Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

引っ越準備

2006-08-28 15:06:26 | Weblog
引っ越準備

6月末に、天津中心部中級マンションから天津南西部安アパート
への引越しに続いて、今回は、そこから山東省青島への引越し
です。引越しと言っても、最大の荷物が私の旅行用スーツケース、
あとは手引きキャリーとパソコンケース、但し、別送で郵便小包
を4個、4日前から毎日1個出しました。引越し先がどんなところ
なのか判りません。良いマンションを見つけてくれてあれば、
有難いのですが・・・インターネットも暫くは出来ないでしょう。

天津から青島に移動するには、飛行機、列車、バスと3通りの
方法が有ります。飛行機は値段が高い、今回は特に荷物が重量
オーバーで課金される。飛行場に行くまでが高い(と、言っても
日本と比べりゃうんと安いんですが)。列車、バスが安い。特に
バスは夜行寝台バスが170元(2600円)、荷物も自分が乗ってれ
ば料金はかからない。切符も買いやすい。おまけに、バス駅まで
私の今の住まいから近い。

残った列車なんですが、1日2本、天津西駅から(始発は北京)
青島に行く特急が有ります。天津東駅から、1日2本青島行き鈍行
列車(12時間ほどかかります)が出てます。天津東からも西から
も山東省済南を通る列車に乗れば、済南から青島に行く列車が
何本もありますが、これに乗るには、いやそういう切符を買うの
は、外国人には無理です。天津から済南に行く列車に兎に角乗っ
て済南で青島行きの切符を買って乗り継ぐと言うのは出来ると思
います。

インターネットで、自分が乗る列車の手配と予約が全て自分で
できる日本人から見ると、中国の列車のそれは、絶望的に難しい
です。夏休みで人の移動が激しいこの時期は、特にそうです。
郵便局で買えるんですとか、この電話番号に電話すれば、切符を
自宅に届けてくれるんですとか、良い情報は有るんですが、今の
この時期はだめだそうです。

それで、今はどうしてるかと言うと、夜の7時に駅の切符売り場の
窓口が開いて、一斉に切符の発売をします。と、言うことは、
その時間になると人が大勢集まってきて、窓口に並ぶことになり
ます。そして7時に販売開始となる訳で、並んでれば順番が来て
買えそうなもんですが、そう簡単では有りません。こういう場合
日本人が並んでると、順番がどんどん後ろに下がって行く場合が
非常に多いです。いつまでたっても自分の番は来ないことになり
ます。

昨日、夜7時に天津西駅に行ってきました。切符売り場に入った
とたん、300人程の人が居るのを見て、これはあかんと、Uターン
して帰ってきました。窓口が8つで、一つの窓口に40人ほど
並んでいます。その熱気で異常な暑さです。夏休みも終わりに近
いので少しは客が減ってるかなと思いましたが、自分の考えは甘
いですね。8月最後の週の切符です。一番混んでる時期でした。

こうなると、長時間体が動かせなくて辛いバスしか有りません。
今朝、最後の郵便小包を出しに郵便局に行き、その足でバス駅まで
行ってキップを買ってきました。値段は125元(1900円)でした。
明日29日朝8時発の青島行きバスです。夕方5時頃には青島に着く
でしょう。やれやれ・・・

最後の授業

2006-08-28 15:04:24 | Weblog
最後の授業

2006年7月3日、第1回目の授業から数えて8週間目の金曜日、8月
25日最後の授業が終わりました。基本文型301句269番:回国的
日子越来越近了(帰国の日がだんだん近づいてきました)から
301句:祝你一路平安(道中のご無事をお祈りします)まで一気に
やって、終了です。今までの遅さは何だったんでしょうか。ま、
最後の1日だけだから、無理が利いたんでしょうね。

この日は日庫が体調不良で初めて休み、阿楽庫と2人だけの授業
となりました。2人だから早い早い。書き取り無し、読み方と
練習問題と文法だけでしたが、どんどん進行しました。これには
そのように早く授業を進めたA先生も驚いていましたが、その後
の授業を担当するB先生はもっと驚いていました。それで、私達
に練習問題を投げかけるんですが、阿楽庫と私がなんとか答える
ことが出来たので、非常好の連発で早めに終了しました。

私達は、e-mail アドレスを交換して今後も連絡を取れるように
して別れました。私はB先生を食事に誘いたかったのですが、彼
は今夜天津を発って、26時間汽車に乗り、故郷へ帰るとのことで
ダメでした。阿楽庫と日庫と食事をすることで別れました。

