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肩の凝らないスローライフ

ようこそtenchanワールドへ。「一日一笑」をモットーに・・・日常生活の小さなことを笑いに変えるtenchanの雑記帳

ブログがご縁で

2011-09-21 12:58:34 | 自分のこと・思い出
以前、アクセス解析無料体験の記事を書いた時に、こちら
どんな検索ワードで拙ブログを訪問して下さっているのかが分かるページのことを述べました。

上位のキーワードは
「レイテ島からの手紙」
「夜回り先生 水谷先生」
「特色化選抜」
でしたが、
ブックマークにもあるちるめぐさんも、
レイテ島に関して検索され、こちらに辿り着いたお一人。

広島在住のちるめぐさんには
レイテ島沖で戦死された伯父様がいらっしゃいます。

重巡洋艦「鳥海」に乗船中爆撃を受け、
鑑ごと散華したそうです。

軍から送られてきた木箱には、
小石が一個と、名前の書いた紙切れ一枚が入っていただけ。

ちるめぐさんは、
伯父様がどの部隊に入って
どこから出発して、
どこで亡くなったのか、
最後の軌跡を調べるため
奔走されました。

ブログにて、軍服の伯父様の写真を拝見しましたが、
本当にお若くて・・・・・。
多分、今の長男と同じような年頃ではないでしょうか。

戦場に散った兵士は「軍神」と崇められた時代でしたが、
いつの時代も親が子どもを思う気持ちは同じです。
ちるめぐ伯父様のご両親もきっと、
息子様の戦死公報を手にされ、慟哭したに違いありません。

この夏、中日新聞にも「餓島からの帰還」として
ガダルカナル島での戦いの特集を連載していましたが、
帰還された方の年齢は、九十をとうに越えているんですよね。

戦争の記憶が風化する中、
こうして残っている情報を少しでも集めて
伯父様の姿を留めようとするちるめぐさんのことを
素敵だと思いました。
厚生労働省からのお返事が早く届くことを祈っています。


ちるめぐさんのブログです。散るも桜もまたさくら

こんなところに!

2011-09-01 11:17:22 | 自分のこと・思い出
「言わずにはいられない」の続編。




この間、次男の日本史資料集を、ペラペラめくっていて
見つけちゃったのよ。

誰って、



この人を。



どこにって?
ほらほら、ここ。





そんなに小さく切り取ったら分からないって?





じゃぁ、全体図をみせるわ。
こちら↓

吉祥天女画像【国宝】




ね、目玉おやじでしょ~~~。


子ども達には中ウケだったんだけど。



言わずにはいられない

2011-08-31 13:12:55 | 自分のこと・思い出
例えば誰かと会話していて、
ふと思いついた面白いことを、
どうしても言ってしまいたい!という衝動に駆られる時がある。

大抵付き合わされるのは次男とちび姫。
ウケる時もあるが、大コケの場合もある。
「はいはい・・・・」
という冷たい視線を浴びながら
それでも母はめげないから偉い。(笑)

家族なら呆れられてお終い、となるが、
これが友人との会話でも
言いたくてたまらなくなるから困る。

以前、フラワーアレンジメントのサークルで、
ドーム型のオアシスに生けるお稽古があった時のことだ。

アレンジメントでは、まず「木」とか「葉物」を挿していく。

ドームに緑の素材がいっぱい突き刺さっているのを見て、
持ち上げながら、思わず言ってしまった。

「これってなんか、












↑迷彩ヘルメット(画像拝借)

ジャングルで闘う兵士のヘルメットみたいですよね。」



回りの奥様達は、

「うふふ・・・・」

と一瞬微笑んだものの、後は無言。



完全にすべった感あり。(冷汗)


それ以降は、どんなに面白い!と思っても
アホなことを話しても許されるメンバーにだけに言おう、と
自重するようにしている。

どうしても吐き出したい時は、ツイッターに書き込む。
これって、tenchan流ストレス解消法でもあるのだなぁ、
と、しみじみ思うこの頃なのだ。

お互い様

2011-08-02 14:44:44 | 自分のこと・思い出
贔屓にしているクリーニング店は
会員制になっていて、
1年に一度年会費を納めることになっている。
カードの更新をするとその場で30%の割引券が発行される。

