ヒトケタとかの時代ですから、この機関車の持つ歴史には
ただただ脱帽するばかり。
ちなみに近江には昭和40年代に来たようです。




国鉄時代のぶどう色塗装に復元されたED14の4号機。





ED14と並ぶはロコ1101。もと阪和鉄道(いまのJR阪和線)。
いまとなっては大変貴重な阪和鉄道の生き残りです。




これがお目当てだったモハ220。820系と並ぶ。
乗りに行って全然走っていなかったんですけど、どうも構内にいたのを数えると全部彦根にいた様子(涙




ミュージアムでぜひ見たかった、いかにも近江な外観を持つ旧型車両、500系。
左の506編成はまだ車籍があるとのことですが、
もう何年も動いていない様子。

近代的な外観ですが、足回りは釣りかけ。
16m・3扉という好ましいスタイルを持つ車両です。




その足回り、西武の釣りかけ車でおなじみFS-40。ちなみにモハ220もこの台車。
乗りたかったなあ。




>>で、支線の多賀線なら単行が往復している程度の輸送量しかないはずだと思い、
このあと高宮駅に向かったんですが、待っていたのは800系...どひゃあ...
モハ220を追いかけるの、ちょっと遅かったのかもしれません。


>>家に帰ってきて調べたら、本線筋にはもうモハ220は事実上走っていないとかなんとか...ええええー(涙
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【てつどう】近江鉄道の愛しき木造駅舎~鳥居本・彦根口・新八日市・桜川駅

2010-05-07 | てつどう。
昨年のGWに続いて、「混んでいるのにGT(グランドツーリング)」を今年も強行してまいりました。


最初は2泊3日で岡山方面に行く予定だったのですが、結局残念なことに
昨年同様1泊2日(といいつつ、フルフルに2日使う)に。


どこに行こうかいろいろ迷いましたが、思い立ったように近江鉄道方面に行く事にしたのでした。


理由は、近江にいる現役つりかけ車「モハ220」を乗りに&古い木造駅舎を撮りに。
それともうひとつ、昨年から公開されているヴォーリズ設計の元小学校「豊郷小学校群」を見に...。



東京を5/1(土)の23:30に出発。中央道を西へ。途中休み休みしつつ、
目的地である彦根ICには5時半に到着しました。



基本的にはクルマでめぐることになりますが、まず向かったのが、国道8号沿いに建つ
素敵な洋風建築の駅舎、鳥居本(とりいもと)駅。
幾度か8号線を通ったことがあり、いつかちゃんと撮ってやろう!と思っていた駅です。




瀟洒な洋風建築。1931(昭和6)年の開業時以来の変わらぬたたずまいに感動。





時間は朝6時前。国道を往来するクルマもなく、電車もまだ来ない早朝、誰もいないこの駅には
静かな時間が流れていました...。






古い建物でもサッシュがアルミ枠になっていたりするものですが、たぶんこの駅は
ほとんど出来た時のままなのではないでしょうか。
約80年。どんな風に、この激動の時代を眺めてきたのでしょうね。




続いて向かったのが、彦根から2つめの駅、彦根口駅。



ひええ、これは古い。手前のトイレが結構モダンでステキ。
あいにく建築された年数はわかりません。ただ言えることは、この駅、
相当長いこと手を入れられていないであることです。
古そう、とか、古く見せる、とかではない、年月が醸し出すほんものの古さがあります。
彦根からたった2駅目なのに(^^;







偶然にも回送電車が。いまや近江の主力になった、もと西武401系の800系。
これは地元のゆるきゃらのラッピング車。
バックの綺麗なマンションと古い古い駅舎との対比が凄い...。



その足で国道8号線を下り、新八日市駅へ。
この駅も由緒正しい、古い歴史を持つ駅です。



近江鉄道の前身でもある湖南鉄道の本社屋だった駅で、
1913(大正13)年!開業時の駅舎というのだから、これもすごい。
ほんまものの「大正浪漫」な駅舎なのです。





緑色なのは表だけ...。




この駅も相当長い年月、手を入れられていないように思います...。木組みの改札なんて
何年ぶりに見たでしょう(涙




古い古いベンチ!これもいったい何十年前のものなのでしょう!




