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とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

鎌倉攻防戦、洲崎古戦場から御霊神社

2017-08-12 07:20:43 | 神奈川散歩
元弘3年、鎌倉幕府最後の攻防戦が洲崎、化粧坂、極楽寺方面で行われた。
このうち最初の激戦地となったのが洲崎の合戦であった。
幕府軍の大将は第16代執権の赤橋守時であったが、守時の妹は足利尊氏の妻であった。
このため、守時の幕府内での立場は微妙になっていた。
守時は、死を覚悟して戦いに臨み、敗れた幕府軍は撤退せず90名ほどがこの地で自刃してはてたという。
鎌倉幕府滅亡の悲話としてドラマチックな場面だ。



洲崎古戦場は、三方を丘に囲まれた平地である。
陣出、上陣出という地名も残る。
大船駅方面から湘南モノレールで行くと、緩い坂道が平地となる所だ。
古戦場には、JR東日本の大船工場があった。
陣出の泣塔はJRの敷地内にあったが、用地は再開発予定地となり、現在陣出の泣塔の塚は、フェンスに囲まれ立ち入り禁止となっている。

フェンスの外から陣出の泣塔のある塚を見る。
塔は、この合戦で亡くなった北条軍の戦死者を弔うために建てられたと言われている。
塔には、古くからたたりがあると言われていたそうだ。ナンマンダブ ナンマンダブ


近くの御霊神社には建武の年号の入った五輪塔がある。
これも北条方の戦死者を弔うためのものではないかと思う。




神社は大きな岩盤の上に造られている。
有名な坂の下の御霊神社よりも古い時代の御霊神社であるらしい。



等覚寺にも五輪塔が沢山ある
兵どもが夢の後か

アブラ蝉やヒグラシが鳴く。
山にしみいる蝉の声だ。
 



この後深沢からバスで鎌倉駅へ

鎌倉国宝館へも行ってきた

2017-08-08 22:33:26 | 神奈川散歩
今日の感想

<最近注目の逸品>
宝塔
嘉歴2年(1327年)
佐介ヶ谷より出土したもの
石造宝塔で風化なし(700年前のものとは思えない、その辺の石屋さんが造って持ってきたみたいなな宝塔)
平成28年に個人から遺贈されたものだそうだ。

<やっぱ鎌倉は蘭渓和尚>
蘭渓道隆墨跡
法語規則(国宝)
蘭渓和尚って南宋からやってきた禅僧だが(中国人)
鑑真和尚といい、蘭渓和尚といい、時を越えて日本人に尊敬されている中国人なので、きっと心ある中国人観光客は、感動してくれることだろう。

<アイドル>
鶴岡八幡宮 弁財天坐像(枇杷付)(重文)
文永3年(1266年)
弁天様なので裸像だが、残念ながら服を着ている。
目がやらしい。
楽人 中原光氏が奉納

<モダンな梵鐘>
常楽寺 梵鐘 
宝治2年(1248年)
北条泰時の供養のため北条時頼が造らせたもの
細長で綺麗な鐘

<シリアスなお地蔵さん>
地蔵菩薩立像 (重文)
寿福寺
蓮台までの一木造り
なまめかしいお顔 
白毫は水晶か

鶴岡八幡宮ぼんぼり祭りへ行く8月6日〜9日

2017-08-08 20:41:22 | 神奈川散歩
これまで鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りには、昼間にしか行ったことがない。
それで、あくまで想像だが、夜はきっとすばらしいにちがいないと思う。

宗教的な場所に、蝋燭の光はよく似合う。
その場所を一層おごそかにする力がある。
昔ノートルダム大聖堂へ行ったときもそうだった。あちらの教会でも、お燈明をあげる習慣があるようで、よくわからなかったが、お線香をあげるようなつもりで蝋燭を買い、堂内でお燈明をあげた。

信州の別所温泉にある北向観音では、寺の灯篭すべてに灯がともっているのを見たことがある。(やはり今頃だ)なるほど、灯篭とは本来こうして使うものだと改めて納得した。
灯篭の灯り取りに四角い和紙を張り付け、中に蝋燭を灯した光は、とても柔らかでステキだった。

鶴岡八幡宮は、四角いぼんぼりで、正面に思い思いのメッセージ、あるいは、メッセージ的な絵が書き込まれている。有名人のものも多い。

本殿前には、養老猛司さん。
ボンボリの図柄は、なんとゾウムシ。
どうも「ミイロミツギリゾウムシ」というのは養老先生が発見した品種のようだ。
ゾウムシの形は変幻自在。世の中様々な個性で成り立つという暗示か。