阿楽庫と日庫

この若い同級生は、19歳と16歳の兄弟です。ポルトガル人の父と
中国人の母を持ち、家はポルトガルに有るとのことですが、ポル
トガルの外のヨーロッパの学校で学んでいます。このことは何度
か書きました。私が感心するのは、父母の元を離れて生活し学校
に通うせいでしょうか、2人とも実に大人であることです。未成
年であるけど、紳士であることです。食事の時、大人達の会話に
は、静かに耳を傾け、良い聞き手になります。話題が自分達に関
連することになると、はっきりと発言し自分の意見を述べます。
そして、未成年であることの甘えが見られないことです。

授業の時に、判らないことが有ると、先生!と手を挙げ、はっき
りと質問します。先生の答えに矛盾が有るように思える時には
鋭くつっこみます。それでもある時点でさっと引き上げますが、
休み時間などに、あれはおかしいね、矛盾してるよなどと言い
ます。私は、今の日本の同年代の若者達がどうなのか、よく知り
ませんが、こういう青年で有って欲しいなと思います。

その阿楽庫と日庫を招いた先は、いつも旅行に連れて行って貰う
和食・洋食の店でした。3人だけの同級生の打ち上げです。夕方
7時半に大学の脇のバス停で待ち合わせて、店に入ったのは、8時
過ぎていました。2人は日本食は初めてとのことでしたが、何を
食べたいのか判りません。寿司とか高級割烹料理を希望されても、
私の懐具合では難しいです。

店に着いて、ママに同級生の打ち上げです、と言うとあらまあ、
可愛い同級生じゃないと言って喜んでくれました。2人の希望を
聞くと、肉で、油が多くなくて、野菜も食べたいとのことです。
これを聞いたママが進めてくれたのが炭火の焼肉でした。確かに
油は添加しない。肉の脂が焼けて落ちる、減るようなもんです。
それに野菜サラダを着けてくれて、味噌汁とご飯。焼肉はカルビ
にヒレにタンで、味付けは紫系と塩コショウ。阿楽庫の希望で、
タバスコとわさび(何が何でもわさびを味わってみたかったらし
い)。焼き野菜が、にんじん、たまねぎ、にんにく、ナスに山芋、
シイタケでした。

若い2人の肉の食べっぷりは見事で、見ていて楽しくなります。
阿楽庫は焼いた肉にわさびを塗り、美味しいと言って食べます。
初めて食べたシイタケがお気に入りのようで、日庫にも進めて
いました。日庫は、焼き野菜用のたまねぎをいきなり生でがぶり
とやり、うーん辛いと言っていました。私には焼き野菜の山芋が
美味しい発見でした。

阿楽庫と私がビールをジョッキで、日庫は水をグラスで飲みま
した。私達は、『為我們的友誼干杯』wei women de youyi gan
bei 基本文型136私達の友情のために乾杯しましょう・・・を何度も
実践しました。最後にはご飯も味噌汁も平らげて店を出ました。

こうして私達の夏休みの中国語講座は終わり、来週には、日庫
は高校のあるルクセンブルグへ帰り、阿楽庫は一旦ポルトガルへ
母と祖母と一緒に帰る(大学の方が夏休みが長い)ようです。
私たちはガッチリ握手をして別れました。さようなら阿楽庫、
さようなら日庫、私に取っては忘れられない2006年、天津の夏。


最後の1週間

2006-08-23 15:09:51 | Weblog
最後の1週間

私達の夏休み集中中国語講座も、最後の1週間になりま
した。西門は雲南省昆明に行ってしまい。邦徳もドイツ
に帰国し、残った生徒は我がクラスでは、ポルトガル人
の阿楽庫と日庫の兄弟と私だけになりました。A先生が、
基本文型301句がかなり遅れてるので、どうしましょうか、
と相談してきました。つまり、今まで通り、毎日1課
ずつやって、301句の内の200句ぐらいで講座の終わりに
してしまうか、毎日2課にペースを上げて、280句ぐらい
まで頑張るかの選択です。

すると、阿楽庫が毎日2課にペースを上げましょうと提案
したのです。私も日庫も反対しませんでしたので、それに
決まりました。今は物凄い量の新単語と文法と、宿題で
フウフウ言っています。まー、所詮勉強とはそういう苦し
みが付いて来るもんだと思います。

