Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

蘭州ー4-

2006-05-13 15:57:33 | Weblog
シルクロードの一部(蘭州⇒青海湖)の旅-最終-

最もタフな日程を終えて、4日目の最終日は、朝もゆっくり。
今日は、西寧市内の2つの寺院を訪ね、博物館を見学し、後は
空港から北京に向かうのんびり日程である。

東関清真大寺(とうかんせいしんだいじ)
http://www.chinese-photograph.com/tkxcgi/shop/goods_list.cgi?CategoryID=000028
最初の訪問場所はここである。中国語で清真は回教を意味する
ので、回教大寺院であることが判る。青海省最大のモスクだ
そうで明代、1380年の創建。中国西北地区(要はこの辺のこと)
のイスラム教の学問センターの役割を担っているとのこと。

私たちが寺院の中庭で見学していると若い僧が近寄ってきて
解説をしたいと言う。喜んでお聞きしたいが、私たちのガイド
では頼りにならない。一行の中の川島さんが通訳してくれて
大助かり。説明の中で、皆が驚いたのが、ラマダン開けの
お祈りの際には、この寺院に、近郷近在の信者が5万人も集
まると言うことだった。

我が一行の女性達は、イスラムの教義に敬意を表して、長袖
長ズボン、ネッカチーフで髪を隠していました。異教徒とは
言え、他の宗教に敬意を表すことは、大切なことだと思う。

青海省博物館
http://www.xining.gov.cn/flml/bmfw/jtly/jtly07.htm
この博物館は素晴らしかった。もっと時間を取って、じっくり
見るべき場所であった。ま、この程度の失敗は、旅では付き物
だろう。展示品の種類が豊富で、展示の規模が大きい。BC2000
年の頃の壷、耳付き黒線模様のものが数種類が展示されている
のだが、発見された当時のままの状態を再現しているのである。
20-30個の新品の壷が山積みで発見されたことが判る。

何故なんだ?何故、壷は山積みのまま土に埋もれたんだ。天変
地異が集落を襲ったのか。戦争で、この集落が負けた方に属し
て居たのか。若しそうだとしたら、男は皆殺しだったのだろうか、
女は妾にされたのだろうか。子供はどうなったんだろう。空想が
頭の中を駆け巡り、説明員が、早くこちらへどうぞと叫んでいる。

北禅寺
http://www.qinghaiok.com/web/ybqh/2003-12/1071233023.html
ここが、最後の訪問場所。市内を流れる湟水の北岸に連なる崖の
中腹に嵌め込まれたように点在する院が細い道で繋がっている。
約2000年前に仏教寺院として建立されたが5世紀頃北魏の時代に
道教の寺院となりこの地方の最も古い道教寺院の一つである。

下から見上げると、あんな上まで行くのかい、と愕然とする眺
めだ。健脚者は直登する階段で一気に高度を稼げる。それが無
理なら九十九折りの登山道をゆっくり登れば良い。そこから、
市内が一望できる。

今回の旅で、仏教(炳霊寺)、チベット仏教(塔尓寺)
イスラム教(東関清真大寺)、道教(北禅寺)と廻ったことに
なるが、きっと良いことが有るだろう。

ちょっとしたトラブル
全ての日程が終わって、遅めの昼食となった。所詮遊びで来て
いるのだが、それでも、全日程終了となれば、ほっとするもの
である。一行11人は、レストランに入り、2階の個室に通された。
注文を取りに黒服のお姐さんがやってきた。こういう場合、
日本人ならまずビール、しかも今日は最終日で西寧と言う大都会
で、そこそこのレストランなので、冷えたビールと指定しての
注文となった。ところがこのお姐さん、一言のもとに「当店には
冷えたビールは有りません」とのこと。

ところが我が一行の中に、どうしても冷えたビールが飲みたい
人が居て、この店に入ってすぐ、それがあるかどうかを、見て
確かめてた人が居たのである。「冷えたビール、下に有るじゃ
ないか」「いえ、あれはただの鍵付きケースです」「何言って
んだ、俺は触って確かめたぞ、あれは冷えてた」彼はそう叫んで、
下に降りて行った。

私は、テーブルで料理を注文していたので、下でのやり取りは
後から聞いた。我が一行の彼、従業員に、「このケースの鍵を
開けてくれ」従業員は仕方なく鍵の束を持ってきた。その鍵で
冷蔵庫を開けようしたが、どの鍵でも開かない。さんざんやって
いるうちに、注文を取っていた黒服のお姐さんが、下に降りて
きて自分のポケットから鍵を出して、冷蔵庫をすっと開けた。
なんでこうなるの。