その横には作家の三木卓さん(たぶんそうだと思う)


石原伸晃さんなんかもある。
階段下には、みのもんたさん。

参道の入口には蛭子能収さん。


こらこら、ボンボリを全国キャラバンの宣伝につこうとるのは誰だ。(歌手の白井貴子さん)


鶴岡八幡宮左側の狛犬はファンだ。よしよしと頭をなでてしまいたくなる。


過去のボンボリの特別展もやっている。


王禅寺へ行く

2017-08-06 18:53:11 | 神奈川散歩
8月だというのに相変わらず天気が悪いですのお〜
まるで梅雨時みたい
しかたがないから、すぐに撤退可能な
近場へ出かける。

まずは王禅寺へ
新本堂の賽銭箱にチャリンとお賽銭をあげると、
「禅寺丸の柿をありがとうございます」と感謝の祈りをささげる。
(禅寺丸は王禅寺発祥の日本最古の甘柿の品種と言われている)


今の幹は、元の幹が古木になりすぎて折れたかしたのがまた再生したものだった気がする


近隣の村である私の家にも禅寺丸の柿の木が5、6本あった。
秋になると、たわわに実を付けた禅寺丸の枝が、薪小屋の小さなトタン屋根の上にしなだれかかっていた。
屋根へよじ登り柿の皮を下の前歯を使って器用にむき、毎年、野生の猿よろしくしこたま食べた。

柿の実は「医者いらず」という。
ビタミン、ミネラル豊富な健康食品でもある。

ところで禅寺丸には、たまに渋柿の実もあった。
それは皮を爪でひっかいてみればすぐに分かることなのだが、
甘い実は果肉に黒いまだらが入っている。一方渋柿のものは薄黄色なのである。

暇な私は、毎年家にあるすべての柿を食べ比べていた。そして自分の中で品評会を行い、一番おいしいと思う柿の実を優先的に食べていた。
また、秋の前半、中盤、後半でもたべごろの柿の木は、変わっていく。むろん品種の違いもあるが、同じ種類でも、幹によって、年によって、微妙に美味しさは、変わってくるのである。

なにはともあれこの辺の農民は、王禅寺さんに足を向けて眠れないのである。


観音堂


観音堂前のお笑い系仁王様


ちょっとまったのポーズ


ニャは






片瀬江の島駅から龍口寺 腰越 稲村ヶ崎へ

2017-03-05 18:24:16 | 神奈川散歩
龍口寺のストゥーパ





山の上のストゥーパから七面堂、五重塔と巡る。


腰越漁港


腰越の小動(こゆるぎ)神社


赤いほっかむりのわんこが可愛い。


腰越あたりの江ノ電は最高



関東で路面電車は、奇跡的だが、
おきて破りの江ノ電なら、なんでもあり。
歩道が江ノ電で途切れているが、みんな路側帯ならぬ線路の縁の空きスペースを歩いて車道へ出ていた。


よそ者は、線路内に立ち入ることにも相当な躊躇があるが、なにしろ玄関開けたら歩道や車道でなく江ノ電の線路なんていうお宅もある。


鎌倉高校前の駅前は学校や商店街でなく墓地だったりする。



七里濱 夕日漂う波の上に
伊豆の山々果し知らずも
西田幾太郎


ええ、なぜ来たのかって・・・
そう風を捜しに・・・

今日はほとんど春の陽気だった。
七里ガ浜をポーッと眺めているだけでもいい。


浜の国道134はにぎやかだ。
派手な車も通る。
湘南の族も通る。
湘南だけあって族のバイクでもファッショナブルなカスタムメイドとなっていた。
それはそれで、評価できるのだが、周りに不安を与える騒音や、蛇行運転がなければけっこういいのにと思うのだが、残念だ。
もっとも暴走族が小市民となってはおしまいか。

コッホの碑




今日は極楽寺駅まで歩いて終了

江の島ぐるぐる

2017-01-22 21:23:23 | 神奈川散歩
江の島はいい
今日の散歩は、江の島に場所を替えて歩き回る。

江の島は、中途半端に近い。
なので、わざわざ個人的に来たことは、なかったような気がする。
何しろ観光客が多い。普段は自然と敬遠してしまう。

それでも江の島から見る富士山は美しい。
相模湾の波の向こう、山と山との切れ目に秀麗な富士山がすっと見える。
前景の江の島の自然も歌川広重の浮世絵にあるように絶景ポイントだらけだ。
江戸時代からメジャー観光スポットなのが解る。