その他にも、誕生日前には
これまた30%の割引券が送られてくるので、
おしゃれ着など、家ではちょっと洗えないものを出す時に使ったりして
とても助かっている。

先日、次男の冬制服やその他の衣類を出しに行ったら、
ちょうどカードの更新日だった。

店員さんは、ポケットに何か入っていないか調べたり、
洗濯表示タグを確認した後、
レジ打ちをし始めた。

「制服が一点、カッターシャツが1点、ピアノカバーが一点。
合計で○○○○円でございます。」

金額を聞いた私は首を傾げた。

あれ?更新料、入ってないわ・・・・・。

通常の料金に、年会費をプラスしなければならないのに、
打ち忘れているようだ。

「あの~。ひょっとして年会費・・・・?」

そう店員さんに声を掛けると、

「まあ、ごめんなさい。
私、よく忘れるんですよ、年会費いただくのを。

後になって、あ、もらってない、って気が付いた時にはもう遅くて、
大抵自腹切るんですよ。

お客様みたいに申告して下さる方、あまりいないんです。
助かりました~。」

いえいえ、こちらこそ。
以前、期限の切れた割引券を、ダメ元で恐る恐る差し出したら、
「あ、いいですよ。値引きします。」
と、快く言って下さったじゃないですか。

お互い様ですって。

そんなこんなで、数ある地元のクリーニング屋さんの中で、
ここに通い続ける理由が、お分かりいただけたであろうか。

母って実は③

2011-08-01 14:08:31 | 自分のこと・思い出
家族の健康を第一に考えるという点では、
実家の母は非常に優れていた。

冷凍食品や加工品は出来るだけ避け、
食卓には手作りの料理が並んだ。

おやつも大抵母が作ってくれていた。
自動パン焼き器なんかない時代だったが、
手作りのパンを焼いてくれた。

が、度が過ぎれば、
それはただの健康オタク。
オタクすれすれの、いや、オタクそのものだった気がする。(お母さんゴメン)


記憶の最初にあるのは、肝油入りのシロップ。
確か、幼稚園くらいの時だった。
どうして肝油が登場したのかはわからないが、
体にいいから、というお決まりの口上のあと、
スプーンに一杯、無理矢理口の中に押し込まれた。
多分、相当抵抗したのだろう、
それ以降は飲まされることはなかったが・・・・・。


それから数年後、小学校2年生の時、
父母は念願のマイホームを建築し、
社宅暮らしとさよならしたのだが、
そこから母の健康オタクぶりが加速していく。

新しい家の近くには、同時期に建てられた薬局があった。
現在主流の大型チェーン店ではなくて、
いわゆる町の薬屋さんだ。

店長さんはなかなか商売上手な人で、
風邪薬や胃腸薬の他に、
健康によさそうな商品を店に置いてお客に勧めていた。

母がまず買ってきたのは麦飯石

およそ10cm四方の布袋の中に、「薬効がある」という石が入っていて、
お湯を沸かす時にヤカンに入れたり、
ご飯を炊く時に炊飯器に入れたりしていた。

熱を加えると微量ミネラルが溶け出ているらしかったが、
実際の効果はどうだったのだろう?
数年後にはキッチンから消えていた。

次に夢中になったのはクロレラ

朝と夜、ご飯を食べる前に10粒ずつ飲まされた。

子供にとって錠剤10個というのは結構な数だ。
「飲めないよ~。」
と、文句を言いつつも、
母が睨みをきかせているので
3回くらいに分けて飲んでいた。

これも、今一つ効用がわからないまま、
麦飯石と同じ運命を辿ったのだった。

ただ、薬の飲み方だけは上手になった。
一度に10個以上、喉に詰まらせることなくすんなり飲めるなんて、
小学生ではプロ級だ。

クロレラと同時進行だったのはカルシウム剤。
どんなメーカーのものだったかは覚えてないが、
濃縮になっているのをコップの水に溶かして飲むのだ。
これがちょっと苦いのよ!
普通のお水飲んでるほうが、よっぽどおいしいのに、
何でこんな苦いものを飲まなきゃならないわけ?
母もお気に召さなかったのか、これは1本で姿を消した。
お陰で苦味には耐性ができたかな。
ゴーヤが食べられるようになったのは、この時の副産物かもしれない。



