とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

石垣山一夜城へ登る

2019-03-10 20:35:20 | 神奈川散歩
小田原城-早川-海蔵寺-石垣山一夜城



御幸ノ浜から石垣山方向



早川を渡り、東海道線をくぐり、海蔵寺へ向かう小道へ入る。
 

海蔵寺には秀吉の小田原攻めの時に38歳の若さで陣没した堀秀政の墓がある。


秀政は気配りの武将だったようで、秀吉の信任も厚かった。
その後堀家は、秀政の遺徳で30万石の大大名になったが、江戸時代初めに改易となる。
やはり40歳の若さで病没した蒲生氏郷に重なるようだ。

裏手の車道から登ると、石垣山城へ向かう車が多い。

振り返ると相模湾が綺麗だ。


蜜柑山の道を登っていくと、武将のパネルが等間隔で現れる。


城跡はよく整備されていて、見どころが多い。


箱根外輪山の明神ヶ岳


小田原城も見える


石垣もよく整備されている。


井戸廓の石垣から相模湾


立派な井戸が厩廓の下にある。


本丸からの展望


一大国家プロジェクトともいえる戦いを計画して実行した秀吉の統率力と財力がよくわかる城だ。

これだけの土木工事と、将兵20万を超える空前絶後の包囲網を維持する兵站を確保するには、現代であっても相当困難なはずだ。



この城から見える小田原城の周りには、名だたる戦国武将が結集していた。
それから、400年以上が経ってもこうして城郭が残っている。
なんとも考え深い場所だ。


西廓から天守台


小田原は大陸プレートがぶつかる場所でもある。




報徳二宮神社 小田原文学館 雨香亭

2019-03-10 14:30:21 | 神奈川散歩
二宮金次郎像


戦前製作の金次郎像はこの一体だけとある。
そのうち重要文化財になるのではないか。
最近歩きスマホを増長するものだと風当たりの強い金次郎像だが、確実に一時代の学校教育を象徴していた。


今日は旧松本剛吉亭 茶室「雨香亭」の一般公開日だったので、見学


松本さんは、山縣有朋の側近だったそうで、お庭や茶室にも山縣有朋の影響があるんだそうだ。






小田原文学館


小田原出身の作家には、北村透谷がいるそうだ。
文学史上ではたいへん有名だが、実際の所はほとんど何も読んだことがない幻の作家。


北原白秋が8年ほど住んでいたらしい。この間に沢山の童謡を書いたそうだ。
展示してある童謡の歌詞を見たら、8割ぐらいは自分も歌える。


串田孫一の名前を見つけたら、「美しき生の歩み」という自著(原文子共著)の本を
長谷川如是閑へ贈ったものだという。如是閑は、晩年小田原に住んでいたそうだ。それでこの本は如是閑が地元の図書館へ寄付しものだそうだ。

他にも小田原関連作家の言葉をいくつか

あちら こちら 命がけ
        安吾

木枯の橋を渡れば他国かな
川崎長太郎

日本の男の子と生まれ今
ここにいくさの庭に立つぞ嬉しき
北原武夫 宇野千代

民衆
われらは郷土から
うまれる
われらは大地から
うまれる
われらは民衆の一人である
福田正夫
(詩誌民衆)

小田原城を歩く

2019-03-10 10:33:54 | 神奈川散歩


小田原城へ向かうと昔に比べ城門などの復元が進んでいる。
小田原城は、最近外国人観光客への評判もよいそうだ。



古くには、勢子に化けた北条早雲(伊勢新九郎)の軍が小田原の大森藤頼を攻め、小田原城を奪った記録があるそうだが、当時の小田原城がどのようなものであったかは不明なようだ。その後の小田原城は、北条氏により要塞都市として整備された。
このため小田原城は、武田信玄や上杉謙信をしても攻め落とすことの出来ない、戦国きっての最強城郭都市となった。

南側の早川口の土塁遺構(北条氏の時代)




当時は東側では山王川から、西南方向ではこの早川のあたりまで城郭であった。
秀吉の小田原攻めの布陣図


本丸横にある報徳二宮神社前の堀も当時のものだそうだ。




小田原はたびたび大地震に襲われている。
先だっても地震で熊本城の石垣が崩れたが、
ここの石垣も地震で下部へ崩れ落ちてきたものだそうだ。


城からは、箱根の駒ヶ岳も見える



三の丸土塁遺構(江戸時代)




南は御幸ノ浜