杉山検校の墓



ガイドブックにあった親不知、魚板岩、弁天窟、蛇巻岩といった地名がどれなのかはっきりとは分からなかった。





江の島岩屋の
「昔の音が沁みている」はなかなかよいキャッチフレーズだ。


江の島岩屋へ入るのは、いかにも観光客と言う感じで少し抵抗があったが、やはり入ってよかった。
人工物のない洞窟の姿を想像すると、ここが当時如何に神秘的な洞窟であったのかがしのばれる。




このあたりの食堂は、景色がいい。
家族で来て、このへんの食堂でのんびりするのもよさそうだ。




今日は、風が強く江の島が砂埃に霞んでいた。


お土産には、江の島駅前の玉屋のようかんを買って帰った。


江の島駅の雀は、今こんなファッション


日本一艶めかしい弁天様を見るのを忘れていた。
また今度こよう。



建長寺でけんちん汁を食べる

2016-11-05 15:26:41 | 神奈川散歩

今日は建長寺の宝物風入れが最終日なので、一昨日の円覚寺に続いて建長寺にも出かけた。
夜討ち朝駆けではないが、9時前から押しかけ一番で宝物展に並ぶ。(9時からだった)
その前に境内の伽藍や庭園は、あらかた見学して気分を盛り上げておく。




宝物展には、中国伝来の絵画や磁器が多い。
順路の出だし「蓮華図」顔輝筆(元時代)が美しい。
第一会場の終わりの方には牧谿の猿猴図がある。(円覚寺にも小ぶりな掛け軸があった)
建長寺では、この二幅の猿猴図に釈迦三尊図(伝、張思恭筆)を真ん中にして三幅で掛けるんだそうだ。
宝冠釈迦如来坐像、獅子型大香炉にも注目。

第二会場には、有名な蘭渓道隆像がある。ところが思った以上にすすけていて何が書いてあるのかよくわからない。あの独特な頂相も判別できないような状態だ。円覚寺の無学祖元像や無準師範像なども同じような状態だった。
他では、大覚禅師遺愛の円艦(逗子のようなもの)蜀江錦(蜀の国で織られた生地だが、ち密な文様が織り込まれている)が心に残った。

第一会場と第二会場の間には、けんちん汁のコーナーがあった。
500円だったがもちろん食べた。
本家本元のけんちん汁が食べられる機会なんてめったにない。



具は

大根
里芋
ごぼう
豆腐
こんにゃく
干し椎茸
にんじん
蓮根
菜っ葉(なんの菜っ葉なのか分からなかった。癖のない味だった)
以上だったと思う。
汁は、あっさりとした味だ。

続いて法堂でお坊さんの法話を聴く。
般若心経なんかも一緒に唱える。
木魚でなく太鼓の拍子だ。

帰りはハイキングコースから北鎌倉駅へ抜けた。

やや靄がかかっているが、富士山も見えた。



円覚寺舎利殿を見る(宝物風入れ)

2016-11-03 17:29:30 | 神奈川散歩

円覚寺舎利殿は年に一度しかお目にかかれない幻の国宝だ。(今年は11月3日〜5日の土曜日まで)
今日は、天気が良いので混雑しそうだが出かけた。
8時30分に北鎌倉の駅に降り立つと舎利殿へ直行する。
やはり早朝の禅寺は良い。凛とした空気を感じる。

舎利殿は美しい。
繊細な建物は、ふだん非公開なのがわかる気がする。
観光客が大挙して押し寄せたら台無しだ。


続いて円覚寺の宝物を見に大方丈へ向かう。(こちらも特別展)


まずは、2階に展示されていた松平不昧公の「慎独」という大きな書を見る。
名君と言われた不昧公の人物を感じさせてくれるような潔い書だ。

歴史的価値の高い書状が沢山展示されている。軒並み重要文化財に指定されている。
昔の人は大した字を書くなと感心していたら、足利持氏の書がへたくそだったので、ちょっと安心した。

夢想疎石の頂相など、格式の高い絵は、お茶席でしか見られない仕組みになっていた。
別料金1000円が必要だが、覗いて見た。
通された部屋はけっこうな大広間で、一角に炉が切ってあり、客は赤い毛氈の上に一列に正座する恰好となる。裏で立てたお茶をいただくだけかと思ったら、本格的な作法でお点前が始まった。これはいかん、作法はどうだったか、まさか一つの茶碗を一人ひとり回すんじゃないだろうな。
どうしよう、と思っていたら、本格的なのは、始めの一人だけで、あとは修行僧の人たちが人数分持ってきてくれた。

