外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

お詫び

2013-01-29 09:33:48 | 大学野球
2月後半まで、私事で多忙を極めてしまうことになりました。
それまでの間、このブログの更新頻度も、かなり低下してしまうと思います。
申し訳ありません。

3月に入れば、浦添キャンプのレポートなど、活発にお知らせ出来るようなりますので、しばらくの間ご容赦下さいませ。
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兼業主婦

2013-01-26 19:22:02 | ビジネス
大急ぎで読み込まなければならない本が何冊かあって、この週末は図書館通いです。
でも、何時間か読んでいると目がショボショボしてきてしまいます。
気持ちは若いのですが、身体は年齢相応です。
(T_T)

私の部署に聡明な女性が1人います。
東京外語大学の出身で、英語とロシア語に堪能で、金融ビジネスにも精通していますから、いわゆるキャリアウーマンです。

彼女には可愛い娘さんが1人いまして、この4月から小学生です。
子育ての一つの区切りを迎える彼女にお祝いの言葉を伝えたのですが、彼女の表情が今一つ冴えません。

理由を聞きました。すると、
「子供が小学生になると、託児所などのサポートが制約されてしまい、これまでと同じように働くことが困難になってしまう」
「シンガポールあたりに引っ越して、メイドを雇う選択肢を考えている」

そんな会話を交わしていたところに金融財政事情の今週号が届き、「専業主婦」ならぬ「兼業主婦」という記事がありました。
それを見た時の彼女の深いため息に、私は言葉を失いました。

日本経済が停滞する大きな原因の一つに、彼女のような有能な人材を活かすことのできない社会の状況があります。

優秀な学生には奨学金があります。
有能な働く女性に奨労金の給付があっても良いのではと思いました。
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英語名

2013-01-24 21:03:56 | 社会全般
以前、同じ銀行で働いていた中国人が、ひょっこりとオフィスにやってきました。

今は、香港に住んで、企業買収を行うファンドに勤めているとか。
とても金回りが良さそうでした。
(^_^;)

彼もそうなのですが、中国系のビジネスパーソンの多くは、本名とは別に、ジュディとかリチャードとか、英語のファーストネームを持っているのが一般的です。

外銀に転職した最初の頃は、何か違和感を感じたのですが、慣れてしまえば、英語名で呼ぶ方が簡単。

とはいえ、なぜ英語名をつけるのが広まったのか、ずっと不思議でした。

ある時、中国人スタッフに訊ねたところ、次のような返答でした。

昔、香港がイギリスに統治されていた頃、一人の英国人教師が、香港の学校に赴任しました。
しかし、中国人の生徒たちの名前がみんな同じように聞こえて、ちっとも覚えることができませんでした。
そこで、苦肉の策として、生徒たちにジョージとかマリーとか、英語名をつけたのだとか

それが生徒たちの間でも大好評となり、やがて香港の中国人社会全体に広がっていったのだそうです。

恐らく、その通りなのだと思います。


私も、ジャズの巨人にあやかって、マイルスとかデュークとか名乗ってみようかな・・・
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部活帰りの1本

2013-01-22 19:31:32 | 社会全般
米国において、炭酸飲料の消費が目立って減少しているとの報道がありました。

コカ・コーラ、ペプシ、ドクターペッパーに代表される米国の炭酸飲料
しかし、本家の米国においても、ミネラルウォーターやスポーツドリンクが好まれるようになってきたのだそうです。

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一昔前の日本人にとって、炭酸飲料、ジーンズ、ハンバーガーは、まさにアメリカ文化の象徴でした。

私が物心ついたころ、最も身近な炭酸飲料といえばラムネでした。
そもそもラムネは、1872年(明治5年)に神戸で製造販売が始まり、その後、日本海軍の軍艦の中でも製造されて水兵さんたちにしたしまれるようになって、全国に広まりました

十分に美味しいラムネでしたが、様々な零細業者が製造する駄菓子の範疇でした。

大手メーカーの炭酸飲料といえば、三ツ矢サイダー(1907年(明治40年)発売)、リボンシトロン(1909年(明治42年)発売)、キリンレモン(1928年(昭和3年)発売)が国産御三家といえるでしょう。

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コーラが本格的に日本にやってきたのは、1945年の終戦直後。
米軍の命令で国内6ヵ所にコーラ製造工場が設けられたことに始まります。

そして、1958年に日本コカ・コーラが設立され、1962年に「スカッと爽やか、コカ・コーラ」のCMで一気に大ブレークしたのでした。
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中学や高校の運動部員たちが、部活帰りにアイスクリームや炭酸飲料で一服するのは昔から変わらない風景です。
立ち寄るお店が、酒屋や駄菓子屋からコンビニになったぐらいでしょうか。

どこの学校にも、校門の近くに、下校途中の生徒がたむろう、馴染みの店があると思います。

私たちの世代で、運動部員に最も人気のあった炭酸飲料は「チェリオ」でした。

ファンタ(コカ・コーラ系)やミリンダ(ペプシ系)が1本200mlであったのに対して、チェリオ(セブンアップ系)は298ml!