中学生ぐらいのころ、
アラフォーに差し掛かった母は、
次第にお腹回りに肉がついてきた。

便秘にいいからと母が試したのが

酢大豆(あさイチ参照)



センナ

これに関しては、思春期真っ只中で体重増加を気にしていた私も
自らトライしてみた。
が、効き目が強すぎたのだろうか、
便秘解消というより、もう殆ど〈ピー〉状態であり、
早々に降参したのだった。


思い返してみると、
本当に色んなものに手を出したものだ。

次男に嫁ぎ、同居の苦労を知らずに過ごしてきた母。
自分の思いの通りに物事を運んできたため、
ちょっとあなたそれはおかしいんじゃない?
と、忠告する人もいなかった。
母方祖母は名古屋に住んでいたので、
そう度々は、娘のやることを詮索は出来なかったのだろう。

これらの製品がどれだけ健康に作用したかは
今では推し量ることは出来ないが、
少なくとも、「健康に気を使う」という精神だけは、
私に受け継がれたのは確かだ。

二重太鼓

2011-07-20 13:14:18 | 自分のこと・思い出
着付け教室もいよいよ袋帯の二重太鼓に。

四苦八苦しながら、
3回目にしてようやく自分で結べるようになった。





これは、
17年前、次男が生まれた時、
お宮参り用に実家の母が誂えてくれた単衣の付下げ。

帯、帯揚げ、帯締めも
その時に合わせてもらったものだ。

今でもまだ着られるじゃん(へへっ、なんてね)

当時3歳に満たなかった長男が
裾にまとわりついて大変だったっけ。

着物には、こうして家族の歴史が刻まれていくのね。

いつかちび姫に譲れるよう、大事にしていこう。


普段の生活で、着物を着る機会なんてないに等しいが、
例えば、同窓会なんかにシャラ~っと着こなせたらステキよね。
ってことで、同窓会・・・・・ないかしら(笑)

まだ先の話だけど、次男の高校卒業の時が狙い目だわ。
もうちょっと練習して、上手に着られるようになりたいな。

早起きは三文の得

2011-07-14 12:52:16 | 自分のこと・思い出
宗派の関係で、我が家の盆供養は7月に執り行う。

お墓とお仏壇にお参りするだけではなく、
盆飾りをして小さなお膳を供えることは、
以前記事にしたこともある。こちら

朝昼晩のお膳を二日間に渡って用意するのは、
専業主婦時代には、なんてことなかったが、
仕事をし始めてからは、これが結構大変だということに気が付いた。

とにかく、いつもと同じ時間までに朝食とお弁当の用意をし、
加えて、お膳も整えねばならないのだ。
1時間は早く起きなければ、到底間に合わない。

初日の朝膳は「おはぎ」。

炊飯器は一つしかないので、
白米を5時に炊けるようセットしておく。
まず、昼膳用のご飯をよそい、お弁当にご飯を詰めてから
一旦タッパーに引き上げておく。
お釜を洗ってもち米をセット、再度炊き始める。

炊きあがるまで48分。
その間に、お弁当のおかずと味噌汁を作り、昼膳の準備もしておく。

子ども達を起こし、洗濯機を回す。

学校に送り出した頃、もち米が炊きあがった。
前日に作っておいた小豆あんで包み、おはぎを作る。

お仏壇にお供えし読経。

ここでようやく自分の朝食。
出来たてのおはぎを一ついただいちゃう。

そろそろろうそくの火が消える頃だわ。
朝膳を下げてこなきゃ。

おっと、洗濯機が止まった。
こちらも外に干してきて、と。

昼膳の盛りつけ。
ご飯、味噌汁、酢の物、和え物、煮物。
これで用意は完璧。

きゃー、時間がない。
まだメークもしてないのに!

