とうちゃんのぷらぷら日記

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旧相模川橋脚と寒川神社は関係があるのでは?

2018-01-08 07:23:44 | 神奈川散歩
史跡の旧相模川橋脚へ行く


橋脚は関東大震災の液状化現象で田圃の中から出てきたという。


この遺構で最大の謎は、柱が南北に並んでいることだ。
しかも3列。



合理的に考えれば相模川に架ける橋なら東西方向に架け、柱は2列だろう。
相模川が蛇行していて、一部東西に流れる箇所があったとしても、そこにあえて橋を架けるだろうか。


地図を見ると寒川神社がほぼ真北にあるのが気になる。
稲城重成が妻(北条政子の妹)の供養としてこの橋を普請したそうなので、橋を造る動機としても、相模川を渡るための公共的な実用性よりも、より宗教色の強い建造物であったことが想像できる。
すると南北に橋が架けられた意味も、
源頼朝が橋の落成式に出席したことも納得できる。
橋は神社の太鼓橋のような役割をしていたのではないかと思う。

寒川神社は、相模湾のほぼ中央の奥まった所にある。
かつては、海上の船からも社殿が見えたのではないか。
社殿から海に向かった所に豪華な橋を架けるというのは、死者を極楽浄土へ導く寒川神社の仕掛けとして造られたのではないかと個人的には思ってしまう。
付近は富士山も綺麗に見える。


続けて寒川神社へお参り。


さすがに混んでいる。


この社殿の柱と相模川橋脚の柱も、似ている。
そういう解釈は、史跡の説明文にも書かれていなかったがどうなのだろう。


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