八日市駅に行き、C5を停めてちょっと電車に乗ることにしました。
事前の調査では、八日市から貴生川(きぶがわ)までの間は、モハ220が良く使われているとのこと、
わずかではありますが釣りかけの走りでも堪能しようと思ったのでした。





でも、待っていた貴生川行きは820系。さきほどの800系同様、もと西武401系なのですが、
こちらは外観に大きな手を入れていないため、別形式になりました。
もと西武沿線住民としては、数え切れないほど乗った401系に乗れるのは嬉しいので、
折り返し八日市に戻る電車がモハ220であることを期待して、そのまま820系に乗りこみます。
車体裾の切り欠きが特徴ですが、これは元来カーブのきつい近江鉄道に
西武の20m級電車が入線した際に、そのままでは運行に支障をきたす(建築限界に障る)ため、
車端部をカットするという大胆な方法を取った結果です。






GWで時間も早い下り方面、車内はガラガラです。なつかしい401系の車内に感激。





近江鉄道の特徴に、小さい鉄道でありながら自社工場の技術力がとても高いことが
上げられます。
譲渡されて来た車両たちは、ワンマン化工事、前面の改造なども全部自社工場でしてしまうのですが、
驚きはブレーキを電気指令式にまで改造できること!
見たことのないブレーキレバーが、近江らしさを物語ります。





八日市駅から数駅、桜川駅にて下車。ここは交換可能駅で、上りの800系とすれ違いです。
むむむ、この運用もモハ220ではないのか...。




で、この桜川駅もまた古い。
さっきの新八日市駅が大正なら、この駅はなんと明治時代!
1900(明治33)年開業時のままだそうで、ただただ驚き!





朝の光が格子の改札に長い影を落とします。





映画のセットみたいな雰囲気の駅舎です...。



で、いよいよ上り電車が来る時間。
今度こそモハ220が来るだろう、と思っていたら、来たのはこれ





700系、あかね号!!!


うーん、これは運がいいのか悪いのか(^^;
1998年の八日市駅が新しくなった記念に、技術力の高い近江鉄道の自社工場が
元西武401系を徹底的に改造して作り上げた「ロマンスカー」。
800・820系と種車が同じとは思えない。
運用は他の車両と共通なので、地元でもなかなか乗れないそう。
乗ると運がいいとか言われているとかいないとか(^^





車内。
JR東日本の185系が車内リニューアルをした際に発生した転換クロスシートが並んでます。
側窓も固定だし、蛍光灯にはグローブカバーもついているし(!)、
これはなかなかどうして立派なロマンスカーです。






というわけで、八日市駅に戻ってきました。
広告車の800系がお出迎え。


ここでまたC5に乗って、次なる目的地に向かうのでありました。
ちなみにこの段階でまだ朝8時15分(^^;
早起きは三文の徳なのでした。






>>今回はいろいろ回るところがあり、近江にじっくり乗れなかったのが残念です。
ちなみにこの日、ここまでの段階では八日市線系では
モハ220は1両も動いていないようでした...。
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【てつどう】異端こそ相鉄の魅力。

2010-04-21 | てつどう。



相鉄=相模鉄道は関東大手私鉄の一社です。

といいつつも1990年までは「準大手」扱いで、それ以降大手の仲間入りをした会社でもあります。
路線長は38キロ程度で、むろん大手私鉄では最短。
ちなみに、ローカル私鉄の近江鉄道でさえ60キロ近くあります。


成り立ちなどを語るにはスペースが足りないんですが、相鉄をひとことで言えば、
車両が異端的(だった)、ということでしょうか。



ieの生活には相鉄はまったく被らないので、たまに乗るとすごく興奮するんですが、
それはこの車両の魅力にあります。


大手私鉄は各社それぞれに特徴があり、車両はそれぞれにオーダーメードだったわけで、
どこの会社のどの車両も異端と言えば異端なのですが、
相鉄の異端さは「こだわり」とも言えるものでした。


