ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

今日突かれたお言葉・その162

2010年04月30日 11時01分55秒 | 突言葉ねーさん
「できないこと」に注目することをやめ、「まだ可能なこと」を認識してください。
今週、あなたが「期待」すべきことがあるとしたら、ひとつしかありません。
それは成功です。



ジョナサンケイナーの占い、今週の蠍座さんより。


「できないこと」と「まだ可能なこと」の境目って案外ハッキリしないことが多いよなぁ。

「対、人」

が絡んでいる場合は境目判断が難しいっすねぇ。

あたしゃ「まだ可能だよね?あなたとならね?」って思いながらやれるところまでやるタイプ。

「できること」「できないこと」と判断しておいて、
「できること」であれば「まだ可能だろう?」で後ろから押してくタイプ。
前面に立って旗は振り回さないけど、目標物を適当に作っておいて、後ろに回って「はいはい~~~」って前に押し出しちゃうようなタイプ。

「やる気無し風」じゃ仕方ないと思うけど、
「いや、だってだって・・・風」とか、
「ちょっと、まってまって・・・風」を見せられれば、
「よ~しゃ、もうちょっと可能だよね?」と思うじゃん。


そういう現場に立たされがちな人生なんだよ、あたしゃ。(ははは~)
時代背景もあるよなぁ、だって今みたいに何でも仕組みが出来上がってる時代じゃなかったもん。
「誰もやってないけど君やってみてくれ。」的な役回りの多いこと多いこと。
「小間使い」より「この未知領域を先に探っておいて適当に何か作ってみてくれ」的な。

「ここまでこうしたんだけどどーすか?」の連続。
「要求があったのでここまでこうしたんですが、なんか反応を・・・(反応してくれよぅ)」の連続。


「できないこと」に注目しがちになるのは、
「自分じゃなくて相手(何か自分以外のこと)への期待が強すぎる状態」かと。

期待だけだと現実見えてない可能性大だから。

期待ってのも「してもらえる期待」が大きいと「できないこと」に注目しちゃってることを自覚できないままでいることが多いよな。

期待ってのも「きっとあなたはこういう人よね。だって日ごろの行いで如実に見えるもん。」っていう期待だと「時々無理強い」が入っちゃうもんなのかねぇ。

けど「成功」を意識してると後者意識は大きいからなぁ。


「成功」の期待ってなんだろうね。


今日突かれたお言葉・その161

2010年04月30日 10時56分18秒 | 突言葉ねーさん
人は「確かなこと」に注目しません。
むしろ人は「信頼できないこと」に魅了されます。



ジョナサンケイナーの占い、今週の乙女座さんより。


心(考える)と頭(計算)が一致してないと、こうなるんだよねー。

頭(計算)が走ってると「信頼できないこと」のほうに魅了されちゃいがち。
「すごい信頼できる~~~」とかいいながら。

心(考える)に敏感だと「確かなこと」に注目しようとすっから。

「確かなこと」って「正直になれないと見抜けないぞ」、と。



今日突かれたお言葉・その160

2010年04月30日 10時45分42秒 | 突言葉ねーさん
昨今では、ほとんどすべてのものに健康上の警告がついています。
リスクアセスメントが大流行しており、「この行動を起こすにあたっては、誰がどんな理由で訴訟を起こす恐れがあるか」ということを検討するまで、誰も行動を起こしません。
ところが、奇妙なもので、横断歩道のところに「道を横断する際、車にはねられる危険があります」と書かれた標識は立っていません。
また、課税要求書に、「お金に関する心配は心臓に負担を与える恐れがあります」という注意書きがついていることもありません。


ジョナサンケイナーの占い、今週の獅子座さんより。


「この行動を起こすにあたっては、誰がどんな理由で訴訟を起こす恐れがあるか」ということを検討するまで、誰も行動を起こしません。

これを自分自身で経験してかにゃしょーがない「自分自身の人生」でもやってる人がいて、そういう人は、ぬけぬけと、

「あなたが試しにやってみてぇぇ。」

と言えちゃう妙。

「あ、あんたの人生だよ?」

と思うけど、

適当な誰かに、自分の思い描いている(「自分はやらない」と腹を括ってるわけじゃない、実は。)ことのリスクを証明させるみたいに担がせて生きてる人がいるという妙。

あれは見ていて滑稽。


リスクは誰かに担がせないで各自自分で抱えよう。
所詮抱えられないんだったら「やらない」と諦めをつけて腹を括ろう。

誰かに一緒に担いでもらうものは「リスク」より「大きな荷物」。

でも他人のリスクを抱えるのが好きな人(気がついてない、どうも(自分に)酔ってる人に多い)も多いんだけどさー。


今日突かれたお言葉・その159

2010年04月30日 10時36分48秒 | 突言葉ねーさん
特定の見方で自分を見るよう、人に強制することはできないのです。
自分が他の人々からどう思われているか、過度に心配することもよくありません。
支援を受けるための最良の方法は、あまりそのことにこだわらないことです。最善を尽くしていれば、やがて人々はあなたの努力に気づくでしょう。



ほかの人からどう思われているかなんて、「あぁ、どっちでもい~~~い」という考え方の自分だが、どうも日ごろ「両極端の見方をされることが多い点」については、自分の中のバランスがおかしくさせられて、「ほっとけーーーぇ!」みたいに(笑)イライラすることも、ある。

フィーリングで生きているので、感じた何かに合わせながら生きてるから、両極端に見られちゃうんでしょうかねぇ。


「最善を尽くしていれば、やがて人々はあなたの努力に気づくでしょう」

と思ってやってはいるんですが、「毒を吐く」「虚仮にする」ことで帳消しになっているようで。

(別に叩き潰そうとしてるんじゃないのですが・・・・
そこを「わかっていて面白がってくれる器の広い人」もいるからいいか・・・・
ドハハハハハ・・・・)

今日突かれたお言葉・その158

2010年04月30日 10時27分25秒 | 突言葉ねーさん
心温まる状況は、百万の論理的な説明に勝ります。


ジョナサンケイナーの占い、今週の双子座さんより。


心温まることがないから、百万の論理的説明が欲しくなるような世の中。
だからゲームが異常なほどやたら流行ったりするんでしょ?

「こうすりゃこうやってアイテムがいっぱい揃う。」だの、
「こうすりゃこうやって仲間が増やせる。」だの。

そういう理屈が欲しくてやってるんじゃないのかなぁ、深いところではそうでしかないと思うんだけど。

「ゲームに遊ばれたい」なんて感覚、あるのかなぁ、今って。
そこが面白いのにね、ゲームはさ。

人と集ってやるようなゲームは「ゲームの中で人に遊ばれたい」みたいな感覚。
「あの人とこの人でこのゲームを楽しむ」じゃなくて、「ゲームの中であの人に遊ばれたい」みたいな感覚。

勝ち負けは二の次、制覇も二の次、プロセスを楽しんでるだけ、みたいな感覚。

あったまるんだけどねぇ、このほうが。


あたしゃいらん、論理的説明なんて。