今日、実に嬉しいことが有りました。それは、阿楽庫が
上級クラスの女性に誘われたのです。貴方は充分に中国
語が喋れるじゃない。だから私達のクラスに来なさいよ。
と、言う訳です。確かに彼は、漢字が読めないだけで、
喋るのは、母親や祖母と毎日中国語で喋っているので、
全く問題無いのです。そして、この講座では、本人が上級
を希望すれば、またその逆の場合も、自由にクラスを変わ
ることが出来るのです。

すると、阿楽庫は即座に、いえ、私はAruiが好きなので、
Aruiのクラスにとどまります。と答えたのです。私と
日庫はこのやり取りを少し離れたところで見ていたの
ですが、これを聞いて日庫がニッコリ笑いました。私も
本当に嬉しかったです。

降って湧いたような

2006-08-23 15:06:52 | Weblog
降って湧いたような

突然の話ですが、中国のある街の日本語学校の先生(中国
人女性)から電話が有りました。Aruiさんは、8月の末に、
中国語の授業を終えたら、日本に帰るそうですが、そうな
んですか?と言う問い合わせでした。日本人と変わらない
上手な日本語でした。私がそうですと答えると、実は9月の
新学期から日本語会話を中国人の生徒に教えてくれないか
との話です。私のことは、私のblogを見た知人から教わった
そうです。

私のblogを見れば、どんなに遡って調べても、私には先生
をやった経験も無ければ、教員免許も無いことが判ります。
これは周知の事実ですが、それでも良いとのことです。こ
の学校では、読み書き文法を徹底的に鍛える。そのやり方
は、下手な大学の日本語学科なぞ、足元にも及ばない程の
勉強方法でやるので、すごく力がつくそうです。私もこの
学校で使ってる教科書をじっくり読ませて貰いましたが、
中国の日本語教材は、見事なもので、非常に高度な日本語を
教えるようになっています。ただ、どうしても生の日本人と
の生きた会話が必要で、その先生を今必要としているとの
ことです。

私に出来るかどうか、甚だ疑問では有りましたが、生来の
なんとかなるだろう根性が頭をもたげて、やってみましょ
うかと返事をしてしまいました。但し、こういう場合、経
営者である校長先生の人柄を見させて貰わないと返事が出
来ないので、先生に会わせて貰うことになりまして、行って
きました。

この学校には、中国全土から高卒の子供達が、やってきて、
宿舎に入り、あいうえおから始めます。1年コースと3年コー
スとあって、いろいろなレベルの生徒が居るとのことです。
学校は口の字型のアパートの2階以上を買い取って、利用し
ています。1階はもとからの商店があり、2階が教室、3階が
男子の宿舎、4階が女子の宿舎になっています。

私が訪問した8月19日は、新学期に合わせて、生徒が入学
手続きにやってくる時期で、親も同伴で来てました。生徒の
夜の外出は自由ですが、門限は12時。夜中の12時に建物全体
が閉じられてロックされます。それ以後の入門者は記録され
るので、生徒は全員門限までには帰ってくるとのことです。
現在生徒数は約200ですが、学校側の体制が整えば、400
くらいにはなるとのことで、驚きです。日系企業からの需要
が大きいそうです。

校長先生はお若く、ざっくばらんな方で日本語教育に情熱を
注いでおられました。地元出身の中国人男性で、早稲田大学
で学んだとのことで、立派な日本語を話されます。私が何が
出来るのかも判らないのに、9月から是非来て、手伝って下
さいと言われたので、私はその場で決心してしまいました。

帰宅後、家内に電話してこの旨告げて、相談しましたら、面
白そうじゃないやってみたらと言ってくれました。そんな訳
で、8月25日で中国語の講座が終わると、31日までにまた引っ
越して、新しい生活が始まります。この結果、9月のOFF会に
参加の表明しておきながら、急遽不参加とさせて頂くことに
なりました。申し訳有りません。事情ご賢察の上。ご容赦下
さい。

食事会

2006-08-14 16:11:13 | Weblog
食事会

正味8週間の中国語講座も6週間が過ぎました。6週目の月曜
日の、しかも2時間目にドイツ人のセバスチャンが入って来
ました。2時間目はB先生です。すぐ中国名を付けようと言
います。皆も、Aruiも考えてよと言うのですが、セバスチ
ャンは難しい。悩んでいるうちに、B先生が、セバスチャン
は007のジェームス・ボンドに似てるから(って何代目の
ジェームスか?私には不明でしたが)と言う理由で「邦徳」
と名づけられました。