この98mlの差が、万年金欠病かつ質より量の私たち運動部員たちには本当にありがたかったのです。

チェリオという響きを聞くと、夕暮れの道端でチーム仲間と談笑した、束の間の憩いの時間を懐かしく思い出します。
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秀子の応援団長

2013-01-20 16:38:23 | 映画、テレビ、漫画
以前から存在は知っていたものの、観たことのなかった映画をYouTubeで見つけました。
高峰秀子さん主演「秀子の応援団長」です。

1940年(昭和15年)に封切りされた映画なのですが、プロ野球の伝説のスター選手たちが、ユニフォーム姿で登場するのです。

まずは、ご覧ください。

秀子の応援団長

とにかく、凄い顔ぶれなのです。
スタルヒン、水原、中島、吉原、若林、景浦、西沢・・・
今も語り継がれる名選手たちのプレー姿は、何度くり返して見ても飽きることがありません。

しかし、この映画の封切りから1年後、真珠湾攻撃によって日米開戦となり、この映画に登場している吉原、景浦ら何名もの選手が戦死し、水原さんはシベリア抑留という過酷な運命が待っています。
それを思うと、胸が痛みます。

出場選手に関して詳しく説明されているブログに、リンクを貼らせていただきました。

詳しい解説

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この映画には、今はなき上井草球場も写っているのだそうです。
現在は早大ラグビー部のグラウンドとなっている場所にかつて存在した球場で、戦後の一時期、六大学野球リーグ戦が行われたことがあったと、早稲田の大先輩から聞いたことがあります。

セネタースのキャッチボール風景、その後のペッパーをしているシーンが上井草球場での撮影とのことです。

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それにしても、当時16歳であった高峰秀子さんをはじめ、当時の女優さんたちの女学生姿は素敵ですねぇ。
(^_^)
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水俣条約

2013-01-19 21:10:59 | 社会全般
水銀汚染の防止を目指した国際条約が「水俣条約」と名付けられることになりました。

新聞報道

原爆投下による惨状によって、広島と長崎が世界に知られることになりました。
そして今度は、水銀汚染による公害の象徴として、水俣という地名が採用される。

原爆で被曝した方、水俣で水銀汚染の被害を受けて今も闘病中という方々がいらっしゃいます。
ですから、今回の「水俣条約」という条約名に対して複雑な感情を抱く方もいらっしゃることでしょう。
私も、その1人です。

でも、事実から目をそらさないで真正面から受けとめていくことが、日本の役目なのでしょう。

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私が高校から大学を過ごした1970年代は、公害や薬害と社会が格闘する時代でした。

都内に住んでいた私の身近な地域でも、光化学スモッグで練習中に呼吸困難になる運動部員が続出。
自転車に乗って駒沢通りを抜けて多摩川の河川敷に行くと、合成洗剤の含まれた生活排水によって、川面は不気味に泡立っていました。
また、早大理工学部のはす向かいにある病院には、サリドマイドの薬害による障害を抱えた人たちが通院していました。

そんな時代でしたから、法学部の民法の講義でも、民法の一般不法行為と特殊不法行為の定め、そして水質汚濁防止法等の特別法なども駆使して、企業の損害賠償責任を問うて被害者救済を目指すという雰囲気がみなぎっていたことを、落ちこぼれ学生だった私でも懐かしく思い出します。

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1月の後半は、多くの学生さんたちが後期試験と格闘している時期です。
社会科学系の学部では、試験勉強で詰め込んでいる事柄の中にも、まさに現代の社会が直面している問題が含まれているはずです。

試験は試験として切り抜けてもらうとして、試験終了後に、自分自身の身近なところに当てはめて考えてみることをお薦めします。
一夜漬けで詰め込んだ知識であっても、噛み砕いてみると、世の中の仕組みや動きが、意外に理解出来るものなんです。

社会科学は、文字通り、社会を科学する学問なのですね。
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巨人・大鵬・玉子焼き

2013-01-19 18:10:03 | スポーツ全般
昭和の名横綱 大鵬が亡くなりました。

無敵の強さを誇り、二枚目。
それでいて謙虚。
端正かつ華のある、模範的な力士でした。

しかし、大鵬は、苦難の幼少時代を過ごした方でした。
=====
Wikipediaによれば、
1940年に、ロシア革命後に樺太へ亡命したウク ライナ人のコサック騎兵隊将校の三男として樺太に生まれた(当時樺太は日本領)

その直後に、ソ連軍が樺太へ侵攻してきたのに伴い、母親と共に最後の引き揚げ船だった小笠原丸で北海道へ引き揚げることとなった。
最初は小樽に向かう予定だったが、母親が船酔いと疲労による体調不良によって稚内で途中下船した。
小笠原丸はその後、留萌沖で国籍不明の潜水艦から魚雷攻撃を受けて沈没したが、大鵬親子はその前に下船していたため辛くも難を逃れた。

=====

九死に一生を得た大鵬親子でしたが、生活は困窮を極め、子供ながらに納豆の行商をして家計を支えたとか。

現役時代の眩しいばかりの輝きからは、想像もつきませんね。

まだまだ貧しかった日本。
玉子焼きが「ご馳走」だった時代に、日本中に元気をくれた横綱 大鵬

本当にありがとうございました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。

※過去記事にあるようなへそ曲がりの小学生だった私ですが、大鵬は好きでした。
(*^^*)
過去記事
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石垣島全早慶戦

