ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

秋の夜は考える。

2023年10月07日 19時49分00秒 | 考えるねーさん
「妄想」とは、根拠もない事をあれこれと想像して、そうだと思い込んでしまう事。
「妄想」は不道徳であったり、不健全な欲求から想像されていて、根拠のない想像であるのに、まるで事実かのように確信してしまうのが特徴。(そこのあなた大丈夫ですか!!)

「空想」とは、現実にはあり得ない事や現実とはかけ離れた事を、あれこれ頭の中で思いを巡らす事。
まだその時点では実現していない物事を、頭の中で実現している場面を想像する事。(楽しいよね、これ。売れたりウケたりする人ってこれの対象物になりやすいんだと思う。)


芸能界やメディアが発信していることは、この2つに左右されているから所詮は鵜呑みにしないことだよね。

本来「そういうもの」とわかっていて面白がったり楽しむもの(時に皮肉るもの)というか。

しかしながらもうここ30年弱は面白がったり楽しんだりするのも「悪だなぁ」ってのが多くてね。

現実が現実とかけ離れてしまっていることに気がつかない輩が多いってことなんかねぇ。

そういう風にさせたのは「そういう風(現実無視)に作り込んじゃえばいい(3年でそうしないとダメ)」っていうような動きに流れてしまった人ら(結果的に日本人の7割がそれ)のせい。

始まりは90年頃。
メディアってより企業側(たぶらかせた政治家だの繋がりのある経済何ちゃらに繋がってた人ら(主としてどちらも慶○大学卒の一部))だと思う。




職場男性60の一言

2023年10月07日 16時26分00秒 | 知言葉
ほんとにこの場に及んでも冷静だねぇ。
実にクールだわ、常に。


職場男性60(ほぼ同年代)の私の日々の態度へのコメント


「うはははは、、、(つか、焦ってどうのこうのじゃないし。あの人もこの人も絡んでいることだし、焦っても仕方ない。つか、あんた、私とほぼ同世代で今さらこの状況の何を焦っておるのじゃ??と私は考えてる)」と笑ってやり過ごして終わり。笑

確かに今すごく佳境で大事なポジティブな仕事が動いている(今今はすぐに動かないと(しかるべき相手(国管轄)にしかるべき回答(姿勢を見せる)をしないと)よろしく無い宿題(課題はポジティブ)が課せられている)んだけど、社会人成り立ての頃から上司にこう言っては唖然とされたんだけども、

「今こうなっていることを淡々とやりこなして積み重ねて行くしかないですから。
現実にこうなっていることを「こんな技やら理論を使って無理くり短期で自分たちの思う通りにしてやろう」なんてやるのは間違えの元だし、愚の骨頂なんで。
え?そうしようとしてるんですか?
そういうのはダメですって。
困っていてやっていることでもないようですし、これ、変ですよ。
おじいちゃんとかに聞かされてきてませんか?」

「若いのに冷静だなぁ、っとに。
それじゃいうなりになるだけじゃ無いか。自分達が成し遂げたいことが出来ないじゃないか。」

(あ、この方は世の常というか、世の営みの道理をわかってないから、自分だけいい気になって荒らすだけだ、気をつけよう、(でも今の世の中(バブル期)的にはこういう人の方が俄然評価されてるし参るよね、心配だわ。)と感じている私。)


先を見通して、人を見透していれば、「焦りは無用」ってなるわけで。

「先頭に立って旗振ってないと!」という使命感は焦りではなく責任感。

責任感からくる張り詰めた緊張感を漂わす大人は激減中で、焦りの色をさもカッコ良さげな言葉(カタカナ英単語使いのはしりもこの意図だったよ)や態度で誤魔化すような大人の方が増殖中。


増殖つながり






備忘録

2023年10月07日 13時45分01秒 | 掘り出ねーさん
森鴎外「寒山拾得(かんざんじっとく)」

全体世の中の人の、道とか宗教とかいうものに対する態度に三通りある。

自分の職業に気を取られて、ただ営々役々えきえきと年月を送っている人は、道というものを顧みない。これは読書人でも同じことである。
もちろん書を読んで深く考えたら、道に到達せずにはいられまい。しかしそうまで考えないでも、日々の務めだけは弁じて行かれよう。
これは全く無頓着人である。

つぎに着意して道を求める人がある。
専念に道を求めて、万事をなげうつこともあれば、日々の務めは怠らずに、たえず道に志していることもある。
儒学に入っても、道教に入っても、仏法に入っても基督クリスト教に入っても同じことである。
こういう人が深くはいり込むと日々の務めがすなわち道そのものになってしまう。

つづめて言えばこれは皆道を求める人である。

この無頓着な人と、道を求める人との中間に、道というものの存在を客観的に認めていて、それに対して全く無頓着だというわけでもなく、さればと言ってみずから進んで道を求めるでもなく、自分をば道に疎遠な人だと諦念あきらめ、別に道に親密な人がいるように思って、それを尊敬する人がある。