お粉はたいて、紅引いて、
いつも全然自信がないけど眉書いて、
あと適当に色のせて、
5分間(5分以内)メークの完成~~~!
「tenchanさんって、いつもすっぴん?」
他人様にそう言われる由縁だ。(汗)


始業ギリギリに事務所に飛び込む。ごめんなさい~。


早めに起きたのは大変だったけど、
お陰でなでしこジャパンの快挙をリアルタイムで観られました。
御利益あったよね。


明日の朝膳は「お赤飯」
またまた5時起きだぁ~。

「カ・イ・カ・ン」再び

2011-07-12 13:18:45 | 自分のこと・思い出
去年の6月、高圧洗浄機をマシンガンみたいに構えて、ガレージを掃除したことを覚えていらっしゃるだろうか。前記事

あれから1年。
冬の間に湿気苔が生え、
暑くなると同時に、目地の雑草が目立ってきた。

というわけで、再び高圧洗浄機の登場だ。


前回同様、汚れてもいい服装に着替える。

よれよれのTシャツと、
長男が高校の時使っていた体育用ジャージ。
↑学校名と名前が刺繍されてるやつ。(爆)

それに農作業用の帽子


(画像は拝借)

を被り、

水で濡らして冷たくするスカーフも首に巻けば、服装は完璧だ。


この日は日中の気温が35℃近くまで上がり、
ガレージの屋根の下とはいえ、
途中休みながら作業しないと
熱中症になり兼ねなかった。

ペットボトルに冷水をいれ、
顔に泥が付いた時用のタオルも脇に置いていた。



午後の作業を始めて2時間、
もうちょっとで終わる、という時だった。

顔に泥跳ねが付いているのは知っていたが、
ここまで来たら一気にやってしまいたい、
と、顔も拭かずに、
ウォーターガンを振り回していた。

と、そこへ、
軽自動車が一台、我が家のガレージ前に止まるではないか。

窓を開けた男の人が、
「○○公園はどこでしょうか?」
と尋ねてきた。

○○公園って、うちから一番近い、子ども達が遊ぶ小さな公園よね。

えーっと、ここをでて、右へ回って2本目のの道を右折して、
橋の手前の道を左へ曲がるんだっけな。
でも、大きい通りから見えないから
分かりづらいと思います。

って、ゼスチャー使って教えてあげたら、

「すみません、取りあえず向かってみます。」

と、去っていった。


はっ!顔の泥。
またしても泥だらけのままで、人と話をしてしまった・・・・・。
気が付いた時には遅いよね。





トホホな話②

2011-06-01 13:29:52 | 自分のこと・思い出
カードを利用停止にしたのは、
結局、自分名義の口座、
①自分が勤めていた銀行
②ゆうちょ銀行
③イオン銀行
の3つだった。

①は、利用停止のあと、同時に再発行手続きもした。
だから、仮にカードが見つかったとしてもそれは使えない、
ということだった。
で、新しいカードは3営業日目に配送されてきた。

②のゆうちょは、カード停止だけにしておいたので、
月曜日に店頭へ出向き、
身分証明と通帳・印鑑を提示し、
再利用可の手続きをしてもらった。

問題なのは③のイオン銀行だった。


①の銀行からは既に再発行カードが送られて来たのに、
イオン銀行からは何の連絡もない。

ようやく1週間後に、「カード喪失受付」なる手紙が送られてきた。

数日後、今度は「カード再発行依頼」の書類が来た。

必要事項を記入し、銀行印を押し、免許証のコピーも添えて送り返す。

これで手続きは完了。

だが、1週間経っても、2週間経っても
カードは送られてこない。

イオン銀行をメインにしてから、
給与の振込も、長男のアパートの家賃振込も、
全てここで行っている。

生活費もここから出している。

なのに、カードがないことには
どうしようもないではないか。

他銀行ならば、
通帳と印鑑さえあれば、
店頭で現金を引き出すことができる。

でも、イオン銀行には通帳がないし、
そもそも、イオン店内の銀行でも現金の取り扱いはしていない。

カードが来るまで、
現金を出すことができないのだ!

口座の残高を動かすには
ネットバンキングしかない。
それも止めてしまった今では
もう手出しができないのだ。


家賃の振り込みだって出来ない!
こうなったら、他銀行のATMで、
振込先を一から打ち込んで済ませるしかない。


冷静に考えればわかることだが、
カードが利用停止になっているのだから、
たとえ拾われても、ATMで引き出すことはできないし、
ネットバンキングも、暗証番号は自分しか知らないので、
他人が操作することはできない。

万が一のために、PINコードだけ一時的に変えておくとか、
残高を他行座に振り込んでおくとか、
いくらでも対処の仕方があったのに、
もう、無くしたことだけに気を取られて、
「全て停止して下さい。」
と、頼んだから、こんな大変なことになったのだ。