先生から向かって右から阿楽庫、Arui、西門、日庫、邦徳
の順に座ります。最近判ったことは、西門と邦徳は来週の
つまり7週目の金曜日でこの講座を終えて、西門は雲南省・
昆明の学校で別の中国語の授業を受ける、邦徳は会社の仕事
に戻るのだそうです。

そんなこんなの私達が、西門の声掛かりで、北京ダックで食
事会をしようと言うことになり、8月11日6時半と決まりま
した。場所は私のアパートから1km、西門とスザンナが住む
学生寮から1.5kmの金百万と言うレストランです。参加した
のは、我が初級クラスから邦徳を除く4人。スザンナが属する
中級クラスから6人の10人となりました。

金百万はこの辺りでは唯一の良いレストラン、金曜日の夜は
すぐ満席になります(3階建ての大きなレストランですが)。
私が先に一人で、つまり皆との待ち合わせをせずにレスト
ランに行き、場所を取ることにしました。6時15分にレスト
ランに行ってみると、もう部屋は無いとのこと。テーブルも
どんどん埋まって行きます。それで10人のテーブルを取って
貰い、一人で座って待ちました。第一陣が40分に、第二陣が
7時に来て全員揃いました。

料理は、第一陣で来ていたスザンナと相談しながら、注文し
ました。北京ダックをメインに冷菜を3品、日庫の希望で生
の胡瓜(味噌をつけて食べる)を、スープはコーンととき卵
のどろっとしたのを頼みました。第二陣が来たころから料理が
出てきて、丁度良いタイミングでした。西門はAruiが気を利
かしてテーブルを抑えてくれて本当に良かった、と喜んで
いました。私達が食事を始めた頃には、レストランは完全に
満席でした。

中級クラスの顔ぶれは、オーストラリア人女性(スザンナ)、
イギリス人女性、日本人女性、中国系オーストラリア人男性、
イタリア人男性、その友人の中国人男性でした。食事は概して
好評で、皆さんがどんどん食べてくれたので、注文した私と
しては、ほっと安心です。この後、もう少し食べたかったの
で、肉の焼き餃子を頼みました。熱い肉汁が美味しかった。

メインの北京ダックですが、1匹丸ごとで36元(540円)ですが、
これを頼むと、それはダックだけです。身を分解して、包む
皮とねぎ、胡瓜の刻んだのと、味噌が3-4人分セットになった
88元のにしなさいと言われます。ま、確かにそうなので、
それを2セット注文しました。176元で10で割ると17。6元
(264円)なので、1人前としては高くはありません。最終
的にビール代も含めて、一人40元(600円)でした。

中国の食料品の安さ

2006-08-13 20:02:11 | Weblog
中国の食料品の安さ

これについては、度々書いてきました。街の屋台で蒸して
売っている小龍包が1個2円してない事実を発見した時は、
驚いたものです。安さの理由は、いろいろ有ります。土地
が広大で、土地代が安い、人件費が安いことが基本でしょう。
だから、基本的な原料費材料費が安い、だから、製品も安い。
こういうことだろうと思います。しかし、中国の市井に生活
してみて気が付いたことで、日本人に欠けている,あることが、
物価、特に食料品の値段に大きく関係しているのではないか
と思うようになりました。それは、値段の単位です。

値段の単位などと言うと、日本なら円で、中国なら元なん
ですが、その先の話です。つまり、何個で幾ら、何gで幾ら
かと言う話です。最近、日本のスーパーでは、魚一切れの
値段が表示されているのは当然として、100g幾らになるかも
表示されようになりました。しかし街の小売店では、肉とか
お米以外では、100g当たりとかKg当たりの値段が表示されて
いることは、まだまだ少ないように思います。つまり、これ
は消費者が、そんなことを気にしていないことの証明のよう
な気がします。

魚の切り身は、元の魚から切り身がどれ位取れたかで、重量
当たりの値段は、複雑な要素が絡むので、もっと簡単な桃や、
林檎で話をしましょう。日本の果物屋で、林檎の値段は、殆ど
の場合、1個幾らで、或は1箱幾らで表示されます。そして
買う側の私達も、それで高いか安いか判断します。いえ、Kg
当たりの値段をチェックする賢く厳しい消費者が居ることは
承知して居ますが、一般的には、大根が1本幾らになって、
高いのは雨が続いたせいだ・・・などと言う話になります。