尊敬はどの種類の人にもあるが、単に同じ対象を尊敬する場合を顧慮して言ってみると、道を求める人なら遅れているものが進んでいるものを尊敬することになり、ここに言う中間人物なら、自分のわからぬもの、会得することの出来ぬものを尊敬することになる。

そこに盲目の尊敬が生ずる。

盲目の尊敬では、たまたまそれをさし向ける対象が正鵠を得ていても、なんにもならぬのである。


正鵠を得るとは?
物事の要点を正しくおさえる。


つまりは尊敬ってわかりやすい類(肩書きやら成績やら名誉)ではないし、

「あの人には尊敬に値しなくても私には尊敬に値する」

っていう何かを先ずは自ら得てる上で尊敬の心があるんであって、

意味のないただの尊敬(肩書きやら成績やら名誉があるもの🟰尊敬)っていうよくあるやつは、

「皆と同じところにいたい(同じ感覚でいなきゃ)」

というような同調と変わらないから、考えてないし、根底には自ら体験はないのが多いよねー。

尊敬って簡単にはできるものじゃないのだし、尊敬なんて簡単にしなくてもいいものかと。
自らが何かしらの思いを得てなければなんもならぬのだから。

感謝の方が大事だわ。

私は盲目的に尊敬する人はいませんねぇ。
道を求めてもいないしなぁ。

道理は大事だと思うけど、求めてるものではなく、

「道理を外したら最後の最後に人生間違えるよ?
(おそらくこんな人ばかりが増えたら継承していけなくなるっていう危機的意味(子はいませんが、世の中がっていう意味かなぁ。)」

と天からの戒めが常にあるので(何ででしょうね?わからん。)、意識はしているといいましょうか。




経済の在り方

2023年10月02日 12時00分00秒 | 考えるねーさん
経済ってものを「とにかく消費ありき」で考える方がいらっしゃるが、「それだけで社会や人間の営みが成り立つか?」ったら成り立たないことは、どれだけ意識してるんだろか?

経済🟰消費にしか意識がない人は、

消費されるものが生まれる苦労の背景や、

消費されるものが安全に安定して作られる苦労、

そこを見守って整備している苦労の日常に、

すぐそこのお隣さんがその営みのために(一生懸命)関わって生きている現実があることに意識を向けたりすることがあるのかなぁ?

ご自分だってそこに間接的にでも関わって生きてませんかね?と、不思議に思うことは結構度々ある。

消費だけで考えていれば、

作らなくったって(そんな苦労しなくたって)他所から買えばいいじゃん。
競わせたりすればかえって安くなるだろうし。
取り締まりだけしてさ。

そんな短絡的な発想にしか到達しない。

こういうのを「ほんと馬鹿だね」とか「勉強してようが本当に頭が悪い」と言わないほうがおかしい。(いや、マジですよ)

人の営みを置き去りにし過ぎていて、「絶対にあなたみたいな方は企業トップとかにならないでくださいね、社会が滅びて、しまいには人が滅びちゃうから。」って念を送ってしまう。笑

推し活

2023年10月02日 10時22分00秒 | 考えるねーさん
推し活

推しに対する積極的な消費を行い喜びを覚える


これジャニーズファンが一番なんじゃないかな。
以前、消費額(浪費額)(活動時間)を聞かされて愕然としましたぜ。

ツアー毎の参戦費で「10万当たり前、そこからスタート」の単位で浪費してる、全てがジャニーズ中心、これの為に仕事してお金貯めてる。」と同級生(主婦)に聞かされて、「ホストに貢ぐのと同じと言われても仕方ない」「でもそれがないと日々が満たされないんだぁ」ちゅーてました。

私はそういうノリは(この手のファンがあまりにもいると)醒めちゃう(引いちゃう)ほうで、

さらにあまりにも(自分が!自分が!!になってるファン)がいすぎると「迷惑だなぁ」とか思ってしまうほうで、

好きなタレントやら歌手やらがいても貢ぐっていうノリにはならないんだよなぁ。

(醒め過ぎ、現実的過ぎかもしれません)

「これが好き」
「あ、興味引かれた」
「なんか新しいぞ!?」

ってのだけ、のってる感じ。

なので「好きだから全てを許す」みたいなのもないっていう、、、(現実的)
だからって「許さないわ!」とかいう感覚もなく。

異常な消費上げにはほぼ役に立たないファンは世間の7割かと思われますけど、「好きなものは好きだよ」目線でほどほどの熱量で淡々と行ける方が経済含めて色々長期安定するんじゃないかなぁ。(とまぁ醒めて分析する自分)

「推し活」っていう流行り言葉も結局のところは企画側の「消費を上げたいのです」が見え隠れしたネーミングなので、なんだかイマイチ「ファン発の言葉」になってはいない気がして。

ジャニーズファンは「推し活」とは言ってない気もするのだよなぁ。あれ?
同級生はその言葉は使っていなかった。嵐全盛当時。

これって韓流ブームからじゃないのかね??(つまりは跳ね上がるように企画されたもの)