Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

河西回廊-11-銀川(最終)

2005-10-19 09:20:38 | Weblog
天津181           5018

河西回廊-11-銀川(最終)

6日目、最もきつい日程の夜が明けて、今日が最
終日となりました。17時20分には銀川空港から
北京へ飛びます。

銀川市は寧夏回族自治区の首都、南から北へ黄河が
流れ、緑豊かな平原の都市です。北西で内蒙古自治
区と接しています。地区人口130万人、市内人口
80万人。西夏王墓と言う観光資源を有し、3年前に
スキー場を開設しました。農産品では米が美味しく、
梨、リンゴが出来ます。近くの山から、石炭、石、
薬石、硯が採れるそうです。産業も誘致しており、
化学工業、タイヤ企業が来ている。日本企業も2社
あるとか。寧夏回族自治区の人口は540万人で回族
は260万人、主に省の南部に住んでおり、銀川では、
モスクの周辺に多いとのこと。

西夏王墓
西夏は、チベット系タングート族が起こした国で、
建国は1038年で滅んだのは1227年。ガイドさんも
189年間存在しました、と言い切っていた。その領
土は、寧夏回族自治区の東部から敦煌に及ぶ広大な
ものであったが、長安は落とせなかったようです。

西夏に対しては、守りきった漢民族も、次の蒙古族
には、1271年の侵攻であっさりと全土を席巻され、
都は北京へ移り、交易路は海へ比重が移ります。

漢民族にとっては脅威であった西夏も蒙古に滅ぼ
されます。西夏王国を徹底的に破壊し、滅亡させた、
蒙古軍の有様は東京新聞・中日新聞の日曜版に詳しく
報道されました。別注。これらに出てくる西夏王墓は
丸いピラミッドのように見えますが、破壊されなけ
れば、外側は楼閣で覆われていて、今見えてるのは、
中に有った土の芯です。

賀蘭山岩絵
がらんさんの岩の表面に刻まれた素朴な絵です。
BC8世紀頃を最古として、それ以降刻まれ続けてき
ました。何故山の岩の表面に様々な絵を彫り付けた
のか、訳は判っていないようです。

これで、私達の長い旅も終わりました。銀川市内を
抜けて、空港へ向かいます。途中渡った黄河は水が
茶色に渦巻いていました。check inの手続きは、地元
ガイドさんがしてくれます。その間を利用して、最後
のお土産買いをし、いよいよ時間となりました。
敦煌から最後までガイドしてくれた李さん、いろいろ
有難う。1672kmを安全にドライブしてくれた楊さん
にも有難うを伝えてください。固く握手をして、
さようなら。

回族の説明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E6%97%8F
銀川、東京新聞より
http://www.tabichina.com/anomati/020120.htm
成吉思汗、モンゴル帝国
http://www.uraken.net/rekishi/reki-chu14.html
賀蘭山岩絵
http://www.iijnet.or.jp/xipec/sight/west/nx/nx05.htm