中国では、野菜果物、肉、魚、えび、蟹など食料品の値段は
全て重量当たりで表示され、売買されます。これが1個当たり
の値段で表示され売買されるのと大きな違いが生じます。
何故か。数学的には1個の値段が表示されれば、後で、その
重量を計り、重さで割れば、重量当たりの値段が出るから、
ただ換算だけの問題のように思えますが、実際の売買になると
大きな差が生じます。それは、1個当たりの値段で売買される
ためには、同じ大きさの商品を揃えなければなりません。これ
が、大変なコストになってるだろうと想像します。

ここ天津の道端で、桃だけを売っている小母ちゃんでも、こち
らの山は、粒が大きくて良い桃だから、1斤、幾ら。こちらの
山はもっと安いよ・・・と売っていますが、日本の場合は、生産
者が出荷する段階から、大掛かりな選別が行われ、そういう
選別がされない商品は、まともな流通経路に乗らないと言う
現状があるように聞いています。だから、出荷の段階で、既に
コストが上がっていることになります。

大きな物も小さな物も、曲がったのも2股のものも、一緒に
売って良いなら、野菜や果物の値段は大幅に下がることは
間違いありません。問題は、そういう商品を消費者が買うか?
と、言うことでしょう。消費者が受け入れなければ、売る方は
怖くてそういう方向に切り替えることができません。大きさが
揃っていて、見栄えが良くて、綺麗な商品にするべく、コスト
がどんどん上がっていきます。

上で、1斤と書きました。中国の1斤は500gで、これが日常の
取引単位です。1斤の10分の1が1両で50gですが、日常の安い
品物の売買で両は使いませんと言うか、1斤か半斤のどちらか
になってしまいます。このおかず3両下さいと言うと、こんな
安いの半斤買って行ってよと押し切られます。おかず250gと
言うのは、私の経験で、3回では食べきれません。この重量を
判って居なくても、道端や、自由市場で買い物出来ないこと
は、ありません。好きなだけ選んで、売主に渡せば、重さを
計って、値段を言ってくれます。中国でも1kgと言う言葉は
有ります。1公斤(イーコンジン)です。が、日常生活では
使いません。

天津の大型スーパーでも、小売用にパッケージした食品を
売ってますので、それらは、1個幾ら、1パック幾らの表示
です。私も最初の頃は、そういうところで買い物していまし
たが、街の中の方が安いので、今は、スーパーに行くのは、
ワインを買う時ぐらいです。スーパーの野菜売り場でも、主流
は重量売りです。ですから買う時は、商品を選んでから、計測
場がありますので、そこで計測して貰って、重量を記入して
貰い、レジに向かいます。

日本でも不揃いの林檎たちを、1kg幾らで売る、買うことが
主流になれば、値段は劇的に下がるのではないかと思って
います。ただこれが、主流にならないところが、この問題の
難しさだと思います。消費者が変わらなければ、値段は下がら
ないってことでしょうか。



8月になって

2006-08-07 16:32:41 | Weblog
8月になって

学校にも新たな動きがありました。7月末で辞めて行った人が
居ましたが、8月に入ってきた人も居たのです。噂では、日本
から5-6人来たそうです。この人達は、その人達だけで、
1クラス編成されていて、私達とは交流はありません。年齢
と最初から中級であることから判断して、日本の大学で中国語
を取って居る人達のようです。

水曜日の午後は、市内見学であることは既に書きましたが、8
月2日、8月最初の水曜日、集合場所の大学北門に所定時間の
2時半に姿を現したのは、私の他では阿楽庫と日庫だけでした。
この日は物凄い猛暑で外を歩くには不向きですが、仕方があり
ません。案内してくれたのは、この大学で日本語を履修してい
る中国人学生の長谷川さんと竹内さんです。勿論彼等には、
中国名があるのですが、「私達には日本名が有ります」と言っ
て、こう名乗られたので、こう呼んでいます。

長谷川さんと竹内さんには、3回連続で市内を案内して貰って
るので、すっかり顔なじみです。彼らも案内する学生が3人
だけなので拍子抜けのようです。この時、私の頭の中には、
以下のことが過ぎりました。これは大学事務局の連絡と言うか
指示がまずいからではないかと言うことです。7月の最初から
居る学生は、既に今回で5回目の見学会ですから、そして天津に
来て、1ヶ月も経っていますから、学生の案内で見学するところ
は残ってないのは判ります。