まあまあご不満もお有りでしょうが、美味しい食事が出てくれば
にこにこ笑顔で、旅の話が飛び交う。そして今の件も、結局
「面倒臭いんでしょうな」ってことで終わった。我らの旅も
終わった。

シルクロードの一部(蘭州⇒青海湖)の旅-3日-

2006-05-11 16:31:43 | Weblog
シルクロードの一部(蘭州⇒青海湖)の旅-3日-

旅の3日目は、バスで走りまくる日程となった。朝7時に、
甘粛省蘭州のホテルを出て、200km走って青海省西寧へ、そこ
から25km走って塔尓寺(タール寺)へ、そこから150km走って
青海湖へ。そこから150km戻って西寧のホテルへcheck in.
軽く走り回ったようにも聞こえるが、標高を見て欲しい。
既述したが蘭州の標高が1510m、西寧は2275m。このくらい迄
なら、あまり気にならない。ところが青海湖は3200m、バスの
中でも空気の薄さが気になる。

この辺りの地図
http://www002.upp.so-net.ne.jp/zhuling/map.htm

塔尓寺(タール寺)解説書には、チベット仏教ゲルク派の
創始者ツオンカパが誕生した地を記念して明代の1560年に
創建されたとある。チベット語の名前がクンブムだそうで
一時は青海一帯に絶大な影響力を持ち、4000人以上の僧侶が
居たとのこと。

塔尓寺
http://www002.upp.so-net.ne.jp/zhuling/luyou_1/qinghai.htm

ここまで読んで私は愕然とした。こういう寺だと我が田舎の
檀家寺のように、小さな敷地に本堂が一つ有って、裏には
和尚さんの家族が住んでる寺とは訳が違う。比叡山延暦寺と
か高野山金剛峰寺とかの本山級の寺に違いない。すると山を
上下することになる。ここは標高2200m以上ある、いったい
どうなることであろうか。

実際に行ってみて、結果は私が悪いふうに予想したとおりに
なった。心臓はバクバク、体は重い、足は動かない。入り口
から順番に見ているうちは良い。本堂を見終わっても、まだ
3分の2程残っている。集合時間の関係でここからUターン
して入り口の集合場所に集結しなければならない。この時の
体の辛さは、大変なもの。歩いても歩いても入り口にたどり
着けないのである。5分遅れた。

で、そこには何が有ったんだと言われれば、数多くの仏殿が
あって、そこに、お名前は日本のお寺にあるのと同じ仏様が
鎮座し、多くの参詣者が線香を焚き、お賽銭を上げて、幸せ
と金運を祈っていた。日本の本山と同じです。ここの名物は、
大法会の時に、山の斜面に掛け広げられる布製の巨大な仏画
とバターで作られる仏像である。バターは冬の固まった時期
に彫刻され、夏には溶けていたが、エアコンが普及した現在
は、木彫の仏像と全く見分けがつかない仏像が、常時展示さ
れている。

青海湖
中国最大の塩湖で大きさは琵琶湖の7倍とか。岸辺に立てば、
海岸に立つのと全く違いは無い。寄せては返す波が、海より
はやや穏やかなのかなと感じるくらいである。塔尓寺から
青海湖まで、私たちのバスは、地道を走った。ゆっくりと
揺られながら、湖に近づいている間、高度が上がっている
ことには、殆ど気がつかない。おまけに、塔尓寺の見学終了
時で既に12時半を回っていたのに、昼食の良い店が無いとの
ことで、湖まで走ってきた。

バスが止まり、昼食だーと降りた瞬間、3200mの標高を感じた。
空気が薄いって、こういうことを言うのか。ここで、高山病に
なる人も居るそうだ。幸い我が一行からは、そういう人が出て
こなくて、楽しく昼食を頂いた。地元料理としてはヤクの煮込
みを頼んだ。堅くてワイルドな味。

