とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

忘れられぬ山 日高 ナメワッカ沢

2014-09-06 18:16:28 | 山行
日高の山へ行ったことは
これまでの登山の中でも忘れられない山行の一つとなった。

日高山脈の中央に
春別岳から主稜線を外れ西に延びる大きな尾根がある。
尾根の中ほどには
ひときわ立派な山がある。
1752mのイドンナップ岳だ。
その南側の沢を集めて流れているのがシュンベツ川で、
大学生のころ、そのシュンベツ川から支流のナメワッカ沢を経てナメワッカ岳、春別岳、カムイエクウチカウシ山、八ノ沢カールへと
日高山脈を東西に横断する夏合宿をしたことがあった。

春別ダムを越えた所までタクシーで入り、ダム湖の東の林道からシュンベツ川へ降りた。
中流域のシュンベツ川は水量も多く、遡行するには川を左右に渡渉を繰り返しながら進むことになる。
いきなり腹まで浸かるような渡渉が始まった。
夏とは言え雪解け水のシュンベツ川は、息が止まるような冷たさだった。
大きな川原石にも足を取られる。まだ山に慣れない体にはこたえた。

この合宿でパーティの先頭を歩くのは私の役割だった。
川の左右は急峻な崖や斜面である。右に左に流れを変える川を歩いて行くには、この先がどうなっているかを目で確認することは出来ない。先の地形を予測して、渡渉ポイントを歩きながら判断する必要があった。
ポイントを見誤ると、もう一度後へ戻るか強引に泳いで突破するかの判断になる。何れにしても体力と時間をロスする。

この時、私の山カンはさえまくった。
通過してから改めて判断しても、常にベストのポイントを渡渉していた。

ナメワッカから春別岳への這松こぎの判断でも然り。
自分で言うのもなんだが、この合宿中の私のルートファインディングは手慣れたガイドよろしくほぼ完ぺきであった。

ところで、ナメワッカ沢は、計画当初からクラブの沢の力量では遡行は困難ではないかと心配されていたのだが。
はたして実際に来てみると、やはり、われわれの予想を超える険しい沢であった。
ゴルジュには高さ20m以上の険悪な滝が垂直に落ちており、
一目見ただけで、われわれの技術では登ることは不可能と判断できた。
このため滝のはるか手前から大高巻をして、滝の落ち口へと降りたのだが、
滝一つを越えるのに丸1日をついやした。

参加メンバーも危なっかしいものだった。
大学生のクラブなので1年生は初心者も同然
そんなメンバーで、この沢に挑んだのだ。

極限の緊張の中、
一日の行動が終わりキャンプサイトで焚火を囲むと、
今日の沢での健闘をお互いに讃えあった。

この時みんなで歌った
「かまどの歌」は、この合宿を象徴するような山の歌であった。

・・・・・・・・・・・・

食事が終わった後は
束の間の憩いさ
たばこの煙は遠く空へ帰ってゆく

長い一日だった
ほんとにつらかった
だけどこうしていると
今じゃうそみたいだ

夏の陽はすでに落ち
山は深く黒く
西の空を縁取る峰の名も知らず

明日もザックを背負って
どこまでゆくんだろう
苦しいことなど忘れて
いまはただ眠りたい

・・・・・・・・・

合宿最後の幕営地は有名な八ノ沢カールで
最終日の夕飯は
夏合宿恒例の闇鍋であった。

我々の合宿では合宿の食糧計画とは別に、
いざというときの予備の食糧にも使えるようにと
「各自一品ずつザックの中になにか食材を入れてくるように」
という決まりがあり、
無事合宿の最終日を迎えられた日の夜には、
その食材を使って
鍋をつくるという伝統があった。

どんな味になるのかは見当がつかないから闇鍋と言った。
食事の当番は1年生で、味付けもすべて当番に任される。
ベースは大抵醤油か味噌味となるが、
食材には何を持ってきたらよいというような決まりはないので、
各自のセンスが試された。
同じ食材が重なるようなことがあるとブーイングだ。
ただし、戦前の闇鍋に入っていたような「たわし」などのようなギャグ物はNGである。

玉ねぎなどは何の料理にでも合い重宝するが、
1年生で切干大根を持ってきた者がいた。(軽いからだろう)
切干大根なんかを入れると
鍋がみんな切干大根味になってしまう。

だがそれも一期一会で、後でいい思い出にはなる。
それは、それでよかったのかもしれない。

八の沢カールでの闇鍋は、もっとまともなものであった。
ひさしぶりの御馳走にみな満足した。
おまけに八の沢カールの水はうまかった。

食事が終わると カムイエクウチカウシの肩の辺から月が昇った。
月はカールの底を明るく照らし、
合宿最後の夜を、美しく演出してくれた。



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