茶席はこの建物



私の正面が夢想疎石の像であった。他に無学租元像、無準師範像もあったが、夢想疎石以外の絵は、暗くくすんでいる。
円覚寺も凝った演出だ。
円覚寺は茶道が大変盛んなようだ。
他の僧庵でも、多くの場所に茶室があったり、抹茶をいただけたりする。


粋だ



お土産も買ってしまった。




なんだか文化祭のようだった。



鎌倉駅から材木座海岸、由比ヶ浜、霊山山方面へ

2016-08-15 22:45:44 | 神奈川散歩
鎌倉駅には午後1時に到着
まずは本覚寺にお参りする。
お盆なので、線香をあげてご先祖様を供養する。

境内にある栴檀の木(「栴檀は双葉より芳し」の栴檀は別の白檀のことだそうだ)
丸い房状の青い実もなっていた。


続いて妙本寺へお参り。


九品寺に到着。


「九品寺」と「内裏山」の額字は新田義貞の筆と伝わる。


ちょと変わった一体型の六地蔵


ここは浄土宗のお寺だ。
ちなみに、我が家は天台宗のお寺だが
御仏に宗派など関係ない。
ここは、善光寺の心でお参りする。 

材木座海岸から由比ヶ浜へ


今日はここからが、真骨頂
ジャーン!

ビーチウォーキングアイテム登場
これで波がいくら来ても大丈夫


由比ヶ浜を端まで歩き、(力餅屋さんは今日までお盆休みでした)

コッホゆかりの霊山(りょうせん)山へ行こうと思ったが、昔のガイドブックに載っていた坂の下から針磨橋へ抜ける道からは、現在一般住宅になっていて登れないようだ。

針磨橋からのルートを途中左へ向かうと「義烈荘跡地・アジア平和記念碑群史跡」という記念碑があった。


どうも霊山山のあたりにあった史跡や記念碑をまとめたもののようだ。
義烈荘というのは、政治結社的な特別な別荘であったもののようで、義烈荘の義は新田義貞を表し、烈とは中国革命の志士李烈鈞(り れつきん)のことと書いてあった。

李烈鈞は、中国の英雄、孫文の側近だった人で、そんなわけでこの別荘には、張継(ちょう けい)頭山満(とうやま みつる)上原勇作(うえはら ゆうさく)ラス・ビハリ・ボースなどアジアの志士の人達が訪れた場所であったそうな。

帰りは極楽寺の駅から満員の江ノ電で鎌倉駅へ。

多摩川探検隊(多摩川の川岸を歩く)

2016-07-31 19:46:49 | 神奈川散歩
新丸子から登戸へ歩く

新丸子の駅を7:00ごろ出発。
ほどなく多摩川の河川敷に到着。

今日は、できるだけ多摩川の流れに近い場所を選んで歩こうと思う。

このあたりには、任意で建てた簡易ハウスが立ち並ぶ。
中にはソーラパネルを備えた本格的な造りのものもある。
避けるには、右手に簡易花壇が見えてきてから川沿いの遊歩道に入ったほうがよいかもしれない。


この川は、多摩川本流の側道のような川だ。
わざわざ作り直したそうだ。
水面を覗くと卵から孵ったばかりの無数の小さな魚が流れに躍っている。
最近みかけなくなったアメンボが沢山いる。ウシガエルの声も聞こえる。




右手に流れていくのが先ほどの側道の流れだ。


多摩川は流れが速い(瀬になっているところも多い)




鮎つりだろうか、つりをしている人も本格的だ。
川をのぞき込むと本当に魚が多い。都心の川だというのに生き物が豊富なことに驚かされる。



ここはバリエーションルートで、この護岸の岩の上を歩いてみた。

ほどなく二ヶ領宿川原堰


この後、登戸の渡しの碑まで歩き、折り返して二ヶ領用水へ向かう。
鉄道マニアは喜ぶかな。
南武線をくぐるのに、身をかがめて進みます。

電車が来るとこんな感じ


このまま宿川原の駅まで歩きました。(11時着)



