とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

「コクリコ坂から」の世界観は好きだ

2019-03-24 22:24:37 | 日記

コクリコ坂からは横浜が舞台ということもあるが、
カオスな部活の様子が好きだ。

私の中学校時代も戦前に建てられた木造校舎を今の白いコンクリートの校舎へ建て替える過度期で、同じようなイメージがあった。
私は入学してクラブに入るのに初めに生物部を覗いてみた。
当時は課外活動であっても指導する先生のいない生徒主導のクラブがあった。
(その後、学校主導の部活動が導入されていくことになる)

部室は、以前には理科の実験室かなにかで使用していた部屋だった。
年代ものの小さな部屋の中には薄汚れた水槽があり、緑色のアオミドロが繁殖していた。
行くと2名ぐらいの3年生がいた。
入部の見学に来たと言ってもあまり取り合ってもらえなかった。
何回か通ったが、部室の中でじゃれあっているばかりで、まともな活動をしていなかった。
ところがもう行くのをよそうと決めた日に、「これから近くの川へ出かける。」
と、突然行動を開始した。
ついて行くと、川の水のサンプルをいくつも採取してきた。
それ以来私は部室には行かなくなったが、その後この時の結果が「鶴見川水域における水質汚染物質の測定」というようなタイトルの研究でまとめられており、文部大臣なんとか賞というのを受賞していた。PCBが何PPMというように、かなり本格的な分析であったのを記憶している。
おどろいた。

他のクラブも
ジャコビニ流星群の観測
トラフカクイ蚊の研究
などが、私の在学中に文部大臣何とか賞に輝いている。
中学生と言ってもあなどれない。
(タイトルは私の記憶のものなので正式には少し違うかもしれないが、いずれにせよ、かなりつっこんだ内容のものだった。)

私はその後、山好きの同級生達と山登りに出かけるようになる。(正式な山岳部は中学にはなかった)当時でも一泊2日ぐらいの登山はすでに行っていたが、3年生になると夏休みを利用して南アルプスの北部を縦走する長大な計画を立てた。
それは、夜叉神峠から鳳凰山、甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、北岳をめぐる5泊から6泊になる長期の登山計画であったが、これが事前に学校側に計画が漏れ、体育担当の教師につぶされてしまった。
その翌年秋になってからであるが、鳳凰山と北岳はなんとかメンバー全員で登った。
当時の親は、中学生同士の登山でも普通にゆるしてくれていたのだから、今とずいぶんちがうなあと思う。

個性的な生徒もたくさんいた。

小学校時代でも記憶に残る面々は多い。
手旗信号の得意なもの、天体観測にのめり込み「星見望人」という雅号を持っていたもの、漫画の同人誌を作る者、精巧な紙飛行機を作るもの、一日中顕微鏡をのぞいているもの、きりがないが、みななにかしら打ち込んでいた。


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