ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

不思議な日本人

2011-04-19 | 環境
やはりどこかおかしい、日本は。日本人は。ひょっとしたらチェルノブイリを超えるほどの原発災害を引き起こしていながら、会社の存続を第一に考える東京電力。そしてそれを一体だと言って支える日本政府。原発の現状を維持すべきだという人がこの現在でも50%を超えるという不思議。もうこの国の存在そのものが不思議としか言いようがない。福島原発の事故をあと3ヶ月で終息させるという工程表を出した東京電力の言い分に何もおかしいと言わないマスメディア。溶融している燃料を取り出す方法さえわからない東京電力に、3ヶ月や6ヶ月でこの事故を終息させることなどできるわけがないのは、もはや自明だろう。それでも政府は東電と一緒になって、3ヶ月か4ヶ月したら、放射能のレベルが減少したとか言って終息宣言をだそうとするだろう。それでも放射能物質の流出は、5年も10年も続く。あのチェルノブイリの原子炉もいまだに放射能物質を出し続け、周辺の土地には人が住めない状態が続いているのだ。あれから25年もたっているというのに。

 「がんばろう!ニッポン」「われわれは一つ」などというスローガンは、原発を推進してきた電力会社や自公政権、そしてその利権構造をそのまま受け継ごうとしてきた民主党政権の責任を国民全部で負いましょうというごまかしのスローガンでしかない。ましてや復興財源と称して消費税の増税を企むなど許せない。国債発行してもその財源を東電の尻ぬぐいに使うことは絶対に許せない。東電が支払えないなら、原発は安全と言い続けてきた全電力会社が共同で支払うべきだ。それでも足りない場合は、原発利権で懐を暖めてきた自民党の議員たちが支払うべきだ。国民からとろうなんて、絶対に許せない。

 脱原発のデモに向かって「俺たちの生活は原発で支えられているんだ!原発がなかったら生活できないぞ」と叫んだ男がいた。同じような言葉が多くのマスメディアから聞こえてくる。これまでの電気の使い放題生活をそのまま維持しようという発想しかできない人は、ぜひとも福島原発に行って、原子炉の中に入ってみて欲しい。そこにあなたが執着する電気まみれの生活の本質がある。日本はいま、核の被害者の立場から明らかに加害者の立場になっている。それもまだいつまで加害し続けるのかさえ、わからない。いますぐあらゆる核開発を止めるべきである。原子力の平和利用と称しているが、原発は核開発そのものでしかない。実際、日本政府はアメリカと一緒になってイランや北朝鮮の原発建設を核開発と言ってきた。自分がやれば平和利用で、敵対国が行えば核開発と言う。二枚舌で核を扱うべきではない。核はいまだに人間が制御できないエネルギーのままだ。技術を過信してはいけない。いますぐ核開発を止めよう。すべての原発を廃炉に。原発の電気を使わない生活をしよう。