鎌倉駅から春の由比ヶ浜 御霊神社 佐助稲荷 浄智寺 北鎌倉駅

2016-04-09 20:23:54 | 神奈川散歩
鎌倉駅から由比ヶ浜-御霊神社-佐助稲荷-葛原岡神社-天柱峰-浄智寺-北鎌倉駅

鎌倉駅前のラーメンひら乃さん11時30分着 
しょうゆラーメンの大を食べ出発

春の由比ヶ浜には沢山の海藻が打ち上げられていました。


潮干狩りを楽しむ人もちらほら見えます。
おだやかな春の海。

波打ち際を散策したら坂ノ下の虚空蔵堂へ抜けます。
力餅家さんの前を通り、御霊神社へ


長谷寺界隈はすごい人

吉屋信子記念館を見学し
佐助稲荷へ 


この佐助稲荷のお稲荷ジオラマは必見ポイントです。


ここから、定番ハイキングコースを天柱峰へ


浄智寺に着いたら
浄智寺回遊式拝観コースへGO



ここのお寺の高野槙の古木は注目です。


お寺の茅葺屋根は葺き替え工事中でした。

北鎌倉駅着15時

鎌倉文学館から極楽寺界隈 稲村ケ崎へ

2016-03-08 20:50:01 | 神奈川散歩
江ノ電に乗って、鎌倉文学館から行動開始。
今日は平日というのがミソです。
もう、この季節になると、土日の鎌倉は芋を洗うよう。
芋洗い弁天なんちゃって。

文学館へ行くのは、基本は一人で、しかも周りに人がいない方が集中できるので、
午前中の早い時間がベストです。

文学館は、建物にも注目。

川端康成愛用のインク壺は、中国風な陶器で、すずりは大きめでした。
万年筆は、意外に小ぶりなものを使っていた作家が多かったようです。
猫マニアの大仏次郎の羽織は、裏地に白猫が描かれています。(絵は日本画の中村岳陵だそうです)
粋でげすな。

そのまま横へスライドして歩いて行くと、超モダンな子供会館「鎌倉市長谷子供会館」(旧諸戸邸)があります。


甘縄神明宮と足立盛長邸跡の碑を見て

長谷寺は門のところで失礼しました。

長谷寺門前の「對僊閣」(たいせんかく)さん。

旅をするならこういう旅館にとまらなくてはいけません。
格子窓の侘助椿は、外国人観光客もイチコロです。

こういう旅館をセレクトしたツアー企画があれば、必ず応募が殺到すると思うのですが。

御霊神社は、最も鎌倉らしい神社だと思います。
鳥居前を江ノ電が走り抜け、タブの木の大木に、歴史あるお神輿や宝物庫の面も歴史を感じさせます。


さて、ここまで来ると力餅は外せません。
今の季節は、草餅です。お土産に購入。

極楽寺にお参りし、上杉憲方の墓を見学、月影地蔵も風情があります。


裏手の山から付近を散策し、稲村ケ崎の駅へ
(そうそう、今日は極楽寺の裏山で子だぬきに遭遇、お互いに一瞬だけ見つめあってしまいました)

鎌倉散策 北鎌倉から釈迦堂口切通、衣張山、報国寺を巡る

2016-03-05 06:48:03 | 神奈川散歩
<本日のコース>
北鎌倉駅ー長寿寺ー亀ヶ谷坂ー薬王寺ー八坂神社ーラーメンひら乃ーぼたもち寺ー八雲神社ー祇園山ハイキングコースー北条高時切腹やぐらー東勝寺跡ーレデムプトリスチン修道院ー日蓮辻説法跡ー妙隆寺ー隧道(小町、大町を結ぶ)ー釈迦堂口切通ー大町七丁目より衣張山ハイキングコースー報国寺ー鎌倉駅

今日は春の陽気です。

北鎌倉駅から長寿寺へ(長寿寺は土日が拝観日です)

ここから、亀ヶ谷坂へ。

途中薬王寺に寄ると駿河大納言、徳川忠長公の供養塔があります。

八坂神社へ


ラーメンひら乃さんに11時40分到着。

計算どおり。
ひさしぶりにひら乃さんのラーメンを食べます。 
おやじさんは、気さくにお客さんに話しかけてくれます。

人っ子一人いないぼたもち寺。


祇園山ハイキングコースもガラガラ

日蓮辻説法跡と大町へ抜ける隧道
 

釈迦堂口切通


釈迦堂口切通は鎌倉で最も美しい切通だったのですが、このところずっと封鎖されたままです。まるで工事現場のようで、せっかくの景色も台無しです。封鎖するにしてももう少し見栄えを考えてもらいたいものです。