あの時、かなり気が動転していた。

ネットで口座から引き落とされたらどうしよう~~~!
と、そんなことばかり考えていた。
↑って、大金が入ってるわけじゃないのにねぇ~。(汗)


3週間目、とうとう我慢できなくなった私は、
イオン銀行カスタマーセンターに電話をした。

受付のお姉さんは、
「大変申し訳ございません。
再発行の手続きは済んでおりますので、
只今発送待ちになっております。」
と、教えてくれた。

そして、お財布無くした騒ぎから、約1か月経って、
ようやく新カードを手にすることができたのだった。


今まで、自分が勤めていた銀行のことを
ネタにしてボロくそに書いていたが、
速攻でカードを送ってきてくれたそのシステム力に感動。
元職場のことを、初めてちょっと誇りに思ったのだった。

トホホな話。

2011-05-31 12:47:19 | 自分のこと・思い出
数ヶ月前のことだが、
焦ったせいで、その後とんでもない不便さに陥ったトホホな失敗談を。

土曜日、夕食の買い物に出かけようと車を走らせた。

向かったのはよく利用する精肉店。

専門店だけあって、種類が豊富。
しかも日曜は定休日なので、土曜の夕方は値下げシールが貼られ、
お値打ち感たっぷりなのだ。

その日のメニューはすき焼きに決めていた。
この時間だもの、飛騨牛のスライスがきっとお買い得品になって出ているはずだわ。

そう思いながらお店に入った。

お目当ての飛騨牛パックを籠に入れ、レジに並ぶ。
自分の番になって、鞄からお財布を出そうとして顔が引きつった。

財布が・・・・・ない。

「すみません、ちょっと車までお財布取りに行ってきます。」

車の中には普段から、ガソリン用に別財布が入れてある。
とりあえず、それで払うことにした。

「お待たせしてすみません・・・・。」
レジでお金を払い、車に戻る。

それにしてもおかしいわね。
お財布、家に置き忘れたのかしら・・・・・。

いけない!免許も入ってるから、家に帰るまで無免許運転になっちゃうじゃない。
でもしょうがないわ。

パトカーに呼び止められぬようビクビクしながら家に帰る。

玄関に入ると、
すぐに部屋中を回ってお財布を捜した。

「お母さん、どうしたの?」
焦る私を見て、次男が面白がって声を掛ける。

「お財布がないのよ~!」

「そうか、がんばれ。」

うー腹立つ・・・・・。


冷静に、冷静に、もう一度よく思いだして。

今日は午前中、子ども達を医者に連れて行って、
診察料と薬代を払っているわ。
だからその時はあったわよね。

でも、払った後にほんの少しだけ車を離れて
鞄を置きっぱなしにしたっけ・・・・・
まさか、その時に?

顔から血の気が引くのが分かった。
心臓もバクバクいっている。

ありそうな場所を再度確認するも、
財布はない。

これはいよいよ覚悟を決めなきゃ。
カード関連を一時止めるのよ。

私名義のはすんなりと手続きができるとして、
夫名義のカードは、本人が電話しないとだめだかもしれない。
ああ、余計にややこしいわ。

あと、免許証も保険証も再発行してもらわないと。

お財布にどの銀行のカードが入っていたか思いだし、
自分名義のものだけ、まず電話する。

3件済んだところで、
義父が見るに見かねたのであろう、
「車の中、もう一度見てきたら。」
と、勧めてくれた。

そうですよね、家の中ばかり探してたから、
ひょっとしてってこともあるし。

ドアを開けて室内ライトの明かりを頼りに探す。

・・・・・ありました・・・・・。

お財布、ありました。

どこにって?

助手席の足元に。

ボロっと転がっていました。

何かの拍子に鞄から飛び出したと思われる。

不運だったのは、お財布の色が黒だったこと。
そして、足元に敷いたマットもまた黒だった。
夕暮れ時の薄明かりの中、
財布とマットの黒色は同化してしまったのだ。


お財布を胸に抱えてリビングに戻る。

「すみません。見つけました。」

腰が抜けてへなへなと座り込む。


とりあえず、よかった~。

カードは3件停止にしたけど、
再発行手続きもしたし、
しばらくすると郵送されてくるはずだわ。
当面は手持ち現金で生活できるし。

ホッと胸をなで下ろしていたが、
実はメインで使っていた銀行に
意外な落とし穴があったのだった。・・・・・続く。