ヤク
http://tibet.cocolog-nifty.com/blog_tibet/2004/05/post.html

私はこの時点でも標高3200mをなめていた。食事時に白酒を飲ん
だのである。食事が終わって湖に行く時は、ダラダラの下り坂。
天気は晴れ。眩しい中を湖に近づき、水中に建つ魚雷実験基地を
眺め、波打ち際に立つヤクの背に乗って写真を撮り、土産物屋を
ひやかしてから、観光客が帰るポイントまで電気自動車に乗って
行った。そこは、私たちのバスが駐車している場所まで1kmほど
離れているが、途中に遮るものが無い。遠くに我がバスは見えて
いるのだが、そこまでの歩行の苦しいこと苦しいこと。心臓は
酸素が欲しいのだろう、ドキンドキンである、足は重たく、前へ
進まない。おまけに帰りはダラダラの上り坂。

モーターボートに乗った仲間も居た。青海湖の名所の一つに鳥島
がある。その名の通り、水鳥のコロニーとして有名なスポットだが、
我が一行の見学ポイントからは、対岸と言うほどに離れており、
その姿も見ずに西寧のホテルに向かって帰途についた。帰りは、
すぐに高速に乗り、途中日月山の土産物ショップでトイレ休憩兼
買い物。ここは水晶の産地で、水晶とその製品(宝飾品と、めがね
サングラス)がずらり。

鳥島(青海湖の素晴らしい景色も多数)
http://www.asia-photo.net/silkroad/qinghai/qin.html

ホテルに着いて、夕食へ向かう頃は既に9時を回っていた。西寧の
街が見える頃には高度の苦しさは、嘘のように消えていたのだが、
この時刻ではいろいろ探すよりも、ホテルのレストランでと言う
ことで、無難な夕食を済ませた。疲労困憊の3日目が終わったよ。

シルクロードの一部(蘭州⇒青海湖)の旅-2日-

2006-05-08 12:56:53 | Weblog
シルクロードの一部(蘭州⇒青海湖)の旅-2日-

翌朝、スケジュールの都合で6時起き、朝食6時半、7時出発と
なった。バスはホテルを出て蘭州市内を黄河上流に向かって
西へ走る。途中の山の崖に穴が、時々見えるので、質問が
出た。窑洞(ヤオドン)崖の穴の住居のことである。中国
山西、陜西、甘粛省等に有ると言われている。現在は、住んで
居る人はもう居ないとのこと。

バスで2時間走って劉家峡についた。黄河をせき止めて作った
ダムである。垂れ幕には、黄河三峡にようこそと、書かれて
いる。そこからモーターボートに乗り、ダム湖を突っ走る。
ダム湖が終わると、また黄河になるが、ボートは更に進んで
炳霊寺(へいれいじ)に着いた。

ここは石仏で有名な寺である。古くは五胡十六国時代と言う
から西暦400年頃(日本の古墳時代から飛鳥時代に相当する)
から1000年間にも渡って、営々と彫られた石仏が、レプリカ
でなくオリジナルが手の届く場所に有り、それが太陽光の下
で私たちに語りかけてくる。

残念な点もある。現代中国のようにきっちり管理されて居な
かった頃、石窟に人が住み、火を焚いて煤が天井の仏画を消し
それを削った跡や、異民族か文化大革命の時か、顔を削った跡、
仏像全体を石の壁面から、そっくり剥ぎ取って、多分売って
しまったのであろう。しかし、1600年昔の物が、今目の前に
ある感動は何物にも替え難い。

数ある炳霊寺の旅行記の中から、素晴らしいもの4つ。
http://www.arachina.com/attrations/silkroad/yizhi/binglingsi.htm
http://ikokunotabi.web.infoseek.co.jp/karahoto/kara11.htm
http://www.fsinet.or.jp/~kyouko-h/chinacave/heireiji/heireiji01.htm
http://www.fsinet.or.jp/~kyouko-h/chinacave/heireiji/heireiji02.htm

道路も良くなり、大型モーターボートも配備されて炳霊寺行き
は格段に足回りが良くなった。中国では旅行ブーム、これから
もっと多くの人達が訪れることであろう。日本の仏像ファンの
方々、ここはお勧めです。莫高窟は勿論素晴らしい石仏群ですが
普通は、人の波に押されて、ゆっくり見れない場合が多いと
聞きます。ここでは、ゆっくりと1600年もの時の流れに浸る
ことが出来ます。

全く同じ道を逆にたどって、蘭州に戻り、昼食後、甘粛省博物館
を見学した。はっきり言ってたいした物を展示してある訳では
なく、落胆した。ガイドブックに載ってた銅奔馬もマンモスの
実物骨格も北京の某所に貸し出し中とか。