代表的な例が、
・骨格むき出しという独特のアルミ車体を採用していた時期があった。
・なぜか直角カルダン駆動、パイオニアタイプの外側ディスクブレーキ台車をずっと採用。
・ブレーキ制御は通称「日立式」という独自のもの。
・パワーウィンドウを採用。
・4扉車のクロスシートを採用。
・関東では珍しく、ドア付近に鏡がある。
・最新アルミ車体で釣りかけ駆動
(そもそも走り装置の重い釣りかけ車で冷房化を実現するために軽いアルミ車体を開発した)。
などなどあります。


ieの鉄道趣味歴からすれば、
2100系も5100系も6000系も新6000系も十分追いかけることが出来たはずなのですが、
個人的には前述の通り相鉄に縁が無かったこともあって、
気がつけばそれらの電車はすべて消えてしまっていました(涙

なかなか訪問かなわず、数年に1度の訪問しか出来ていないのが現状の中、
ようやく先日相鉄に久しぶりに行ってきました。
JR東日本のE231系のまんまの10000系のつまらなさに辟易しつつも、それなりに堪能してきました...。



ぺったんこの機能だけといったデザインに、妙に目つきの離れた独特の顔。7000系。




それまでの平面顔から突如立体的になり、同じアルミ製ながらも滑らか&塗装車体になった
8000系と並ぶ7000系。
7000系は、上下に入った立体的な帯など、他の会社にはない強烈な外観を持ちます。
なお相鉄は青系への新塗装化が進んでいて、左端の8000系が塗装変更後です。





基本的な設計は7000系と同一ながら、前面が多少デザインされた新7000系(手前)と8000系。




新7000系の側面。アルミ板が武骨に大胆に貼りつけてある独特の工法に萌え萌え。
種別だけで行き先表示のない小さな方向幕も、他の会社では見たことない。かっこいい。





車内。ドア付近の鏡と、油圧式パワーウインドウのボタン。



正直、このパワーウインドウ、他の会社の電車にも欲しい。
最近はすぐに春先でも鉄道会社はクーラーオンしちゃうんですが、
その一因に「窓が開けにくい」ということもあると思うんですよね。

戸袋付近の人には窓が遠い、窓の前にいる人も、窓を開けるには窓の上端が高すぎて
網棚の奥にそれがあったりして開ける気が失せる...。
でもパワーウインドウがあれば、いちばん換気の欲しいドア付近の人たちが窓を開けられるのです。

ちょっと前は冷房装備の電車でも、6月まではスイッチを入れてくれなくて、
「窓をお開けください」っていうアナウンスがあってもなくても客が窓を開けていて、
クーラーオンの音とともにみな示し合わせたように窓を閉めたもんなんですけどねえ。

もっと窓を開けるべき。気持ちいいし、エコだし、また窓の開く電車が増えてきたわけだし、いいと思うんですよ、自然の風。


閑話休題。



最後の相鉄らしい車両、9000系の離合。
夕日に輝くのはアルミ地肌ではなく、8000系同様塗装です。
関東では珍しい?連続クーラーキセがまたかっこいい。





で、これが10000系。顔以外、見事にE231系。
まったくもって乗っていて楽しくない...。




たしかに10000系は、将来のJRへの乗り入れも見越した究極のコストダウン案としては最適解なのでしょうし、
多くのユーザは直角カルダンがなくなった!とかまったく関係ないと思いますので(^^;)仕方ないのでしょうが、
相鉄フリークでは無いけれども車内見付けひとつとってもどこか他の会社と違うのが魅力かなと思うieでさえ、
一抹の寂しさを感じずにはいられなかったです。。。




>>トップ画像は7000系の台車、KH-59B1。
日立製の台車ってことでも十分萌えポイント高しなんですが、
直角カルダン、外付けディスクブレーキなど、相鉄らしさが横溢していてかっこいい!

>>別の日にかしわ台の車庫でいろいろ撮ったのもあるんですが、それはまた別の機会に...。
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【てつどう】下北沢逍遥。