衣張山ハイキングコースはやや内陸ですが、意外に海の眺めがいい所です。
各所に展望台もあります。

(葉山マリーナのあたりから江の島まで見えます)

海を見ていると、景色が秒単位で変わっていくのがわかります。
今日は春霞がかかっていますが、富士山が見えるような日は
もっと素晴らしいにちがいありません。

最後は報国寺の庭園を見に来ました。

茶席の休耕庵は現在工事中でしたが、ここは鎌倉一美しい庭です。
禅宗の庭は、いくら見ても見飽きません。
管理する職人さんにも頭が下がります。
世界に誇れる名園です。



さんしゅゆの木の花が見ごろをむかえていました。


帰りは田楽逗子のみちを鎌倉駅へ。

高麗山、湘南平、大磯 1月3日

2016-01-04 21:42:00 | 神奈川散歩
平塚駅前のぺこちゃんから出発


続いて高麗山の神様仏様へお参りします。




今日は女坂から登ります。

高麗山へ到着

高麗山の雑木林には、古木はありませんが
いい感じの森で、やぶ椿とアオキが沢山あります。


ところで日本原産の椿は、江戸時代にヨーロッパへ渡り、かの地で一大ブームとなったらしいす。
当初イギリスにもたらされた日本のやぶ椿は、ヨーロッパ各国に輸出され、ドイツのドレスデンやイタリアのカサータ、ポルトガルのガイヤには、今でも樹齢200年以上のやぶ椿の古木が大切に守られているとか。
そんな日本が誇る花木は、もちろん本家の日本でも茶花にはかかせませんし、徳川将軍も椿の大ファンだったそうで、江戸時代には、武家や公家の人達を巻き込んで国中が椿に熱中したらしいす。

アオキもどこにでもある雑木ですが、やはり日本の庭には欠かせない植木です。
アオキの一番美しい姿は、雪が降った朝に、アオキの枝葉にほんのり雪の積もっている景色だと言われています。


日本人には当たり前な日本の植物達も、ヨーローパの人(特にイギリス人)には、夢のような植物と映るようで、ポール・スミザーさんやC.W.ニコルさんは、そのすばらしさを熱弁しています。

さて今日の天気は冬には珍しい暖かさで、湘南平の展望は今一でした。


下山は楊谷寺谷戸横穴群から大磯駅へ

鎌倉駅から鎌倉アルプス、稲村ケ崎(さよなら鎌倉近代美術館)

2015-11-22 07:17:26 | 神奈川散歩
鎌倉駅-鎌倉近代美術館-源氏山公園-大仏切通-鎌倉山神社-稲村ケ崎

今日は貴重な晴れ間なので
朝からどうしようかと悩んでいました。

息子は、おめかしをしてお出かけです。
はは〜ん、さては彼女とおデートか〜? いいな〜

娘は母親といっしょにららぽーとへお買い物に行くそうです。

というわけで、私もとりあえず鎌倉へ行けばなんとかなるだろうと
出かけました。

神奈川県立近代美術館の前まで来ると
美術館の看板に突っかかってしまいました。

古賀春江の絵だ。
この美術館は、近く老朽化の為に取り壊されると聞いていたので、
せっかくのいい天気に美術館か?とも思いましたが、寄り道です。


池の水面が美術館の天井に反射して波紋を描く、いかにも美術館らしい凝った演出です。




こじんまりしているけど、味のある美術館でした。


源氏山から大仏切通へ向かいます。
鎌倉アルプスのハイキングコースは、鎌倉大仏方面へ下って終わりのような感じですが、私にとってはここからが今日のメインとなります。

大仏切通しでは、先行する団体さんがいましたので、しばし休憩です。




大仏切通を下ると火の見下のバス停で、ここを右に進み八雲神社の交差点を左折、住宅街の坂道を上り住宅街南東から遊歩道の階段を上り、鎌倉山神社方面へ抜けます。

鎌倉山は道が狭いけど豪邸街です。やはりここは相模湾の眺めがいいですね。




鎌倉山神社の前をそのまま進むと、左手に2万5千分の一の地図にも載っている
山道があります。
伝統の道なのでしょう。
いい感じです。



途中から見える相模湾がいいですね。
谷に切り取られた海の景色の中にもヨットの姿があり、
鎌倉らしいです。


尾根上の道は最後まで下ることはできませんので、途中
左に下ります。

稲村ケ崎はすぐそこです。