さて、私たちの旅はホテルと車の手配を旅行社に頼み、食事は
行く先々で、好きなものを食べる建前になっている。ところが
実際には、食事代金のリベートはガイドさんと運転手さんの、
貴重な雑収入だから、彼等が知っているレストランに行きた
がる。ようやくレストランが決まって、そこへ着くと、料理の
注文が難しい。自分の食べられる料理しか食べたくないと言う
人が居る。いつ、何処に行っても同じ料理を注文する人。私の
ように、偶のことなら、変わった料理を食べたい人も居る。
中華料理にはパセリのような野菜で、もっと強烈な香りがする
香菜があるが、これが全くダメと言う日本人が多い。私はこれ
が好きときてる。香菜:

http://www5e.biglobe.ne.jp/~masala/material1kothamalli.html

それで、そういうのをミックスして注文する。変わった料理と
言っても、この地では、羊の料理を2品頼み、一般の部として
麻婆(マーボ)豆腐、青椒牛肉絲(チンジャオロースー)、
トマトの炒り卵(西紅柿鶏蛋)を頼む。どこにでも有る料理
である。スープはキノコが美味しい。

そして飲み物だが、問題はビールが冷えてない。中国人は基本
的に、冷たい飲み物は体に悪いと考えているようで、ビールは
冷やさない。だが、日本人も韓国人もビールは冷やす。それで、
外国人があまり来ないところのレストランには、冷えたビール
はまず無い。私は蒸留酒が好きなので、雑穀を蒸留した白酒で
地元産のものを堪能した。良い香りで42度もあった。

こうして2日目が終わった。

シルクロードの一部(蘭州⇒青海湖)の旅

2006-05-06 04:18:29 | Weblog

シルクロードの一部(蘭州⇒青海湖)の旅

中国・甘粛省の省都である蘭州は北京の西南西1290kmに位置し、
標高1510mの大都会である。中国の全体地図を睨むと、この蘭州
は中国の真ん中に位置し、人口300万と言うから驚く。私は昨年
10月に、畿筋ものルートがあるシルクロードの中のメインストリ
ートである、河西回廊(武威、張掖、酒泉、敦煌)を訪ねたが、
今回の蘭州⇒青海湖の旅は、河西回廊の南の外側を通る、もう
一本のシルクロードでもある。

河西回廊が砂漠の中を通る道であるのに対し、今回のこのルート
には、黄河があることが大きな違いである。青海省に発した黄河
が最初に通過する大都市が蘭州である。私達は北京空港から国内
線に乗り、2時間で蘭州空港へ到着した。2006年5月1日の正午で
あった。蘭州は昔、金城と呼ばれ、その名前の由来は金の採掘に
関連があったと言われている。黄河は、滔滔と蘭州の西から東へ
流れ、水の色は茶色で、流れは速い。黄河の南岸は市の中心部
では市民と旅人の憩いの場所となっており、多くの人々で溢れる。
特に黄河に最初に作られた「中山橋」は黄河第一橋として市民の
誇りである。

この橋が出来るまで、人々が対岸に渡るには、羊の皮袋に空気を
入れたものを浮き袋とし、それに捕まって泳ぐか、それを数個
木枠で囲って筏とするか、冬の結氷を待つかしかなかったそうだ。
因みに中山は中国革命の父、孫文の号である。家屋や船を木で
作ってきた日本人には想像できないことだが、この地には、そう
いう木材が一切無い。あるのは禿山と細い木が、ぽつんぽつんと
立っている広大な荒地である。現在は近代的なビルが建っている
が、昔の家はレンガ作りである。

http://www.geocities.jp/msakurakoji/300Eastasia/322Ranjho/P01.htm

黄河南岸に、三蔵法師と孫悟空達の像がある。そう、彼らは天竺
に経典を学ぶ旅に出るとき蘭州を通ったのです。母子像、母なる
黄河に抱かれた蘭州を象徴する像だそうです。白塔山へのケーブ
ル、対岸にある白塔山(1700m)を結ぶリフトです。私も往復
利用しました。健脚者は山頂から白塔寺を回って徒歩で降りれば
素晴らしい眺望が楽しめるとのこと。そこから水車博物館へ。
と言っても、要は黄河に大きな水車の実物モデルが設置されて
おり、昔の水汲みの様子を見ることができる。

昼食は、全中国的に有名な蘭州牛肉ラーメンを食べる。中国各地
に有るが、蘭州で食べる蘭州ラーメンはことのほか美味しい(と、
言うことにしておこう)。