2010-04-14 | てつどう。


先日、久しぶりに、用があったので下北沢に行ってきました。


小田急と京王井の頭線が十字クロスで乗りかえが可能な下北沢駅を中心に、
むかしながらの狭い駅前と、雑然としつつも魅力的な駅前を持つ街です。


小田急は代々木上原と向ケ丘遊園間の複々線工事を進めていますが、
都心よりの代々木上原と梅ヶ丘の間は、それ以西の高架線ではなく、
地下複々線で開業する予定。


そこでこの下北沢駅も、地下複々線になってしまい、また駅前も派手に再開発されてしまいます。


2014年開業、とのことで、まだ先じゃないか、とも思うのですが、
高架複々線の時も同じことを言っていたら、あっと言う間に出来てしまいましたっけ。




高架上を行くのは井の頭線。本来の顔だった3000系はもはや風前のともしびで、
行きかうのは20mの1000系ばかりになりました。





かたや小田急は地平を走ります。駅の新宿よりにある踏切は、列車頻度上閉まりっぱなしです...。
工事が行われているのを示すように、あちらこちらに配線などを目にすることが出来ます。
こちらも、行きかう車両はアイボリーの通勤車は8000系以外ずいぶん数を減らし、
目につくのはとにかく3000系列、の状況です。





駅のすぐそばに昭和の空気ぷんぷんなアーケード商店街があったり、





庶民的な飲食店や食料品店、
古着屋・サブカル的な店舗が軒を並べていて...ぷらぷらするにはとても楽しい街。





残念ながら時間が無くて駆け足でまわっただけでしたが、
改めてゆっくり古着でも探しに行きたいものです。




>>下北沢の駅は小田急と京王で会社が違うのですが、中間改札はありません。
これって、この駅の歴史を物語るエピソードなのですが、
井の頭線はかつて小田急系の帝都電鉄であったために小田急と中間改札がなかった...
のです。
ちなみに、戦時中には、京王、小田急、京急、相鉄を戦時統制の名の下、東急に編入されていた
時代がありました(俗に言う「大東急」)。

>>昭和初期に開業した下北沢駅は、その頃の面影は駅には見られませんが、
でもいかにも私鉄のターミナルっぽい昔ながらの雰囲気は抜群。
地下複々線で消えゆく前に、たくさん写真を撮っておこうと思いました。


>>おまけ。すごく久しぶりに見た、キャラバン/ホーミーのE23!うひゃあ、かっこいいなあ!
これの前のE22含めて、大好きなんですよ~。

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【てつどう】近鉄の鉄分が切れた。乗りたい。とくに南大阪線系。

2010-03-26 | てつどう。


関東にいながらも近鉄が大好きなieです。


なんで近鉄が好きなのかは幾度か書いてきたので割愛しますが(^^;
昨年11月に乗って以来なので、「近鉄分」が、切れかけています...。


名古屋線系も大阪線系も奈良線系も大好きなのですが、最近気になって仕方が無いのが
南大阪線系。


1067ミリの狭軌路線であることで運用面でもそれ以外の線系とは別扱いで、
車両も更新スピードが遅く、編成も短め。
南大阪エリアの動脈であるのだけど、全体的にローカルな感じが漂うあたりも、
なんだか好きなんですよね。


ってことで、Guさんが吉野線の画像を上げていたので、ちょっと画像を引っ張り出してみました。
まあ、ieは駅撮り専門なのですが...(^^;


吉野線といえば、16000系ですね(ちょっと強引w)。前回乗った時も取り上げましたが、
16600系もいよいよロールアウトしたようなので、勢力は減らしていくかと思いますが、
これから先も、近鉄に遅くまで残る最後の旧型スタイルの特急になるのではないかと思います。





吉野口にて。この駅、風情がありすぎです。和歌山線との乗りかえ駅でありながら、
駅前には何もないし、客の姿もない...これでも土曜の昼ごろなんですが(涙





16000系の改良型、大阪線系12410系サニーカーに準じて製造された16010系。
車内から強引に捕捉。はじめて見た...何しろ2両しかないので(涙






26000系さくらライナー。これも吉野口にて。
いま見ても斬新な車両ですが、登場は20年前!
しかしまあ、近鉄のデザインって古くならないですねえ。





6020系。昔ながらの近鉄の顔。この方が好きなんですが、
南大阪線系ではすぐそばを走る大阪線、奈良線系よりも
この顔に遭遇出来る率が高いような気がします。



製造所年は1968(昭和43)年、最終的には1973(昭和48)年まで製造されたので、
それなりに古い電車です。
同年代の私鉄車両が関東ではバンバン廃車になっているのを見ると、
なんだか複雑な気持ちになります。こんなにきれいに使っているのになあ。



ああ、次は駅撮りじゃなくて、ちゃんと撮影したいなあ。



>>近鉄が行った先日のダイヤ改正では、減便の続いている南大阪線は、
この吉野線を主としてまたまた減便の憂き目に...。
がんばれ近鉄!