2013-01-18 22:01:10 | 大学野球
全早慶戦のポスターが完成したようだと、オフ会仲間から知らせがありました。
石垣島 全早慶戦

3月9日(土)の正午に試合開始の予定。(雨天中止)
恒例の浦添キャンプ最後の週末となります。

この時期、天候が不安定な点が少し心配ですが、今から野球の神様にお願いしていれば、きっと大丈夫でしょう。
(*^^*)

今回は新しく空港ができたことを記念した企画のようです。
振り返ってみると、岡村監督が在学中にも、沖縄方面で全早慶戦が行われました。
これも歴史の巡り合わせです。

=======
ところで、プロ野球選手OBによるアマ選手の指導が、広く認められることになりました。
新聞報道

私は、この決定が学生野球に大きくプラスに働くのではないかと考えています。

学生時代から、チームの中で役割を果たしている人に、あるいは、教職課程を修了しているなど学業にも頑張った人に、引退後もチャンスが巡ってくるということです。

例えば、早稲田でも徳武、八木、小宮山のプロOB三氏がコーチをされていますが、 共通項は、ご三方とも学生時代は主将を務めたということ。

最後は、周囲から尊敬される人、一目置かれる人に声がかかるのだと思います。
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強豪・柳川商業

2013-01-16 21:19:35 | 大学野球
ネットで業界調査のデータ集めをしていたら、不意に懐かしい名前が画面に登場しました。
それは、徳永利美さん(柳川商業-法政大学-新日鉄)。
私と同い年の徳永さんは、甲子園と神宮で光輝くスター選手でした。

その徳永さんが、建設会社の副社長に就任されたというニュースです。

徳永利美さんの記事

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私が高3の夏

甲子園は、作新学院の怪物・江川の最後の夏ということで、異常な盛り上がりをみせていました。
その作新学院と初戦で激突したのが柳川商業で、その四番打者が徳永選手でした。

まともに戦っては勝機はないと考えた柳川商業は、四番打者の徳永選手を除く全選手がセーフティバントを試みるという奇策で、怪物・江川に挑みました。

しかし、手元でホップする江川の豪速球は想像を超えた凄まじい威力で、最終的に23三振を喫して柳川商業は敗退したのでした。

ちなみに、その夏の優勝校が広島商業(佃、達川、金光、楠原ら)、準優勝は静岡高校(植松、水野、白鳥ら)でした。

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徳永選手は、昭和49年の春、法政に進学しました。
その学年の法政には、江川投手をはじめ、ドラフト指名を蹴って進学してきた猛者が勢揃いして、「花の49年組」とメディアから注目されました。

この学年が三年生、四年生の二年間、法政は全て勝ち点5の完全優勝で、四連覇を達成しました。

その時の法政の野手陣は、下の過去記事をご覧ください。
甘いマスクの若き日の徳永選手の写真もありますよ。
法政「花の49年組」

ちなみに、早稲田の岡村監督、マックス佐藤さん、山倉捕手、道方投手らが同期です。
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柳川商業は、私の大好きなチームでした。
特に、徳永選手の三学年下のチームは最高でした。

原と津末を擁する東海大相模が全国区の人気を集めていました。
しかし私のイチオシは、久保(のちに近鉄)-末次(中大)のバッテリー、四番打者に立花義家(のちに西武)を据えた柳川商業でした。

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甲子園、神宮、社会人と野球の王道を歩み、ビジネスマンとしても活躍されている徳永さんは、素晴らしいです。
格好良すぎます!
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雪の休日

2013-01-14 19:10:46 | 大学野球
朝から雪が降っていました。
あっという間に積もって、完璧な雪景色となりました。
「1日早く雪雲がやってきていたら、大学ラグビーはどうなったかなあ」なんて考えながら、窓の外を眺めていました。

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雪の日に思い出す映画といえば、「アルプスの若大将」です。
1966年(昭和41年)の5月、私が小学五年生の春に封切りされました。
家族揃って道玄坂の渋谷東宝に行ったことを鮮明に覚えていますから、あの頃の映画は娯楽の花形でした。

映画のオープニングで、マッターホルンの美しい映像に驚いていたら、雪原を颯爽と滑降してきたスキーヤーが加山雄三さん本人だと判り、またまた驚きました。
加山さんは、学生時代にスキーの国体選手だったそうですから、上手いのも道理です。

スポーツ万能、歌もギターも上手い、そして英語も堪能という加山雄三さんの格好良さは、本物です

アルプスの若大将 予告編

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冒頭のレコード・ジャケットは、シングル盤のサイズながらも33回転でA面とB面に2曲ずつ入っているもので、母に買ってもらいました。
今も、押入れのどこかに眠っているはずです。
※現在の学生さんの世代は、レコード・プレイヤーの使い方を全く知らないそうです
(^_^;)


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東伏見もかなりの積雪だと思いますが、人工芝となった今は、すぐに使用可能になることでしょう。
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