ですが8月になって来たばかりの日本人学生の中には、きっと
この見学会に参加したい人が居る筈です。それなのに、参加
希望者がゼロと言うのが腑に落ちません。でも、時間が来て
私達は出発しました。公共のバスに乗って馬場道で降りて、
馬場道⇒睦南道⇒大理道⇒常徳道、フランス租界やイギリス
租界の跡、ヨーロッパ建築が残された、雰囲気の良い町並み
です。私にしてみれば、6月末まで毎日会社の帰りに歩いて
帰った懐かしい道です。

翌日の朝です。授業の開始前に大学事務局の人が教室にやって
きました。今は夏休みなので、1日置きに、交替で誰かが来る
ようです。その人が私達に発した質問です。「昨日の見学会は
有りましたか?」私と阿楽庫と日庫「ありました」「集合時間
と場所は?」「午後2時半、北門です」「あらー、あの学生達
南門に集合してたらしい・・・」。私「授業開始の日に貰った
講座の案内に、はっきりとそう書いてあります」「あら、そう
なの?」 ・・・って、おいおい。俺はその案内をあんたから
貰ったんだぜ・・・これは言いませんでした。

私の頭の中を過ぎった心配は、的中していたのです。中国では
よくあるケースで、これは当分なくならないでしょう。

西瓜(スイカ)が安い

2006-08-07 16:29:35 | Weblog
西瓜(スイカ)が安い

今、日本もそうでしょうが、天津では西瓜が真っ盛りです。
普通の果物屋でも売り出し中ですが、トラックで売りにくる
人達があちこちに店を出します。店を出すと言っても、団地
の中とか、道路端にスペースを見付けて、そこに車を止めて、
さーいらっしゃいとなるだけの話なんですが、トラック一杯
の西瓜が売れるまで車で寝泊りしている人達も居ます。見て
ると、だいたい3日で売り尽くして、1日居ないなと思ってる
と、また車にいっぱい積んで、やって来ます。それの繰り返
しのようです。この単品売りは、西瓜に限らず、桃も多い
です。桃だけを車に積んで売りに来てます。時々見掛けるの
が、葡萄、じゃがいも、枝豆などです。

西瓜は、中国でも同じ字で、発音はシーグワ。これが日本に
来てスイカになったようです。因みに東瓜がトングワ、日本の
トーガンです。南瓜がナングワでカボチャです。北瓜は在り
ません。北では瓜が採れないんでしょうね。にがうりが苦瓜で
発音がグーグワ、沖縄のゴーヤの語源になりました。甘味が
少なく美味しくない瓜が馬瓜、発音はマグワ。昔、日本にも
そういう瓜でマクワ瓜と言うのがありました。今は見掛けま
せん。美味しい果物が豊富な現在は、商品価値が無いんだと
思います。

今、天津で売られている果物、但し、露天で売られている
庶民向けのもの:西瓜、桃、葡萄、杏、スモモ、マンゴー
(これは、大中小、何種類も有ります)、最近になって時期
到来でしょうか、梨、林檎、姫林檎、洋梨が出てきました。

西瓜は、浅緑に濃い緑の縞模様のものと、濃い緑の無地一色
のものと2種類あります。今は最盛期で、値段が安く、1kg
0.5元程です。つまり10kgの西瓜が5元、75円で買えます。
安く買えるのは良いんですが、食べるのが大変で、3日で半分
がやっとの状態です。あ、また今から食べよう。


小母さん頑張る

2006-08-07 16:27:38 | Weblog
日記







#121 小母さん頑張る





















作成者 : あるい♂ 返信 : 0 / 訪問 : 8
2006.08.06 15:31


小母さん頑張る

朝、学校に行く時でした。私がバスに乗ったら前の方しか空席
が有りません。それで前から2番目の席に座りました。次の
バス停で65~6歳の小母さんが乗ってきました。天津では、
車掌が乗っていないバスを無人バスと言います。運転手が
居るんですが、これは当然必要と言うことで、無人バスなんで
すが、当然客は前の出入り口から乗ることになります。運賃の
支払いを運転手が確認する必要があるので入り口が前になり
ます。