>>トップ画像は吉野線、明日香村あたり...いいですねえ...。
古来より続いてきた日本の景色って感じがして、大好きなんです。
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【てつどう】いまだに残る、東急8500系幕車~8506F

2010-03-10 | てつどう。
東急田園都市線の8500系置き換え計画も、昨今の経済動向などを受けて大幅に予定が変わり、
現在あまり進んでいないようですね。
5000系が数年のうちに8500系を駆逐すると思っていたのですが。


その恩恵を受けて?昭和51年に登場した8500系の初期の初期グループがまだ行き残っている
状況が続いています。




それがこの8506F(F=Formation 編成の意味)です。
厳密にいえば一般的に編成名を呼ぶ時は、渋谷方の8606を取った8606Fとなるようですが...。


田園都市線の開業に合わせて4両編成(!)で登場した初期のグル―プの生き残りで、
すでにこの8506F以外は廃車になっています。
なお、現在の田園都市線は10両編成ですから、他の6両はあとから製造されて挿入した車両たちです。
両端の2両ずつがオリジナルの4連にあたります。



この8506Fは、東急に残っているいちばんの若番車編成であるだけでなく、
方向幕がほんとの「幕」のままになっていることでも注目されています。
まあ実際には英字が入っていたりで、昔ながらのものではないんですけどもね。
それでも、丸くて黄色の列車番号などは、昭和50年代のハイテク感があっていい。
これでHゴムがグレーで、方向幕が英字なしだったらオリジナルに近づくのですが。


鉄道車両の方向幕はLEDがすっかり主流になっている昨今、
今見ると珍しい感じがするし、アナログ特有のあたたかさがするのが不思議。
あたりまえだったものなのにね。
白熱灯電球もそんな感じに懐かしい感じに思う時が来るのかなあ...(嘆





ちなみに、これがLED幕車(ただし白も再現できるフルカラーLED。大井町線用8539F)。
なお、この編成に見られるようなスカートは、
東武鉄道への乗り入れ開始の際に、東武乗り入れ可能改造された編成のみに取り付けられました。



東急8500系って好きなんです。
地下では爆音出してうりさいし、乗り心地もたしかに悪い(と言われがち)のですが、
ですが、このまっ平らな顔、バッド製の流れをくむ、
必要に迫られて造形された側面のコルゲートなどの「機能的なデザイン(機能だけで出来たデザイン)」
こそ、東急の真骨頂のような気がするんですよね。


国鉄の通勤車・103系も評判は悪かったですけど、機能一本やりの美しさ、量産型のかっこよさって
あるじゃないですか。それを、400両も製造されたこの8500系も持っているような気がします。




8500系は、厳密には東横線に昭和44年から投入された8000系のマイナーチェンジ版という位置づけで、
広義では8000系「のグループ」に分類されます。

まっ平らな顔ですが、これは当時の東急には「電車の顔は平妻でなければならぬ」的な姿勢があったそうで、
それを反映したものでした。
まあ実際には加工が難しいので設計の簡単なこのデザインになったというのも
あるのでしょうね。





左は、いまは亡き8000系。方向幕しかないし、窓の位置も低いので、さらにシンプルな造形。
右は少しデザインが入った8090系。平面の組み合わせながら、前面に後退角が少しつき、
車体側面もRが入ってます。
個人的にieの中の「東急でいちばん好きなデザイン」。



>>そういえば長野と秩父に渡った8500系、まだ見に行ってないなあ...。
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【てつどう】消えゆく寝台特急「北陸」を乗りに行ってきた。

2010-02-17 | てつどう。


列車や鉄道車両がなくなる直前の盛り上がりというものは、昔からありました。

自分は「さよなら運転」とか、「さよならヘッドマーク」よりも、
そういうのがない「日常の姿」が好きなので、去就の際の狂騒曲には付き合いたくは無いのです。
若いファンの方々や、ファンになったばかりの方なら仕方ないと思うのですけど、
たとえばそろそろ去就が注目される本線筋運用の京王6000系(祭りの予感がします)は、
昭和47年から黙々と走り続けていたわけで、
普段から目を向けておけばいいのになあ、と思うわけです。



