外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

「白球 ~ 選手たちは海を渡った」

2011-01-31 18:25:18 | 大学野球
来週の日曜日(2/6)の夜、NHKハイビジョンで、標記の番組が放送される予定です。
放送時間は22:45-24:35の約2時間。

既に予告編が何度も放送されているので、ご存知の方も少なくないのではないでしょうか。
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この番組は、苦難の時期を経て、韓国での野球発展に貢献されてきた数々の韓国出身の選手や監督たちを紹介する内容です。

私が、この番組をご紹介する理由は、第二次大戦前、早稲田野球に憧れて日本においでになった金永祚(キム・ヨンジョ)さんも、この番組に登場されると聞いたからです。
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およそ100年前、アメリカから野球が伝わった韓国。

戦前“野球の早稲田”に憧れて韓国から早稲田にやってきたたキム・ヨンジョさんは、母国にお戻りになった後、韓国代表4番として韓国野球の基礎を築かれました。

韓国野球の歴史に明るいノンフィクション作家の大島裕史さんは、キム・ヨンジュさんを次のように紹介されています。

「今から60年以上も前、早稲田大学正門近くに、一軒の朝鮮料理食堂があった。韓国の全羅道で高麗人参を栽培していた一家が、一人息子の金永祚(キム・ヨンジョ)を早稲田大学に入れるため、畑を売り払って、早稲田に引っ越してきたのだった。」
「金永祚は野球選手としても頭角を現し、帝京商業(現、帝京大学高校)では、夏の東京大会に2回優勝したが、戦争などにより、2回とも甲子園には行けなかった。帝京商業の1年後輩には、後に「魔球」と呼ばれたフォークボールを武器に大投手となる杉下茂がおり、2人は生涯友情を育んだ。」
「そして金永祚は、晴れて早稲田大学に入るが、すぐに東京六大学野球は戦争によって中止。一時、プロ野球でプレーしたこともあったが、東京への空襲が激しくなる中、早稲田大学に熱い思いを残しつつ、祖国に戻った。」
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激動する時代に日本で野球で学んだ韓国選手たちは、日本に来た時も、母国に帰ってからも、大変なご苦労をされたと聞きます。

そんな早稲田の大先輩の足跡と野球にかける思いを、当日はテレビの前で姿勢を正して、受けとめたいと思っています。
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