その小母さんは、乗った瞬間、bagからお金を出したのですが、
一番小さいお札が5元でした。私の真ん前なので、よく判り
ます。小母さんは私の方を見て、ニコニコしながら何か言って
います。聞こえなくても判りますよね。「このお金小さくなり
ませんか?」この場合、これしかあり得ません。

中国では、100元(1500円)札が最高額で、50,20,10元と続き
ますが、これを整銭と言い、5元以下の小銭を零銭(リンチェン)
と呼びます。小母さんは「零銭有没有」リンチェンヨウメイヨウ
小銭有りますか?と聞いてきたのです。因みに運転手はお金に
触りません。料金箱にお金が入ったかどうか、或いはICカード
が正しく感知されたかどうかを確認するだけです。このバスの
料金は一律1.5元です。日常生活では1クワイ5マオと発音します。
普通、最後のマオを省略しますので、イークワイウーです。

私は「有」ヨウと答えて、ポケットから1元札5枚を取り出し、
小母さんの5元札と交換しました。小母さんは今度は0.5元、
つまり5角(マオ)が必要なんですが、私も5角を2つ持ってい
ません。そうこうするうちにバスはスピードを出してきている
ので、小母さんよろよろして危ないです。

運転手が、小母さんに座るように言い、更に、2元入れて、後か
ら乗ってくるお客さんから5角貰って下さいと言ったのでしょう。
小母さんは、私の隣の椅子に座りました。その席は一番前の席に
なり、その前は乗車口です。

次のバス停に着き、お客さんが乗ってきました。小母さんは、
一人一人に、「私に5角下さい」と言っています。最初の3人は
ICカードでピッピッと感知させながら乗り込みました。4人目
のお客さんが、小母さんに5角札を渡して料金箱に1元を入れて
1件落着です。一部始終を見ていた私もホッとしました。




中国語の授業その後

2006-08-04 19:14:09 | Weblog
中国語の授業その後

私達の中国語の授業は、7月3日から始まりました。そして、8
月25日に終わることになっており、ちょうど8週間のコースに
なっています。7月28日が終わった現在、半分の4週が経過した
ことになり、31日の月曜日から第5週目に入ります。アメリカ
人のご夫人が帰国され、生徒は阿楽庫、日庫、西門、Aruiの4
人になりました。

ポルトガル人の阿楽庫と日庫は、日常、中国人である母親及び
母方の祖母と中国語で喋っており、会話は習わなくても良いよ
うなものですが、彼らの母親から学校に対して、漢字をしっか
り教えて欲しいと依頼が来ているとのことで、毎日書き取りの
宿題が出ます。それはオーストラリア人の西門も同じです。私
は書き取りは無しで、日記を提出します。

中国語の基礎と文法を教えるA先生は、今までの5人,全く同等に
読み聞かせ、喋らせ、教え書き換え拡張練習も、全く同じよう
にさせますが、B先生は明らかに、私には難しい質問を出します。
教科書に書かれている質問を順番に生徒に聞く時も、難しい問題
を私に振り向けます。有難い配慮だと感謝しています。

漢字の書き取りも、中国人ハーフの阿楽庫、日庫には、厳しく、
西門には甘くしてます。日庫が書き取りには苦労しており、B先
生も、これには頭を痛めているようです。日庫の母親と相談しな
いといけないなーとぼやいていました。書き取りの宿題は、教科
書の新単語を書き写せば良いので、これは良いようですが、聞き
取り書き取り試験になると、とたんにだめになるようです。です
から、漢字だけの文章を読む勉強は、つっかえつっかえになって
しまいます。

B先生は、例えば阿楽庫に、貴方は名前はなんと言いますか?
いま何処に住んでいますか?などと聞いた後で、Aruiと声を
かけ、阿楽庫を指差し、あの人は誰ですか?何処に住んでいま
すか?ときますので、阿楽庫が指されている時でも、ちゃんと
聞いていないといけません。ま、当然と言えば当然なんですが。

先日こんなことがありました。B先生が阿楽庫に対しての質問で、
この部屋で、老人は誰ですか?と聞きました。すると阿楽庫は、
この部屋に老人は居ません。皆若者です、と答えました。私が
阿楽庫の方を見て、右手の握りこぶしの親指を立て、上に付き
上げました。阿楽庫も同じようにして、ニコッと笑いました。
先生も笑って「非常好」フェイチャンハオと言ってくれました。

第1句「你好」から始まった中国語基礎会話301句は前半終了時
点で第93句「這是新出的紀念郵票」これが新しく出た記念切手
です、でした。