といいつつ、過去国鉄101系が中央快速線から撤退した際には行ったりしていたので、
完全にそうしたわけでは無いのですが。


とはいえ、最近の「騒ぎっぷり」はちょっと異常だなって思うこともあります。
鉄道各社も「意外と稼げるぞ」と思っているかどうか
わからないものの多少なりファンサービスをするようになってきていることもありますし、
インターネットですぐにさよなら運転や、消えゆく車両、列車の情報が手に入るということも
その傾向を強めさせているのかもしれません。



といいつつ、消えゆく寝台特急「北陸」に乗りに行ってしまったわけで、
あまり大きなことは言えないんですよねえ(大汗



土曜日の午前中が会議だったので、そのままの勢いで東京駅に向かいました。
鉄&仏車仲間のとくさんと同じく鉄菱会で、長年の友人猫澤君はすでに
その前の日の夜の「能登」で北陸地方入りしており、ieは追いかける形になります。


そういえば新幹線は西に向かうのはよく乗るのだけど、北に向かうのは5年ぶりくらいかもしれない。
しかも上越新幹線は何年ぶりだろう?




13時12分発の「Maxとき 325号」のグリーン車へ...そう、グリーン車なのです。
切符はむろん「北陸フリー」、となれば、3000円プラスくらいでグリーン車に乗れる
「北陸フリー・グリーン」で行かないはずはない!



まあ、越後湯沢まであっという間なのですが、さすがグリーン、相当気持ちいい。
シート形状もまあまあでした。



トンネルを抜けて到着する越後湯沢は雪の中。
ここでは8分しか乗りかえ時間が無いです。
ここから乗るのは、すっかり東京~北陸地区連絡のメインルートになった
「ほくほく線」を走る「はくたか」。




JR東日本の路線を堂々と走るハイグレードなJR西日本の681・683系(北越急行車もあり)っていうのが素敵です。



むろんグリーン車に乗ります。
車内はさすがJR西日本だけあって、シックで落ち着きます。ゴージャスではないのですが、
そこがまたいい。
シートも座り心地がよく、このまま金沢まで乗りとおしたくなりました。




でも糸魚川で降ります。
そう、3月で消えゆく大糸線のキハ52と、同じく役目を終える赤レンガ車庫を
最後の記録にとどめるためです。




ちょうど折り返しで待機していたキハ52は、3色復元されたうちの旧国鉄一般色。
青ツートンはさらに古い色ですが、古すぎてピンとこないので、これは嬉しい。
まあ、ieの世代はタラコ1色なんですけどもね(^^;






新幹線の工事は進んでいて、赤レンガ倉庫の手前まで迫る勢いです。
しかも赤レンガ倉庫には、すでにキハ52の後釜、キハ120が収まっていて、
来るべき時が来てしまったことを予感させます。
DD15も見ることが出来ました。




夕刻の糸魚川駅にたたずむキハ52...。これで正真正銘、最後の邂逅でしょう。
カメラと、まぶたにしっかりおさめます。





ここからは北陸本線の475系で富山まで。
原型大目玉!というよりも、急行型電車が日常走っていることのほうが驚き。


塗装が新しいデザインなのですが、それでも漂う年月の重みと風格は隠しようが無い...。




発車前にすれ違った直江津行の419系。もと寝台特急581・583系の改造車という
すごいプロフィールの持ち主。
国鉄末期に、各地方のローカル線を客車→電車化するにあたり、一時しのぎで投入された
シリーズなのに、平成の世も21年、まだ現役バリバリ。
寝台特急時代よりも長く使われているというのですからこれまた驚き。




福井よりにつくクハ419。見ての通り、見事に「月光型」の顔。
もとクハ581なので、運転席後ろの機器室が特徴的です。




富山からは485系の「北越」で金沢方面を目指します。
この485系はJR東日本所属。6両×12本の「今となっては大所帯」のうちの1本。
大阪口の「485系雷鳥」が今春の改正で壊滅的に減ったあとで、
まさか牙城を残すのが、車両の入れ替えが激しいJR東日本になろうとは思わなんだ...。




そして19時すぎて、ようやく金沢着。
ここからたった3時間で「北陸」で折り返します(涙

よく芸人さんが「ニューヨーク1時間でとんぼがえり」とかしてますが、
心境はそんな感じ(号泣


ここでようやくとくさんと合流。ほんとはieも「能登」で朝に金沢入りするはずだったんですけども...。


とくさんのご友人JOEさんのご案内で、超!きれいになった金沢駅からほど近い
回転ずしのお店で思いっきり日本海の海の幸を堪能。
安いし...旨いし...日本酒が止まらない!




このあと、JOEさんのニューチンクで東茶屋町へ。
わずかな時間ですが、満月の下、金沢らしい風情にひたり、思い切り感動しました。
JOEさんありがとうございました!



さあ、いよいよ金沢駅へ!

おみやげやら、酒やらwがんがん駅のコンビニで買いこんで、いざホームへ!
日本海を見送った後、ほどなくして今夜の「宿列車」、「北陸」が入ってきました。
「北陸」の入線するホームには、というか、その向かいのホームまで、
カメラを抱えた人でいっぱい。
上野がフィーバーしているのは知っていましたが、まさか、金沢までこんなことになっているとは!




金沢のホームにすべりこむ489系。美しきボンネットスタイル。これももう少しで
定期列車から見おさめです。
まあ、よくぞ平成22年まで残っていたなあ、とも思います。


北陸と能登が並んだころにはファンの数はピークに。
でもみんなとてもマナーが良く、
よくある「この手のさよなら」の時に騒ぐような不逞な輩もおらず、
同門の趣味を持ついちファンとして、すごく安心しました。




金沢駅に並んだ、消えゆく2列車。どちらも国鉄時代の香りを強く残す名優です。





今回はB開放寝台に乗車。この見なれた寝台列車の景色も、どんどん数を減らしていますね。



EF81-150に牽引された14系寝台車で組成された寝台特急「北陸」は、
定刻22:18に金沢を出発しました。
乗ったのは前から2両目だったこともあって、発車時の衝動は少なめ、
とはいえ、それが味わえるあたり、やはり客車列車はいいですね。


車内は「ほぼ」同業者で占められていました。
実際、この列車が無くなるとなった段でも、一般利用者が増えていないことが、
この列車の命運を語っているように思えます。


下段は取れなかったのですが、その下段はたぶん「予備」で、
金沢、津幡、高岡を過ぎても誰も乗ってこないので、
ieは窓際の補助椅子に座り、とくさんは下段を拝借して、
夜行列車の中でささやかな宴。
ブルトレに乗りながら酒飲むという、この至上の幸せに
2人とも富山を過ぎたあたりでいそいそと寝台にもぐりこみ、ダウン...。


ieは夜中に少しだけ起きて、上越国境越えの満月に照らされる雪山を
デッキの折度から眺めたりしていましたが、それも長くは持たずにまた眠り、
気がつけば翌朝の大宮。




そらはまだ真っ暗ですが、そのぶん、ひとばん中「北陸」を追いかけてきた
月の明るさが際立ちます。その月を映した荒川を越えていよいよ東京都へ...。







上野へは定時着。
降りたら、石川よりも寒い(+__+



直江津で方向転換をすることをすっかり忘れていたので、
気がついたら後ろから2両目に乗っていたことに。
最後尾に行ったら、もう推進回送の準備していてテールサインを撮り損ねましたが、
この景色もまた上野着の夜行客車の風情。

櫛形ホームの先端にいる、僕らをここまで運んできた牽引機、EF64-1000に会いに
ホームをてくてく歩いていったところ、
この早朝だというのに、カメラを構えたファンでいっぱい!!!




こうして18時間余りの北陸エリア行き強行軍は終了。
短い時間でしたが、充実していたので、満足でした。


とくさんありがとうー。また遊びに行こうね。



>>下り、上りともに終着駅が早朝着。寝台車とはいえ、個室のソロは狭めだし、
B寝台車はいまのご時世では眠るにはプライバシー的に流行らない。
ビジネスマンがかつては寝台車を利用していたのだろうけれど、
スーツで乗って、スーツ脱いで浴衣に着替えて...っていうビジョンがまったく
思い浮かばないんですよね。

>>そう思うと、もう旅情をもとめた旅好きか、ツアーか、ファンしか利用層がいない...。
廃止もやむなしかな、って素直に思いました。
時代の流れなのでしょうか。
コメント (10)
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